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遠くて親しいともだち

年に1回だけ連絡をとる友人がいる。
1年のうちにたった1回だ。
わたし達は誕生日が同じで、誕生日当日に、どちらがより早く相手に誕生日メッセージを送れるか競争している。
彼女とは20年近い付き合いだが、そのうちの15年くらいは、誕生日のメッセージしかしていない。

わたし達はお互いがどういう暮らしぶりなのか知らない。
住んでいる場所も知らない(東京のどこかということだけ知っている)。
日々の悩みも、仕事も、家族構成も知らない。
SNSのアカウントも。

あんまり興味がないのだ。少なくともわたしはそう。
彼女もそういうことを訊ねてこないので、多分興味がないのだと思う。
万が一、住まいが近いことが分かって頻繁に会うことができれば、もっと興味が湧くかもしれない。
でも、今のところそうはなっていない。

わたし達はお互いの日常に全然興味がないまま、10年以上も誕生日のメッセージを送り合っている。
それがわたし達の常態であり、わたしと彼女の友情だ。

それはある種の惰性だったり、人間関係を最低限維持しようとする計算だったりするのかもしれない。
けど、そういった込み入った深掘りがしゃらくさく思えるような、ラフな誠実さが、彼女とのやりとりにはある。

今年もあなたを思い出したよ。
こっちは元気だけど、あなたはどう?

そう問いかけることができる彼女の誕生日を、わたしはとても好ましく思う。同じように、彼女から連絡がくる自分の誕生日を、特別だとも感じる。

特定の誰かを必ず思い出す日がある。それもお祝いのために。
同じように、誰かが毎年わたしを思い出してくれる日がある。
あらためて考えると、びっくりするくらい嬉しいことだ。

毎年決まった時期に「お元気ですか?」とたずねるところは、年賀状や暑中見舞いと、ちょっと似ている。
スマホも携帯電話もなかった子どもの頃は、同級生に年賀状を書いた。
今はスマホやメッセージアプリがあるから、もっと簡単に「お元気ですか?」を送ることができる。
うんとラフに、誠実に。

去年、予期せぬ機会に恵まれ、十数年ぶりに彼女と会うことができた。
わたし達を最初に引き合わせた、とあるミュージシャンのコンサート会場でのことだった。
わたし達はわずかな時間、会場の外でコンサートの感想を語りあい、旧交を温め、名残りを惜しみながら別れた。
そしてまた、次の誕生日を待つのだった。

相変わらず元気にしてるんだろうなと思うと嬉しくなる存在。
そういう友達がいることに、多分わたしは生かされている。
お互いの誕生日と、好きな音楽だけ知っている友人。
遠くて親しいともだち。

1年に1回の距離感。
彼女との誕生日メッセージ競争が、この先いつまで続くか分からないけど、その心地よく遠い友情を大切にしたいと思う。


では、また。

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