見出し画像

難しい 「アイデンティティの確立」

この画像は以前にも選んだことがあるような気がします。

ここで言う「アイデンティティの確立」の意味するところは、単に精神的な問題ではなくて、客観的な認識のことを指していると、自分では思います。

組織に所属しないで確立するのは難しい

何か、信頼される組織に所属している場合は「私は〇〇に所属しています」と言うだけで、社会的に信用され、自身もそれを認識できます。
長い間、そういう属性を持ち続けている人には「アイデンティティの確立」ということを特に意識しなくても、自信の存在を当たり前のこととして認識できると思います。

全くのスタンドアロンがアイデンティティをどのように確立するか

これは非常に難しいのではないかと思います。
最低限の組織である「家族」に属している場合、そしてそのルーツが確かな場合は、そのことを拠り所にできると思いますが、そうでない場合は非常に難しいのではないかと。

SNSによる確立

SNSの「つながり」には、なんら法的な意味合いもなく、お互いの関係性に責任も伴いません。
つながっているときには、自分は誰とどういう関係にあり、どのようなグループに属しているかが表現できますが、つながりが切れた場合には、一瞬にしてその関係は白紙になります。

だからSNSだけでアイデンティティを確立することは難しく、あくまで一時的な、仮想的なアイデンティティであるかと思われます。

アイデンティティが確立できないことによる不安

たとえば長い間会社に勤めていた人が、何らかの事情で急に辞めなければならなくなったとき、そして会社を離れて一人の存在になったとき、一気に不安が訪れると思います。

そこで初めて精神面の問題と合流するのでしょう。

会社で頼りにしてくれていた部下や後輩も、しばらくの間はつながって自分を立ててくれるでしょうが、やがて疎遠になり、別の世界の人になって行きます。

自分が社会を作れるという自信だけが頼り

若い頃には、自分が頑張ればいくらでも居場所や社会を作れるわけですし、居場所が無くなるということを意識する必要もないでしょう。
社会は常に若者を必要とし、期待しているからです。

もし若者で居場所がないと真剣に思っている人がいるとすれば、もう少し頑張って周りを見渡し、目を凝らす必要があると思います。
必ずどこかに居場所があり、そこでアイデンティティを確立できます。

問題は年寄りですね。
会社の場合は「定年」というものがあり、いくら活躍したくても時期が来れば自動的に役を解かれます。
組織からも遠ざけられます。

その際、新しい社会を作れるかというと、気持ちはともかくとして、現実にはなかなか難しいものがあるでしょう。
自分を受け入れてくれる「シニア応援」のようなスタンスの組織に身を寄せて、ひっそりと生きていくしかないのでしょうね。
そして、受け入れてくれることに感謝をしつつ暮らすのでしょう。

まとめ

今回はシリアスな話になりましたが、自分自身を投影するような形で書きました。
note では、アイデンティティが不足している面を、自分が作り出すコンテンツで補ってきましたが、コンテンツがアイデンティティを形成するところまでは行っていません。
それでも自分自身はコンテンツを作り続け、ハンドルネームの上に載っているささやかなアイデンティティを、大事に守っていくのだろうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?