幸せのものさし
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幸せのものさし
今まで45年間生きてきた中で一番幸せだった瞬間は、子どもが産まれたときだった。出産したその日の夜、横で寝ている赤ちゃんを眺めているだけで、幸せで幸せでしょうがなく、圧倒的な幸福感に包まれて、感極まって勝手に涙が出てきたのだった。
人生で、こんなに満たされることがあるのだろうか。2回経験して2回とも同じように思った。
私の幸せの最高潮はそこにある。
そのほか、結婚式を挙げたときとか、オザケンのライブに行ったときとか。仕事がうまくいったときとか。人生に何度か訪れる幸せなとき、その幸せ度を計るとき、基準は子どもを産んだときの最高点から、どの位置にあるかなと私は思う。
でも、あの記録を超える幸福感は今のところない。
逆に、ツラさのものさしもある。
人生の中でどん底だったとき。それは間違いなく2つ下の妹が交通事故で亡くなったときだ。
あのときのツラさは、薄くなりつつも決してなくなることはなく、常にあるのだけど、踏ん張ってきたという自負はある。
悲しみを抱えながら、それでも私はここまで生き続けてきた。
底を突いた、あの辛さに耐えられたんだから、これから先どんなことも耐えられるだろうと思っている。
人生では時々いろんな辛いことがあるけど、妹が亡くなったときの辛さを思い出しては、「あれに比べたら全然つらくない。大丈夫」と言い聞かせる。
あの底辺での悲しみに比べたら「友だちとのケンカ別れなんて、なんてことない」となってくる。友だちが死んだわけじゃないし、遠くで元気でいてくれたら、もうそれでいいじゃないかという気になる。バンバンザイ。全然辛くないじゃないか、とすら思う。
あの苦しみに比べたら。
そうやって、私の中では「幸せの頂点」と「悲しみのどん底」を設定してある。
幸せ度を計ることはそんなにないけど、悲しみ度はよく比べている。
そして22年間「どん底」に君臨し続けていた「妹を失った悲しさ辛さ」だったけれど、今年これを超える「どん底」を経験した。
あれに耐えられたんだから…と思っていた「どん底」のさらにその下。あれを上回る辛さに初めて遭って、どうしたらいいか全然分からなかった。その最中にいたときは書くことも出来なくて、為す術なし。という感じだったけど、ようやく最近ちょっと浮上してきた。
ちょっと浮上して俯瞰してみると、あれは確かに辛かった。そう言えるくらいの位置にようやく戻ってきた感じ。
何十年ぶりかで「ツラさのものさし」を更新した。もう更新したくないけど。でも誰もが避けては通れない「親を亡くす」経験はまだだ。そのときがきたら「どん底」は更新されるんだろうか。
でも「幸せのものさし」は、これからもどんどん更新されるはずだと期待して。
幸せのものさし。いろんな人の「頂点」と「どん底」聞いてみたい。
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