女子とキャリアと女子校と:学力が高い女子の心理的葛藤、女子校の環境は女子をエンパワメントする
はじめに
私は「女子/女性はどのように野心が砕かれるか」ということを問題意識として大学院で研究してきました。研究し始めたころに目にして影響を受けた文献がいくつかあるのですが、その一つが今回の記事で紹介する「思春期女子のキャリアアスピレーション: 学力レベル、学年、女子校環境の影響(Career Aspirations of Adolescent Girls: Effects of Achievement Level, Grade, and Single-Sex School Environment )」です。2002年の論文(米国)なので決して新しくないのですが、性別役割規範にしばられて女性の様々な権利が停滞している日本では、全く古さを感じない研究です。
女子が思い描く理想のキャリア(米国80年代)
まず、この文献の中で紹介されていた女子のキャリアについて興味深い記述をいくつか抜粋して紹介します。
日本で暮らす私たちには思い当たることも多いこれらの記述、実は1980年代のものです(この論文の中で先行文献として取り上げられたもの)。長時間勤務、新卒一括採用など、日本では1980年代のまま止まっている働き方の価値観が問題視されながらも変わりませんが、女子/女性のキャリアについても同じことが言えそうです。それくらい日本は変わらない力が強いということでもあるのでしょう。
優秀な女子のキャリアへの心理的葛藤
日本では学力に限らず頑張っている女子に対して周りの大人や仲間が「(女の子なんだから)そんなに頑張らなくてもいいのに」などと言っているのを今でも耳にすることがあります。女子/女性は「女性らしい分野」以外で存分に頑張ること、表に出ることを否定されたり、頑張った結果が学校や社会から正当に評価されない経験を少なからずしたことがあるのではないでしょうか。この文献は、学力別に考察しているのが特徴で、そのような「女性らしい分野」以外で頑張る女子として、成績優秀な女子が経験する心理的葛藤についての記述もあります。
これは、学業を高達成できる女子が直面する「社会が期待する女性らしさ」との葛藤についてですが、学業に限らずあらゆる分野での「高達成」がこれに当てはまります。例えば、スポーツ、芸術、政治、ビジネス事業、専門職、どんな分野でもです。それぞれの分野で高達成している女性が、そうでない女性よりも女性らしさを表現しているのを見たことはありませんか?
日本の場合は良妻賢母型の「ひかえめな上品さ」で表現されていることが多いと思います。服装、髪型、仕草、言葉遣いなど、「上品で素敵な女性」であることを高達成するためには示さないといけないのです。この野心とは相反する要素を野心を見せないようにしながら表現できる女性だけが社会的に受け入れられ高達成できることになっています。
女子校が女子をエンパワメントする理由
この文献は「女子がキャリアの理想像を高くもつこと」について書かれているもので、サンフランシスコベイエリアで1000人規模の調査を行っています。その結果として「女子校に通う女子は、学年が上がっても安定してキャリアの理想を高くもっている」ことが強調されています。男子校の男子、共学校では女子も男子も学年が上がるとキャリアの理想が下がる傾向があるけれども、女子校の女子だけはキャリアの理想を高く維持できていた、ということです。さらに著者はその女子校を観察して以下のような分析をしています。
ここでは女子校を観察しての発見が書かれていますが、学校との精神的なつながり、大人による女子生徒への関心、女子生徒一人一人への注目、といった要素は、女子のキャリア理想像へのエンパワメントのために普遍的なもののだろうと思います。上記に「教室では男子が女子よりも注目されることが常態化していることがよく知られている」とあるように、日本に限らず学校と言うのは「男子の文脈」で運営されているものなので、学校に「女子の文脈」を意識的に取り入れることができれば、女子生徒のキャリアの理想を高く維持する助けになるように思います。
また、この文献では、特に学力が高い女子にとっての女子校の役割ついても述べられています。
その結果として女子生徒はより高い自信とより高いレベルのキャリアの理想を示すようになることが観察されたとのことです。これらも、共学校が意識して取り入れることで、女子をエンパワメントできるのではないかと思います。(共学に限らず女子校についても同様です)
最後に
