見出し画像

着付け教室で思ったこと

昨日着付け教室で着物の知識の座学だったんだけど先生が「振袖はね、未婚の女性がこうやって袖を振りながら歩いて、男性を惹きつけるためのものなのです♡」って言って""どっ""みたいな感じで私もウケたんだけど

やべー。日本人って性的アピールの仕方わりと下品だよね。虫とか鳥のようだ。

和歌がかなり直接的な性的アピールなのはもちろんのこと、

花魁が前で帯を結んでいた理由の一説に、江戸時代頃既婚女性が帯を前で結ぶ時代があって、家事とかの邪魔になるから一般人はみな後ろで結ぶようになったんだけど、花魁は一夜限りの妻を演出するために前で結んでいた、というのがある。

「帯を前で結ぶ」とか、「長い袖を振る」とか、私たちが受けてきた女児への「おしとやか教育」と真逆の所にある発想だと思うんだよね。

これらの文化は前近代的な選ばれる性としての女性の生存戦略だった、かもれない。けれどこの話を耳にしたところで女はみんな(へーっ、まっ成人式で振袖着たいことには変わりなし)って感じだと思う。だから女性が自ら生んだ文化か男性の好みに迎合して生まれた文化かというのはまあまあどうでもよくて、とにかくこの"気持ちの自由さ"がきっと平安の女も江戸の女もあったと思うんだよね。

ペリーが来るまでの日本人が日本人の本性であり、特に平安時代や江戸時代の鎖国状態の日本人の姿というのはより野晒しの日本人なわけですよね、その時代の日本人は「ああ」なんだから日本人は「ああ」なのだ、と思ってる、小学校高学年くらいからずっと。「ああ」なのが悪いとは思わない。結局「ああ」なのだから、厳しい女子教育をする大人たちに(そんなに取り繕わなくても…)と思うだけ。

女の子なんだから〜しなさいor 〜してはだめ、と今でも親に言われるのですが、昔なんて今よりそれが強いわけで、そういう教育を受け過ぎているとやっぱり逆に帯を前で結んだり袖を振ったりする発想に至ると思うんだよね。女だから男だから、というのは人の行動を制限する正当な理由ではないからフラストレーションがたまって、平塚らいてうが『青鞜』を爆誕させるまでそのフラストレーションの正体が何なのか皆言語化も出来ないから爆発して結果的にはしたない文化が数々生まれた、というのは、イソップ寓話ですよね。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?