火を弾き消すたびに
なぜぼくたち社会は相対的な幸不幸を生み出そうとするのか?人間をより欲深い方向へ陥れようとするのか?カネが欲しいからか?地位が欲しいからか?羨ましがられたいからか?生み出す、と言うよりそれは演出に近い。本当はみんな、どうだっていいと感じているはずなのに。そんなことに本質のかけらもないことを知っているのに。
クリスマスは顕著で、その日過ごす相手が居ないだけで、"虚しい"とか"さみしい"と人に言わせるようになっている。『ケーキ・チキン・プレゼント』セット。そのセットが手に入らないと人間関係が貧乏だとでも云わんばかり。イベントではなくシステムのように思えてならない。クリスマスに一人で居ようが居まいが、別に他人は何とも思ったりしないのに、何故かそれぞれ当人は、自分ってさみしいヤツ、のような意識を持っている。持たされているのだろうか?
他人の行動なんて殆どがどうでもいいもので、いつ何時誰が一人でうろうろしていようが一切合切何も感じないし、逆もまたしかり、ぼくが何をしてるかも関係ないはずだ。ぼくが、他の誰かが何をしようが、お互いの人生には関係ない。もし関係があると思うならば、自分も飛び込まなければならない。
ああそういえば明仁天皇の八五歳の誕生日会見は、全てが自分と関係している、といった様子で、日本の象徴というよりも、日本が目指すべき日本の、平成の姿だった。あの徳の高さを全国の酒とラーメンのスープと味噌汁に溶かせたらいいのにな。なんてことを考えながら、チェーンの牛丼屋でオクラの豚丼とカレー豚汁を食べた。豚好きすぎかよ。しめて六六〇円。ここ最近では飯の値段は高いのか安いのかわからなくなっている。
近頃は一人でも、自分へのご褒美だとかなんとか理由つけたりして、祝日は贅沢に過ごすのが主流な気がするけれど、こちとら、元旦やバレンタインやGWなんかにファミレスで食事を摂ることに全く抵抗がない。年末も大抵ひとりで過ごす。むしろぼくは、そういう賑やかな祭りの時にこそ、かすれた日々の中に溶け込みたくなる。
なぜ?
ぼくは気づけば中野の立ち飲みに行って呑んでいた。ぼくは煙草をホルダーに挿して吸うのが好きで、というか、同じ金を出すならば、なるべく旨く吸いたい、というだけなのだが、それがまあ、絡まれる絡まれる。どうせ今日もそう。ほら、隣の奴が見てる。くるぞくるぞ。
「それ、なんですか。キセル、ではないの」
ほらきた。知ってるんだ、バレてる。ぼくは愛想笑いを浮かべて丁寧に答える。
「違いますね、シガレットホルダーです。これつけると煙が冷えて旨くなるんですよ。指も煙草臭くならないしね。ここら辺なら、中野の万富か新宿の紀伊国屋の下にある煙草屋で買えますよ。これは六百円」
もう数十回、いや、百回はやった遣り取りだった。後から追撃の質問が来るものわかっているので、最初から全部説明してやれ。それ以上話しかけてきなさんな。
「へえ〜、格好良いね。昔からそれなの」
「そうですね。吸い始めた時から。昔の恋人がキセルで煙草吸う人だったのもあって」
ぼくの願いも虚しく、彼はチョクチョクと話しかけてきた。立ち飲みの宿命だろうか。ぼくは寂しくて人恋しくてお喋りがしたくて立ち飲みに来ているわけではなくて、ただ飲酒がしたいだけなのに。話しかけて欲しくなどない。なぜ立ち飲みにいると話しかけても良いもんだと思われるのだろうか。両袖と前後に〔話しかけないでください〕とプリントされた服が欲しい。
彼は喋っているうちに、不意に、煙草一本とこの燻製チーズを交換してくれないか、と言ってきたので、ぼくは快くゴールデンバットを一本差し出した。彼は禁煙中らしく煙草は持ち歩いていない様子だったので、マッチで火を付けてやった。すると、カウンターの中の男が、「お洒落なつけ方できたのに」とぼくに言ってきた。なんでも、指で弾いて火を消すらしい。へえ、と思ってやってみた。いちどめは成功し、二度めは失敗した。
なんとなくそいつのお相手をするのにも飽きてきて、ぼくは会計をした。白角と山椒ハイボール二杯にチャージで千二百円弱だった。まあそんなもんだろう。山椒ハイボールは美味かったので、家でも試してみようと思った。割ものが炭酸水ではなくトニックウォーターがミソっぽいよなあ。
「帰っちゃうの。奢るから、もう一杯だけ飲もうよ」
なんてしつこい隣の男をたしなめて、店を出た。中野の商店街を通ると、ケーキ屋の前でトナカイの着ぐるみを着た女性がケーキ如何ですか〜なんて声掛けしてる。ちらと見ると、どデカいサンタ型のロウソクが売られている。サンタ炎上?なんでロウソクにしちゃったのかな。メッセージ性強め?