この文献の1980年代の先行文献の記述を読みながら私が思い出すのは、1979年の映画「クレイマークレイマー」です。夫であり父親である男性は「男らしく」働き家庭を顧みずに仕事を優先、女性は妻と母に自分が閉じ込められることでアイデンティティ砕かれ家を出る。そして彼女は経済的に自立するなどアイデンティティを取り戻す。自分らしさを取り戻したところで子どもを引き取ろうとして裁判になる、という話ですが、この1979年の映画は今やっと日本で妻側の葛藤が理解されるようになってきたようも思います。(それでも妻が「わがまま」だという感想を持つ人も多そうですが…)
そして、調査が行われた頃の2002年のサンフランシスコベイエリアと言えばドットコムバブルに湧いていて、伝統的な名声の高い職業よりも、エンジェル投資家を見つけたり自分が作ったビジネスを高く売るという新しい形の「成功」「達成」に若者の心が動き始めた時期です。文献でもこの環境がキャリアの理想について聞いたアンケート調査に反映されたかもしれないと述べられていて、成績優秀な学生は旧来の名声度が高い職業を理想のキャリアとして選ばなかったことがい驚きとともに書かれています。
日本でも2020年代に入ってから、東京大学卒業生の進路が変化してきている、日本でも旧来の名声度が高い職業を選ばない野心的な優秀な若者が増えているという記事を目にするようになりました。ただ、スタートアップのピッチイベントなどを見る限り女性比率は医者や弁護士よりも低い印象を受けます。新しい「成功」「達成」の分野が旧来の職業以上に男性に占められているのを見るのは非常に残念です。
現代の女子学生に私が伝えたいのは、女子も様々なキャリアに野心的にチャレンジする自己イメージを持っても良いということ、理想のキャリアの達成への夢を友達と語り合って良いのだということ、そして存分に力を発揮して自分らしいまま達成して良いのだ、ということです。この記事が女子が本当に望む「達成」のためのエンパワメントに少しでも役立てば嬉しいです。
文献で使われた指標類
学力レベルのグループ分け(正規分布しているとして目安偏差値も記しました)
キャリアの名声度、Nakao–Treas Prestige Scores and Sample Corresponding Careers(ナカオ-トレス プレステージスコアと対応するキャリア例)
職業の名声の高さに応じたスコアの指標
おまけ 女性自身の問題にすることの限界
著者は、高成績女子のキャリア理想が70年代80年代より高くなったことについて「この結果は、キャリア願望における性差の平等化に向けて飛躍的前進を意味するように思われる。我々の発見は、ここ40年のフェミニズム運動の影響力の高まりによるところもあるかもしれない」、「1990年代後半、思春期の少女たちは、女性が名声の高い職業に就くことを奨励され、ある程度は期待されているという文化的メッセージを受け取っているのかもしれない」、「思春期の少女たちは、現在の世代において、かつてないほど多くの医学、法律、などのロールモデルや指導の機会にさらされているのは確かだ。これらのメッセージは以前の世代の少女たちよりも高い名声のある職業を目指すための強力に後押しをしているのをしているのかもしれない」とフェミニズム運動の成果の一つとして挙げています。
「かつてないほど多くの女性が医師や弁護士になったが、進歩は足踏み状態」 フィリップ・コーエンによる記事の中のグラフにあるように、たしかに1980年代から2000年代までの法学医学における女性の割合の増加は目覚ましくて、この研究記事が書かれた2002年には法学は半数が女性、医学は45%が女性です。ただ、その後は足踏み状態が続いています。
2004年には、アメリカで女性と野心についての記事も書かれていて、
「女性は管理職になりたがらない?」「女性には野心が欠けている?」ハーバード・ビジネス・レビュー記事から|板敷ヨシコ (note.com)
いかに、社会の、性別ステレオタイプ、女らしさ、というものの影響がいかに強力であるかというのを思い知ります。女性の問題を女性だけで解決する限界がこのグラフにあらわれていると思います。ここから先は「男らしさ」を含めた社会の作り直しが必要なのでしょう。
参考文献:
Watson, C. M., Quatman, T., & Edler, E. (2002). Career aspirations of adolescent girls: Effects of achievement level, grade, and single-sex school environment. Sex roles, 46, 323-335.
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