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ハタラク 次のステージへ 振り返り①


2021.0331 松江市 地域資源活用コーディネータ(地域おこし協力隊)3年間の任期を終了しました。
この日は松江市役所恒例行事の辞令交付式。松江市長からの辞令書をいただき市役所内のたくさんの方にご挨拶をさせていただきました。

退職でなく卒業な感じです。

久しぶりに着たスーツ(ちゃんとしたスーツは3年ぶりかもw)と
新しいヘアスタイルで貫録が出すぎかもしれませんが
ご挨拶させていただいた皆さんからは、
『雰囲気がかわってて気が付かなかった』
『え? まだ卒業してなかったの?』
『これからも応援してます&よろしくお願いします。』
という言葉などたくさん頂き、卒業感をたっぷり味わった一日でした!
松江市の皆さんから温かく見守られ応援するというムードは先輩方の地域での活躍があるからなのだなと今更気づきます。
昨年3月に設立した『ワークアット株式会社』https://www.workat.co.jp/で
引き続き松江でお仕事しますのでよろしくお願いします。(詳しくはまた)
お世話になった皆さんへのご挨拶がまだきちんと出来ておりませんが、松江に定住いたしますのでゆっくりとと思っています。

さて、松江市では地域おこし協力隊のことを
”地域資源活用コーディネータ”
と呼んでいます。
私もその言葉の方がしっくりくるのですが。
その意味が3年たった今よく理解できます。

卒業して感じたこと~振り返り~これからを
何回かにわけて綴ってみることにすることにしました。

振り返り① 
なぜ地域資源活用コーディネータ(地域おこし協力隊)になったのか?

この3年間 たくさんの方や取材の際に聞かれたこと。
その時々(立場)によって、回答のニュアンスを変えてきたけれど、究極の理由はこの3つかな。

セカンドライフを楽しむための移住についてきたセカンドキャリア
いつかは今の仕事をやめて違うところに住みたいと夫婦で話していたけれど
東日本大震災後 これからの居場所を真剣に考え始めた。
そして家族の病気もあり定年退職を機会に主人が先にリタイヤ&移住することに。
選んだ土地は島根県松江市。出身は隣の出雲市だけど、帰省の途中で立ち寄り宿泊した松江市がとても印象的でなんとなくここに住むのでは?と思っていた。
後で聞いた話だけど、主人も宍道湖の水辺や夕日を見て同じことを思っていたらしい。
実はなんとなく移住先を決めたのが先で、この職務を選んだのはその後のことだった。
現に、移住してからの2年間は前職をやめる決断ができず、東京との2拠点生活(リモートワーク)をしていた。
でもよく考えると、それまでに2つ目の理由である松江の人たちとの接点があったから、この場所を選らびこの仕事を選んだのだとも思える。

情熱ある人との出会いとご縁
さかのぼると5年半前、移住を考えはじめたころ、有楽町の交通会館でやっていた 「島根ふるさとフェア」(移住相談)にいってみた。その時に出会った「ふるさと島根定住財団」の方とはいまでも交流がありますが、当時ほんとに丁寧に島根企業の情報を紹介してもらったり、松江でスタートしたヨガにご参加くださったり松江にご縁を作っていただいたことに感謝してます。
島根に住みたいという気持ちはまだなかったけど、出会う人たちがとてもとても情熱的でユニークだった(笑
当時 産業経済部の部長だったY氏からのアポイント(忘れもしない)東京ステーションホテルのロビーで待ち合わせをして、主人と3人で 松江市で地域資源活用コーディネータ(地域おこし協力隊)の制度をスタートするお話を伺った。ロビーに響き渡る大きな声と前ノメリにお話されるY氏の姿は、私が想像していた行政マンとはちがって、とてもエネルギッシュでハートフル。
こんなに熱い本気の人が松江にいらっしゃるんだ!と2人で帰り道で話していたのを思い出す。
そのころは まだ移住や転職は現実的に考えられなかったのですが、移住を決めてから、出会う市役所の方や松江の方もとても元気w。じわじわを興味が湧いてきたというか 情熱にひかれたんだと思う。
着任後もY氏は一番の理解者でありサポーターでもあり、大きなプロジェクトの企画やプロデュースをご一緒したことが今につながっている。
人との出会いのタイミングは 振り返ると これまでの転職や決断に大きくかかわっていると思う。
『ご縁』ですね。

これまでと違うことをやってみたいという衝動
前職の恵まれた環境での仕事はそれなりの重圧もあったけど楽しかった。もちろん嫌な事もあったけど、一緒に働く仲間はみんなプロフェッショナルで何より担当させていただいたお客様との時間はとても楽しかった。プライベートでも週末ゴルフに出かけたり旅行に行ったりといわゆる”リア充”な生活だったのだと思う。
6年前にマインドフルネスに出会い、少し生き方の価値観がかわってくると同時に、そのころやっていたことは本当に自分がしたいことなんだろうか?と考え始めた。
長年続けてきたこのリズムから 違う生活や仕事の選択肢が マインドフルネス瞑想ヨガのエバンジェリスト(インストラクター) であり 地域資源活用コーディネータ(地域おこし協力隊)だった。正直はすべてが未知数だったし そこでなんかできそう位にしか思ってなかったかもしれない。

3年間はあっという間でもあり長かった気もする。
そして松江市への移住後の生活を夫婦共々楽しめている。気に入っている。
移住のタイミングも年齢的にも市況的にもベストだったのかもしれない。

ハタラク このステージも とても有意義な3年間だった。
松江市では地域おこし協力隊のことを”地域資源活用コーディネータ”と呼ぶ。
その意味は次回のNOTEで。

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