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夢を持つということ

※この記事は私の思考を整理する目的で書いています。なので書いてあることが破綻している可能性があります。「こいつなんかいってらぁ」ぐらいの軽い気持ちでお読みください。



私には夢がある。「本を出版したい」というものだ。私が死んだ後も、半永久的に残り続ける本が私が生きた証明になり、常に誰かの為の助力になれる可能性を秘めている。とてもロマンチックなことだと思う。私は小説家という職業がこの世で一番ロマンチックな職業だと思っている。

夢を持つことは良いことだと思う。夢は人生を豊かにする。平凡な道に装飾を施せば、歩いているだけで楽しい気分になってくる。それがイルミネーションなら尚更いい。明かりの無い真っ暗な夜でも、装飾の光が足元を照らして、進むべき道を教えてくれる。

でも、その先が崖ではないという保証はない。

夢は人を導くと言うが、人を狂わせるとも言うと思う。

私は夢を追うにあたって、色々なものを減らしてきた。まず仕事の労働時間を最低限に減らし、社会的信用も減らし、安定した未来の可能性を減らした。それでも、また夢に追いついていない。

私自身は、自分の現状をそこまで暗いものだとは思っていない。夢を諦める気は無いし、まだまだこれからだと思っている。でも人によっては、今の私を「悲惨だ」と言う人がいるかもしれない。失うものだけ失って何も得ていない。キミの選択は間違っていたのだと。

実際、そう言われても言い返せないのが現状だ。もちろん悔しいけど、事実は事実。だから言われても私は黙って堪えるしかない。それが嫌だから、「本を出したい」という夢は、本当に信用できる人にしか話さないようにしている。私の記憶が正しければ、たぶん片手で数えられるぐらいの人にしか話していないと思う。「自作で小説を書いてる」とかは結構あっさり言っちゃうけど、その先を言ってもいいと思えるような人はなかなかいない。

そんな、私の夢を知っている人たちが、心の中で私のことをどう思っているかは、エスパーでもない私には分かりかねる。有り得ないと信じたいけど、「こいつ悲惨だなぁ」と思われている可能性もゼロではない。ショックと言えばショックだけど、やっぱり仕方がないとも思う。実際、私が能天気なだけで、割とけっこう悲惨なのかもしれないから。

私が逆の立場だったらどうだろうか。うーん、でも、ないかな。人の夢を笑ったり、それに向けて頑張っている人を哀れんだりするのは、やっぱりとても失礼だと思う。だから私は絶対に人の夢を笑わないけど、世の中には平気で笑うような人もいるとは思う。

目指している夢が膨大であればあるほど、それを笑う人の数も合わせて増えていくのが常だ。「子供みたい」とか「馬鹿みたい」とかの、嘲笑いだ。そんなことを言ってくる人は、きっと夢を持っていないのだろう。それ自体は別に悪いことじゃない。中には「夢を持たない人生はつまらない」と言う人もいるけど、私は別にそうは思わない。

なんというか、夢っていうのは、追わなきゃ生きていけないから追うものだと思う。堪え切れない思いのことを、夢というのだ。だから夢を持たないことが悪いとかつまらないということは、決して無い。夢を持たないで楽しく生きていけるのなら、それに越したことはないのだ。

私はそのタイプの人間ではなかった。夢が無いと満足に生きていけないタイプの人間だった。どんなことをしていたって、頭の片隅では常に小説のことを考えてしまうから、私は夢を追いかけることにしたのだ。

だからもし、夢を追ってそれが叶わなくて、崖から落ちるようなことがあったとしても、それは仕方がないことだと思う。他に選択肢が無かったのだから、後悔もしようがないではないか。

つまり何が言いたいのかというと、夢を持ったのなら、あまり深いことは考えずにそれに向かって頑張ればいいんじゃないかということだ。とりあえず、夢中になって今やりたいことをやればいいんじゃないかと思う。運命というやつが存在して、それによって崖から落ちることが決まっていたとしても、別に死ぬと決まったわけじゃない。崖の下で瀕死になって生き延びている可能性だって全然あるのだ。落ちて死なないぐらいの高さの崖なら、きっとまた登っていける。もしかしたら、まったく別の道が見つかるかもしれない。それはそれで僥倖だ。

人によっては、私の言っていることを「甘い」と一蹴する人もいるだろう。それは否定しないけれど、どうか放っておいてほしい。生きる目的なんて、みんな違うのだから。

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