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「女性と教育」の視点で自分の人生を振り返ってみる 中学時代

私の中学時代は、80年代中頃です。あっという間。遠い昔です…。

前回書いたように、私の通っていた中学では、学校全体が「不良」に時間とエネルギーが割かれていました。なので、「男子か女子」という対立概念よりも、「不良か否か」とか「運動部か文化部」を考えることに頭をとられていたように思います。

技術家庭科については、私の親のころは技術科は男子、家庭科は女子だったようですが、私の頃(1983年中学入学)には、技術科も家庭科も授業は男女一緒でした。家庭科では調理実習がありましたが、女子が率先して何かをするということもなく、みんなでワイワイ手際は悪いものの楽しくやっていたように記憶しています。技術も女子がぶりっ子してできないふりをすることもなく平和でした。他の授業でも男子だから、女子だから、という役割分担もなかったと思います。当時プールがない学校だったので水泳の授業もありませんでした。

女子はやらなくて男子がやるものと言えば、体育祭の応援団長があります。前回も書いた通りこれは不良のための舞台で、副団長はヤンキーの女子がやっていたような記憶があります。音楽会では男女関係なく指揮者伴奏が決まりました。修学旅行は先生が生徒は粗相しないように管理するのが大変そう、という記憶しかなく男女で役割がとうだったかは覚えていません。生徒会の各委員長はまだ男子がやるようなイメージがあり、私が先生から打診されたのは、図書委員長と文化部委員長。図書と文化部は女子のイメージだったのだと思います。不良グループの中での価値観がどうたったのかは分かりませんが、中学時代はジェンダー観が現れるのは、授業よりも各種行事の時だったかもしれません。学校での日々は、思春期に差し掛かり、誰が好きだとかどうとか、どのアイドルが好きかとかそういう話で忙しかったように思います。

個人的に女子であることに薄っすら不満を持ったのが、受験に向けた勉強の成果に対しての、大人たちの反応です。私の方が高得点とっても、男子ばかりスポットライトが当たるのです(男子同士の場合は部活ヒエラルキーが影響することもありました。サッカー部部長が最強です)。埼玉の公立トップ校は男女別学なのですが、埼玉以外の人にも分かりやすく例えると、同じくらい優秀な女子生徒と男子生徒がいたとして、「桜蔭に行けそうな女子」と「開成に行けそうな男子」では圧倒的に男子がちやほやされるという現象と思っていただけると分かりやすいと思います。大人たちは男子の優秀さにはしゃいで、女子にはそんなに勉強できてもしょうがないよね、という態度でした。

均等法が施行されるのが1986年なので、私の中学時代は均等法以前です。大人たちは「女子は勉強や仕事よりも花嫁修業」「就職しても腰掛で結婚相手を探すため」という価値観だったのだと思います。女性をクリスマスケーキに例えて25歳過ぎたら価値が下がるなどと言っていた時代でもあり「女は勉強できすぎない方がいい」と平気で言う人がいる時代でもありました。参考までに、その人たちは今70歳過ぎです。25日過ぎたクリスマスケーキになりたくないと思っていた世代は今の60歳前後くらいでしょうか。

女子が思春期過ぎて女性になろうとする頃、あるいは高校受験をするころから、あからさまな女性差別が始まり苦悩することになるということなのでしょう。

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