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第64代内閣総理大臣 田中角栄

今も「田中角栄」は注目されています。その理由にせまります。

1.生い立ちや政治家としての功罪
(1)生い立ち
(2)内閣総理大臣時代
(3)ロッキード事件
2.なぜ今も「田中角栄」は注目されているのか?
3.ビジネスに役立つ田中角栄「名言」


1. 生い立ちや政治家としての功罪
(1)生い立ち

田中角栄は1918年、新潟県刈羽郡に生まれました。高等小学校を卒業後、旧制中学へは進学せずに就職しました。

夜間の専門学校で土木や商事実務を学びましたが、自らを「高等小学校卒」と称していたように、学歴は低く、歴代の首相で高等教育を受けていないのは田中角栄だけです。

(2)内閣総理大臣時代
土建会社を作って成功を収めると、国政へ進出しました。1947年に国会議員に初当選、郵政大臣(現・総務大臣)、大蔵大臣(現・財務大臣)などを歴任し、65年に自民党幹事長に就任。

72年、日本列島を高速道路・新幹線などの高速交通網で結ぶという「日本列島改造論」を打ち立て、第64代内閣総理大臣に選ばれました。

総理在任中には、日中国交正常化を実現。さらに、列島改造論に基づいて高速道路や新幹線の整備を進め、「地方分散」に取り組みました。

(3)ロッキード事件
裸一貫から総理に上り詰め、「今太閤」と呼ばれた田中角栄ですが、在任期間はわずか2年半でした。

「ロッキード事件」が発覚し、74年に内閣総辞職、76年には逮捕されました。しかし、自民党離党後も「闇将軍」と呼ばれるほどの影響力を発揮し、無所属で出馬して地元選挙区で当選し続けましたが、85年に脳梗塞で倒れると、90年 に政界を引退。93年に75歳で死去しました。

2.なぜ今も「田中角栄」は注目されているのか?
今になっても田中角栄に関する書籍の出版が止まりません。なぜでしょうか?

現代の政治家に対する不信感、リーダーシップ不足への不満、政治状況に対する閉塞感など、日本における政治不信が続いています。

つまり、こんな時代だからこそ、田中角栄から「明日への勇気や希望をもらいたい」いう人が多いからかもしれません。

毀誉褒貶が相半ばする政治家でありながら、裸一貫から上り詰めたエピソード、バイタリティ、人情味あふれる素顔に惹かれた人物像が、今もなお人々から魅了されている、そのように思えます。


3. ビジネスに役立つ田中角栄「名言」
<リーダーシップ>
・できることはやる。できないことはやらない。事の成否はともかく、思い切り仕事をしてくれ。すべての責任はこの田中角栄が負う。以上!

名指しで批判はするな。叱るときはサシのときにしろ。褒めるときは大勢の前で褒めてやれ

<話し方>
・話をしたいなら、初めに結論を言え。理由は3つに限定しろ。世の中3つほどの理由を挙げれば、大方の説明がつく

・わかったようなことを言うな。気の利いたことを言うな。そんなものは聞いている者は一発で見抜く。借り物ではない自分の言葉で、全力で話せ

<人間関係>
・私がかつて人の悪口を言ったことがあるか!誰か一度でも人の悪口を言ったのを聞いたことがあるか!

・人から受けた恩を忘れてはならない。必ず恩返しをしろ。相手が困ったとき、遠くから慎み深く返してやるんだ

・約束したら、必ず果たせ。できない約束はするな

<仕事の心得>

・功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る

・時間の守れん人間は何をやってもダメだ

・与えられた仕事に全力を尽くすことが、新しい場面を開く結果になる

・寝言を言ったり不満ばかり言っているヤツは、人生終わるまで不満を抱き続ける人間になるぞ

・世の中にはいいことなど少ない。嫌なことは、その日のうちに忘れろ

・世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。その中間地帯、グレーゾーンが一番広い。真理は常に中間にある

以上

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