うたを聴く その① "人間だった"
〜「謙虚さ」と人間〜
春が近づいてくると、羊文学のプレイリストを再生する。羊文学とは…
いわゆるオルタナティブロックバンドである。
爽やかなギターとドラムがリズムよく進んでいく。
そこに透明なモエカさんの声が染み渡って行く。
春の日、穏やかな日差しの下で外を歩きながら聴くのにふさわしいバンドだとつくづく思う。
今朝は電車に揺られながら彼らの「人間だった」という曲を聴きながら、あれこれ考えた。
一番好きなのはこの部分。
この歌詞!どうやったらこんな歌詞をこのメロディにのせて届けられるの?っていうくらいに凄い。
「神様じゃない」ってすごく思う。
私たちは所詮人間なのに力を持つようになる(錯覚する)と、まるで自分たちが一番偉くて強いように振る舞うようになる。
動物に対してのニュースが流れるたびに痛感する。人と人の話だけど、戦争も植民地にずかずか入っていく人間にも同じことが言えるんじゃないかなと思う。
それから、「人間は神になろうとして落ちる」。
自然災害が分かりやすい例だなと思う。
神さまはそうやって忘れてしまう人間に試練を与えるのだなと思う。
そういえば、後期履修していた英文学の授業で扱ったジョージ・オーウェルの"Animal Farm" (『動物農場』)では人間と動物の相互関係が辛辣に描かれていたな。人間が力を持ちすぎてしまった結果と危険性について。やっぱり人間ってそうなってしまう傾向にあるのかもしれないなと思った。
自分も知らないうちにそっちに傾いてしまっている時もあるかもしれない。怖い。謙虚さって大事だと思う。
私は周りから「謙虚になりなさい」と言われる側にいる人間なので、この「謙虚さ」という言葉があまり好きではない。私の勝手なイメージは、「謙虚になるって自分の意志を折り曲げて相手に迎合することでしょ?」と長らく思ってきた。でも違うのかも・・・?
これを機に少し良いイメージを持つように努力してみよう。(それから、もう少し謙虚になれるように頑張ってみる・・・(笑))
いわゆる現代の操作・情報社会のことを歌っているのかなと思う。
AIが出てきて、人間社会が少しずつ変化していることを日々感じる。(追記: 最近、チャットGPTというものが巷で話題になってるが、それも良し悪しがある…)
人間がしなくていいものは全て機械やAIが代わりにやる。これに関して賛否両論あると思う。自分もまだ曖昧な立場だが、便利になったといえばなったのではないだろうか。今まで人間がやっていたことを機械がやってくれるようになり、他のことに力を注げるようになったのではないかと思う。
しかし、私が気がかりなのは速さにこだわる現代社会だ。
SNSで投稿をすればすぐ誰かがみて反応がくる、
インターネットの普及、
ネットで商品を注文すれば翌日届く、
何かを食べたくなったらケータイで注文すれば家から一歩も出ずに生活もできるわけだ。
想いを伝えるときなんかもLINEを使うなんて時代である。
憤慨する。(笑)
こういう現代の傾向に否定的な私は同年代の若者から(私も若者だが笑)白い目で見られるのだろうと思うが、私は今より昔にロマンを感じる。そう考えることはやめられないのでこのまま突き進んでいくしかない。笑(共感者が現れてくれたらそれはそれは嬉しいのだけれど・・・)
SNSは便利だと感じることが多いけれど、やっぱり手紙の良さを日々感じる。季節ごとに便箋を変えてみたり、季節の挨拶をしたり、何より自分の字で書いて想いを人に伝えることの美しさを忘れないでいたい。
最後に先日読んだ下重さんの本を。
現代の人間の「速さ」を追求する傾向などを言及していて、なるほどと考えることがたくさんあった。近々再読したい。
確かに、確かに。うんうん頷きながら聴き入っているうちに目的地に着いてしまった。
人間って、すぐ忘れちゃういきものなんだなーって改めて思った。
だからこそ、この曲聴いて「謙虚さ」について思い出さないとなと思う。
がんばります。
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