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自由主義の卑怯性

自由主義はいい。
素朴な感情としてそう思ってしまう。
それはなぜだろうか。そんな自問に対してのテキトーに考えた回答なので、多くの人にはあまり読む価値のないものになると思う。多くの方には、画面をタップするという無駄な労働をさせてしまって申し訳ないと思う。

さて、自由主義は他の思想と何が本質的に違うのだろうか。

うん、難しい、、、

思想といってもいろいろあるし、自由主義と言ってもグラデーションで多種多様になる。

でも、凄く端折って言うとこうだと思う。
「自由主義と他の思想との本質的な違いは価値観に対してdetachできてしまう」

価値観とdetachできるとはどういうことだろうか。

あらゆる思想は、論理的に展開してもどこか主観的な価値観にぶつかってしまう。保守でも共産主義でも結局、あれがいいこれがいいと、究極的に価値観を押し付けてしまう。

それに対して、自由主義というのは、いろんな思想の人が「あれがいい、これがいい」と考える、または実践する状態を肯定してしまう。

「あれがいい、これがいい」
「お好きにどうぞ(ただし、法律の範囲内で)」

という訳だ。
まさにdetach。
究極の根拠を価値観に置くのではなく、合理性に置くことができる(はずだと考える)。
みんなが自分なりの考えや実践を行える。(法律に反しない限りは)排除されることもない。
不快より快の方が良いという考えを合理的と前提に置けるのなら、自由主義は価値観に頼らずに実践できる思想になる(のかもしれない)。

でも、それは他の思想に主軸を置く人からすると卑怯に見えてしまうかもしれない。

「何が自由主義だよ、現代社会を肯定してるだけじゃん」と。

まあ、そうなのかもね。知らんけど。

また、自由主義の掴みどころの無さに不満を覚えて、「新自由主義が〜」とか「資本主義が〜」とか雑な批判を展開することがあるようにも思う。

でも、やはり個人的に価値観から(ある程度)detachできることの魅力は大きいのではと思う。たとえ卑怯であっても、卑怯であることが許容される社会であって欲しいから。

雑感なのであまりまとまっていません。
結構、思いつきで書いています。悪しからず。
もっと勉強して、ちゃんとまとめなという気持ちが若干あります。その時は、また読んでいただけると嬉しいです。

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