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紅 side 2

h「あ〜ん待ってよぉ〜」

この期に及んでハニーの甘い声。
店で待っていればいいものをと思いながら振り返ると、ハニーはライフル銃を引きずるようにして歩いていた。
ハニーの足音はいつものカツカツとした明朗な音ではなくブーツの重い音だが、それは靴のせいだけではないだろう。顔に疲れたと書いてある。

h「そぉんなに急がなくてもいいんじゃなぁい?こんなの楽勝なんだからぁ」

長いブロンドを頭の高い位置で結んでいる。
ハニーが我儘を言うたびにそれに賛同するかのようにふわふわと揺れている。

紅「…時は金なり。急いで」

事前に仕掛けた爆竹が遠くでけたたましくなっているのが聞こえる。
時間差でそれぞれの場所で鳴るようにしてあるが、警備員を撹乱するための簡単なものに過ぎない。長く時間稼ぎできるわけではない。
足止め用のトラップもそろそろ作動し始める頃だ。

h「そうだけどぉ…」

前から足音がした。警備員が歩いてくる。
スラリと背の高い細身の警備員だ。
帽子を目深にかぶっている。
敵の本拠地で正面から対峙するのは分が悪い。

「何者だ!」

警備員が銃を構える、ふりをした。
手には何も握られておらず、指で拳銃の形を作っている。
不敵に微笑んだ唇が大きく開き、腹を抱えて笑い出した。
ひとしきり笑うと警備員は帽子を取り去った。

「…なーんてね。久しぶり、二人とも」
h「フォックス!」

現れたのはとても懐かしい顔だった。
BARアプリコットの元従業員、フォックス。
スリの常習犯でママの財布をスッたことがきっかけで店で働くようになった女性だ。
店を辞めてから久しいはずだ。

紅「なぜここに…」
F「そこのお姫様から緊急召集があってね」

フォックスのウィンクの先にはハニーがいた。
嬉しそうに軽く飛び跳ねている。
ハニーはフォックスによく懐いていた。
この女性は手癖が悪い代わりに年下への面倒見がいい。

h「来てくれると思ってたぁ!フォックス〜!」

飛びつかんばかりの勢いだ。
しかし、ハニーの気持ちもよくわかる。
確かにフォックスは心強い加勢だ。
警備員の男装が様になっている。
これなら正面突破も容易い。

F「囚われの女王様を迎えに行くんだろ?」

フォックスが帽子を被り直す。
髪もきっちりと帽子に入れ込まれ、どこから見ても細身の男性警備員に早変わりした。
ハニーはフォックスの男装技が好きなようで、いつもこれを見るとはしゃいでいる。今も例外ではなかった。

『緊急放送、緊急放送、建物内に侵入者アリ。繰り返す建物内に侵入者アリ。D棟ニ至急応援求ム』

耳を劈くようなサイレンと共に女性の声の放送が流れた。敵に勘付かれたようだ。
急がなくてはならない。
どれだけの手練れでも多勢に無勢は避けるのが鉄則だ。

F「紅、あんたそれシワになるよ。そんなに心配しなさんな」

フォックスが自分の眉間を指差してヘラヘラと笑った。
急ぐように促しても、まあまあと宥められる。
歩く速度も全く以って普段通りだった。

F「だーいじょうぶだって。よく聞いて」

今度は天井を指差す。放送は以前流れているが、それをよく聞いたところで状況は変わらない。

紅「何を言いたい?」
h「ん〜?」

『コード821、BO09、4X。Agより』

それはBARの従業員が4人だった頃に考えたおふざけのコードネームのようなものだった。
821はハニー、4Xはフォックス、BO09はブック、極東の島国で"本・書籍"を意味する言葉と紅の発音が似ていることから私を意味する。
そしてAgは銀の元素記号。

紅「シルバー…!」
F「アイツが時間稼ぎしてる間にちゃちゃっと済ませますかね〜」

フォックスが警備服の胸ポケットから金属を取り出した。ジャラッと擦れる音がするそれは、ごつい鍵が何本もぶら下がっているものだった。

h「言ったでしょぉ、楽勝だって♡」

ハニーがハート付きのウィンクを飛ばしてきた。
こればかりは頭が上がらない。
お返しが高く付きそうで、思わず笑ってしまった。