引き続き、弱い自分を知る
日照時間の減る秋冬もうつっぽいですが、世の中がざわめいて変化が重なる春のはじめもうつっぽいようです。
わたしは「うつ」という診断を受けたわけではありませんが、もう長いこと、うつの迷宮の軒下で途方に暮れていたか、玄関に足を踏み入れていたか、それくらいにはきわどいところにいたのだと思います。
生活保護を利用し2年かけて、生活の困窮や性風俗との関わりを断って、ようやく心穏やかに暮らせるようになりました。
生活保護がなければ、多分、生きるために性風俗に戻っていたと思います。
そして嫌々ながら笑顔を作って、まだ笑っていられるから平気だと自分を騙して、うつの迷宮をうろうろと彷徨っていたんじゃないかと思います。
でも、そうなったらそれはわたしのせい。
自分のせい。
わたしがダメなせい。
自分がお金にだらしないせい。
稼げないのはわたしの努力が足りないせい。
仕事が苦しいのは自分の要領が悪いせい。
わたしの、自分の、自己責任。
そういう地獄に、生活保護がなければ、多分まだいたと思います。
季節が移り替わるこの時期、学校にも職場にも関わりがないので、周りばかりがいそいそと楽し気に見えます。
自分はなにもできてない。わたしにはなにもない。
誰かの役に立ったり、なにかを生み出したり、しなきゃなのに。
そういう得体の知れない焦りと重圧で、ひとりで勝手に狼狽えています。
誰の役に立たなくても、なにかを生み出したりしなくても、別に生きていていいはずなのに。
裸の自分に値札をつけられていた期間が長いためか、自分に明確な値段や価値がないことがとても恐ろしいと感じます。
或いは、架空の値札をペラリとめくった誰かに「こんな値段つけるような価値、お前にないだろう」と嗤われるのを、恐れているのかもしれません。
尊厳を買われた傷は、多分一生消えないんじゃないかなと思います。
わたしは、自分が今季節性のうつに陥っていて、色んなことをやめてしまいたいと考えていることをなんとなく察しています。
やめたり、投げ出したり、もしくは投げやりなこの気持ちを勢いだと偽ってなにかを決断したりしようとしていました。
そういうことに、多分2年前は気づけなかった。
けど、今年は気づくことができた。
だから、思い余って投げ出したり無茶な決断をしたりしなくてもいいんだと、今日のわたしに伝えました。
今日までかけてそれを知ったのだと思うと、切なくなります。
今日それができたことに、心の底から安堵します。
弱い自分を知って、引き続き、自分の弱さと付き合っていく日々です。
では、また。
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