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朝宿題をやる君へ

母は腹が立っているのだ。

前の日の夕方から
何度となく宿題をやるように言っても

のらりくらりと返事して
YouTubeだの漫画だのガンプラだの

結局は何にもしてなくて
お箸とか水筒とか手紙さえ出さずに

朝起きてから思い出したように
時間もないのに宿題に取り掛かる。

そんな姿を見ていると
非常に腹立たしいのだ。

なんで昨日終わらせてないの?
遅刻したって知らんからね!

そこらへんのワードが
頭の中をぐるぐるして

朝からとっても穏やかでなく
こんな気持ちで過ごすのも嫌なのだ。

わたしAはこう思う。
失敗して、自分でやらなきゃって思わないと
きっと変わらないのでは?

わたしBはこう思う。
決められたことをやりもせずに
やりたいことばっかりでいいのだろうか?

A:今の親は子どもが失敗する前に手を出すんだ
B:決められたことしないのに遊ぶのはどうなんだ?
A:今のうちに失敗したら気づくんじゃない?
B:わたしがイライラするのは平和じゃないのでは?

こんな押し問答が
わたしの中で展開されていたのだが

そんなこんなの続く時
ある言葉を思い出したのだ。

「良いと思う選択をしたらいいと思う。
    どれを選択するかはその人の役割だから」

尊敬するヨガの先生から
そんな言葉をもらったのを思い出し

わたしが良いと思う方法で
わたしの役割だと思って善処しよう。

意を決して学校から帰ったある日
宿題やテレビなどのルールについて

半ばゴリ押しながら息子に説明し
怒ってはいたものの

文句言わないでとりあえずやってみよう
ということに。

その日からまだ数日しか経ってないものの
それなりに気にしてくれてて

朝に宿題をすることはなくなった。
彼の目の前でイライラすることもなくなった。

遅刻ギリギリで宿題を終わらせるのも
一応やるべき事と認識してるんだと

今では思えるものの
朝は気持ちよくスタートさせたいよね。

母は今、穏やかである。

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