ぼくは高円寺の見慣れた風景に帰る。お気に入りの立ち飲みでもう少し。
今日の立ち飲みは、顔馴染みが四人と、入り口と奥側に男女のカップルが一組ずつだった。ぼくは顔馴染みと入り口側のカップルの間に通されて、バリキングを頼む。驚異の二百五十円。二五度の酒が濃いめに入れられていて、控えめに言っても”最&高”だ。飲み慣れた、いつもの味がする。煙草に火を点ける、瞬間、先ほどのお洒落なつけ方とやらを思い出す、が、あえなく失敗した。マッチをカウンター前の鉄板の上に吹っ飛ばしてしまう。すると、隣のカップルが、クスリ、としたのがわかった。ぼくの吸い方を見て「マリーアントワネットかな、なんだっけ、パンがなければお菓子」と言った。たぶんお前が言いたいのはマリーアントワネットじゃなくてオードリーヘップバーンだし、パンがなければブリオッシュだ。ぼくはひどく苛々した。ぼくがマッチの火を消すのに失敗したことや、ホルダーに挿して吸うことが、お前らの人生にどう関係するんだ。ぼくはひどく苛々した。何度か煙草を手から落としてしまうくらいに、震えていた。ああ、白状しよう、笑われたからさ、辱められたからさ。人を笑うのが好きなんだよな。みんな。
そのカップルは程なくして帰って行ったが、帰り際、外に出た女と目があった。やっぱりね、という顔をして。ぼくは多分、ひどい顔で見ていたんだと思う。怒りが透けた顔でね。
しばらく常連たちと談話して、ぼくは店を後にした。コンビニでタルタル南蛮と酸辣湯麺を買って温めてもらった。風が冷たかったけれど、そこらへんの駐車場の車止めに腰掛けて、まずタルタル南蛮をやっつけてやろう。酸辣湯麺は少し前から気になっていたけれど、少しカロリーが高くていつもやめていた商品だった。もう今日はいい。と、タルタル南蛮をムシャムシャ貪っていると、男が二人寄ってきた。
「何してんの」
「飯食ってます」
「なんでここ?!」「超寒そう」
「外で飯食うのが好きなんで」
ぼくは生返事で、声をかけてきた男の顔も見ずにタルタル南蛮を食べていた。下に敷かれたパスタが見えてきた。弁当とかの下に敷かれてる申し訳程度のパスタの素っ気さ、どうにも好きだ。
「つーか多くね!?これも食うの」
「こんな食べられないでしょ!ちょうだい」
ちょうだい、の声に、ぼくは眉を顰めて、顔を上げると、男は三人に増えていて、あろうことか、そのうちの一人、ヒョロッとした男がぼくの酸辣湯麺を開けて食っていた。はい?ぼくはもうパスタも食べ終えるぜ?
「返してくれない」
ぼくは言ったが、無視された。
「一緒に飲もうよ!大丈夫このデブの顔見て!安心でしょ?どっか知ってる?ねえねえ」
ぼくが、我慢していた酸辣湯麺。楽しみに取っておいた、酸辣湯麺。ぼくは悟った。好きなものは先に食べなければならない。なんで友達が人の飯を奪ってても平気なんだ、こいつは?おかしいだろ?
「高円寺詳しい?どっかない〜?」
「全部食べちゃった」
ぼくは唐突に携帯の電池がないことを思い出した。助けを呼べない。もう半ばやけくそで、顔馴染みの店員のいる焼き鳥屋を目指すことにした。あそこなら、なんとかなる。携帯も充電させてもらえるだろう。脳みそが震えているのがわかる。
「じゃあ、焼き鳥屋」
「いーね行こう!」
ぼくはよろよろと立ち上がった。男の一人が肩を組んでくる。やめてくれというが、聞かない。そりゃそうだ。人の飯を勝手に食う人間たちだもの。人の言うことを聞くわけがない。もうだめだ。いや、でも、あの焼き鳥屋に行けば、なんとかなる。なんとかなる。なんとかなる。なんとか。
なるべく早足を心掛けるものの、肩を組まれていて思うように歩けない。酒さえ持っていればぶっかけてやれるのに。クソ、クソ、クソクソクソ。
と、気づくと、声色が少ない。あれ。
「そういえば、あとの二人は」
「うしろにいるよ。すぐ来る。心配しなくて大丈夫!」
お前らの心配なんて誰がするかよ、馬鹿か、と思ったその時、携帯が鳴った。残りの充電は二パーセントだ。これはヤバイ。だが、出るより選択肢はない。近くにいる可能性だってある。
「もしもし」
「えー電話?」
馬鹿が。人の電話中に話し掛けるな!電話口の声色が半音下がった。ぼくは焦って、
「ちょっと黙って」
と肩を組む男に言った、その瞬間、男の力が緩んだ。ぼくはとっさに男から離れ、わき目もふらずに角を曲がり角を曲がり駅の人に紛れて、スタコラサッサと逃げた。逃げられた。
「あ、誰かといる感じ?切るね」
「イヤ、大丈夫。高円寺?ちょっとあのさ《ツー、ツー、ツー》」
切れた。こちらの充電が切れる前に、切られた。ぼくはきみに会いたかったのに。ぼくは掛け直さなかった。掛け直せなかった。
とぼとぼと、家に帰った。なんであんな奴らにぼくの食事を邪魔され、挙句横取りされなければいけないのだろうか。ぼくはどうしてこうも、すぐ人に絡まれてしまうのだろうか。どうして食べちゃうのかな。ぼくは、返せ、と言ったのに。
帰り道のコンビニに寄って、酸辣湯麺を探したけれどなかった。惣菜売り場を行ったり来たりして、後ろの方にある商品も全部確認したけれど、一つもなかった。ここ最近毎日見ながらも、我慢していたのに、こんな日に限ってない。代わりにでかいチキンが並べられていた。
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