夜街のメロンジン
この街には昼がない。一日中夜のようで、みんなそれぞれの気分の時間に酒を飲み始めるそうな。だから赤提灯もずーっとついたままなんだとか。住民たちは毎日同じ話を交わしては、初めて聞くかのような反応を取り合っていた。あまりに黒すぎる空の下、二人の男が並んで歩いてきた。年の差から見て師匠と弟子、というような関係かな。60過ぎに見えるおっちゃんは常に酔っている。陽気でふざけたことばかり騒ぎ立てながら、いつもこの狭い街の向こう側から歩いてくる。「まず声がやってきて、次におっちゃんがやってくるのさ」。誰かがそれとなくそうやって僕に話した。その師匠について歩くのが30後半かな、決して格好の良い方ではないが、気さくで気配り上手な彼。「しんちゃん」と呼ばれていたっけ。陽気に(少しうざったるく)誰にも絡む師匠と、誰も傷つかないように気を配りながら師匠の肩も持つしんちゃん。二人が歩けば街も昼間のように元気になったものだ。
あるとき、何があったのかは知らないが師匠はひとりトボトボやってきた。声でなく、まず師匠の肉体が街に現れたものだったから、街中みんなびっくりして、あれ声が枯れたのかな、いやいや何かあったに違いないと、ヒソヒソ話がはじまった。
僕はたまたまその場に居合わせただけだったのだけど、そしてたまたま師匠と目が合ってしまっただけなのだけど、瞬間、師匠が走ってきて僕に飛びつき、張り倒され、プロレスの寝技をかけられた。痛い痛い痛い痛い!!叫ぶと師匠は笑いながら「決めたっ今日からお前がしんちゃんや!」と訳のわからないことを叫んだ。
仕方なく師匠に付き合う羽目になった僕は、行きつけだと言うスナックについて行くことになった。師匠はカウンターに座るや否や「いつものね」、ママは慣れた手つきで手際良くウイスキーのロックを作った。「あれれ、ママ、この棚の酒はなんだい」「それはジンよ、それも珍しい。メロンの皮を使ってるの」「これほしいなぁ」「やめときなよ、絶対アンタ好きじゃないから」「うるせぇんだい、やだやだ、俺は決めた、これに変えた」「それならこのあんちゃんに頼んでもらいよ」
結局僕がそのメロンジンを頼む羽目になった。「一口だけですよ」そう言って差し出したグラスは帰ってくるはずもなく、二つのグラスを占拠しながら師匠はいつもと変わらないジョークをぺらぺら語った。ママはそれを初めて聞くかのようにして、驚いたり、相槌を打ったりしていた。
何杯か飲んだところで師匠は床に倒れ込んで寝てしまった。ママは呆れながら「いつもこうなのよ、ごめんね、しんちゃん」と言って、師匠に毛布をかけてやった。僕はしんちゃんではないけれど、「いえいえ」と振る舞うことでこの街がなんとか保たれることを悟っていた。
翌日から師匠はこの街に来なくなった。次第に朝日がさすようになったこの夜街は、けれど以前よりも暗くなったような、そんな気がした。
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