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女子教育と士族階級、寺子屋から戦後まで

今回は、日本の女子教育で教えられてきた「規範」について考えるために、江戸時代末期から振り返ってみます。

規範(社会規範とも呼ばれる):社会集団の構成員が共有する行動のルールまたは基準。規範は内在化されたもの、すなわち、外部からの報酬や罰を受けなくても適合するように個人の中に組み込まれたものである場合と、外部からの正負の制裁によって強制されるものである場合がある。(Britannica.comからの翻訳)

江戸町人の学習は男女平等

明治の近代化以前、江戸時代末期には教育機関として寺子屋がありました。東北や九州などの農村部では女子の就学率が著しく低く地域格差が大きかったものの江戸中心部には女性の教師が多く存在し、共学が多かったことも分かっています。

江戸を、「町人地域」(日本橋、京橋、芝、下谷、浅草、深川神田)、「士族地域」(赤坂、四谷、牛込、麹町)、「混合地域」(小石川、本郷、本所)、「農村地域」(上記以外の区、郡部)、と4つの地域に分類した資料があります。これによると、「町人地域」の女性が最も男女分け隔てなく読み書きを学んでいたようです。エリート階級の特権として女子が教育を受けていた他国とは違い、江戸では、町人女性がエリート士族女性よりも生き生きと寺子屋に通い学び、女性の教師というロールモデルが身近にいたことも分かります。

江戸、士族女性の方が低い就学率

そこで、封建的な士族階級がどれくらい江戸町人と違っていたのかを知るために「町人地域」と「士族地域」の寺子屋の女子進学の内容を比べてみます。「町人地域」では、男子100に対する女子の就学率は94.8%、共学校が98.5%(女子校0.5%)で女子生徒の方が多い寺子屋は44.5%ありました。一方、「士族地域」は、女子の就学率は73.3%と町人地域より低く、共学校が100%(女子校0%)で7割強の寺子屋で男子生徒の方が多かったことが分かっています。どうも、同じ江戸中心部でも、女子の教育への熱心さは、町人と士族では趣が異なっていたようです。(「混合地域」はこの中間で、「農村地域」では女子の進学率が下がる)

明治為政者出身地の女子就学率

明治になり、元士族階級によって一気に中央集権化が進み、1872年には学制が発布され、寺子屋から学校システムへの劇的な変化が起こりました。次に、明治では薩長土肥という藩閥があったことから、為政者出身地の女子教育の様子を知ることで、政府の女子教育に対する感覚を推し量ることにします。

「日本教育史資料」から算出された深谷昌志の資料(寺子屋記載数の少ない県は除外されている表)によると、長州(山口県)は全国の中でも突出して寺子屋数が多い(長野に次いで2位)にも関わらず、女子の就学率はわずか17.6%、寺子屋のうち男子校が44.6%を占めていて、江戸とは様子が違いずっと男性中心的だった分かります。長州(山口県)以外は寺子屋の記載数が少なかったためか除外されて資料に記載なしとなっています。薩摩(鹿児島県)では郷中教育で武士男子の教育は盛んでしたが寺子屋の数は少なかったと考えられ、鹿児島の隣、熊本の寺子屋は女子の進学率4.1%、男子校率90.2%と圧倒的に男性中心で女子に教育の機会が与えられていなかったことがうかがえます。

士族階級が男女不平等システムを作った

封建的な士族階級が近代化のために教育を発達させるまでは、江戸には男女平等を実現するための社会的条件が整っていたという研究者もいます。歴史に「たられば」はないのですが、資料を見ると、江戸町人が日本近代化の中心で教育制度を作っていてくれたら、日本の女性の抑圧はここまで根深いものではなかったのかもしれません。それだけでなく、もしかすると、日本は世界の中でも尊敬される男女平等の国になれた可能性があったのではないかとも想像します。

現実は、明治政府による学習指導要領には、旧来の武家の性別役割規範が盛り込まれました。武家の家制度上下関係、礼儀マナーなどです。これらの作法と行動規範を身に着けた女性は上流であり、現代でいうところの庶民が憧れるセレブ女性でした。現代でも「一流になるためのマナー本」のようなものが売られていますが、当時も「良妻賢母」の規範を身に着けている女性は憧れであったことでしょう。さらに、庶民にも、女性の本分とされる「世話と癒し」の性別役割規範が、修身科などの学校教育によって刷り込まれ、強化されていきました。

戦後も正統でありつづける「良妻賢母」

戦後、修身科は廃止、新憲法第14条と第24条によって女性の権利が保障され、男女平等になりました。 しかしながら、明治以降の思想を支持する保守勢力は、憲法への抵抗として法律の中に(戸籍法と民法)家制度の価値観を温存することに成功しました。特に、当時、戸籍と民法の制定に関わった川島武宜は「日本社会の家族的構成」の中で、戸籍への家制度のイデオロギーの注入について考察指摘しています。その結果「良妻賢母」や女性の「世話と癒し」が家庭で親から子へ受け継がれる価値観としてだけでなく、日本人の正統な女性の在り方として今でも肯定支持され、根強いものになっています。(この正統性が夫婦別姓の障壁にもなっています。)

日本の女性の経験を考察するレンズ

女性の抑圧は、グローバルなものでもあり、ローカル(地域的)なものでもあります。日本の女性が経験する不平等について考察、女性の人生の経験を眺め分析するためには、単に性別役割分担の内面化というレンズ(ものの見方)を使うのではなく、近代日本の教育の歴史、戦前の政府が定めた「性別役割規範」といったレンズを使うとクリアに見えてくることが多いだろうと私は考えています。さらに、このレンズを通して、学校の隠れたカリキュラムを探ることで、日本の女性を抑圧から解放するヒントが見つけられれば、と思っています。

参考文献
土井たか子. (1996). 憲法に男女平等起草秘話. 岩波書店.
深谷昌志. (1981). 良妻賢母主義の教育. 黎明書房.
川島武宣. 日本社会の家族的構成日本社会の家族的構成, 2000.
蔵澄裕子. (2008). 近代女子道徳教育の歴史--良妻賢母と女子特性論という二つの位相. 研究室紀要, (34), 49-57.
斉藤泰雄. (2012). 識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験. 国際教育協力論集, 15(1), 51-62.
佐藤秀夫, & 寺崎昌男. (1970). 明治期の教育改革に関する試論. 教育学研究, 
下田愛, & 井上果子. (2013, September). 青年期男性が抱く 「理想の女性イメージ」. In 日本心理学会大会発表論文集 日本心理学会第 77 回大会 (pp. 1AM-019). 公益社団法人 日本心理学会.


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