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書きたい気持ちの原動力


最近、落ち込んだり、後悔したり、
泣いたり、また泣いたり、している。

そうして、少し落ち着くと、自分の悲しさの、あるいは哀しさの根っこみたいなものに気付いて、noteの下書きに仮タイトルをメモする。

それは、「夏休みの宿題をこなすスケジュールを立てるだけで達成感に満ちて1日目終了」的な要素もあったりはするけれど。


いつの間にやら、下書きフォルダは一杯になった。
一体この中の幾つが、本当に記事になるのかな。



仕事でも、頼まれている訳でもない、「書くこと」を
日々意識して、生きているワタシ。

ワタシこと、私の、
「書きたい」という気持ちの原動力は、一体何だろう。


いつかnoteで有料記事を買って貰えるようになりたいとか、kindleや書籍での出版を目指したいとか、、

色んなクリエイターさんのページを見て、
「書くことの終着点」の様々を知る。

そして、noteってこんなに住人が居たの⁈と驚かされる数のフォロー数のクリエイターさんの記事は、本当に、面白い。
こりゃ、読みたくなる。こりゃ、生業に出来る。凄い。


、、、

私は、何故書くんだろう。
何故、書きたいんだろう。

少しでも誰かに認めて貰いたいから?
遠い未来にでも、何らかの結果を出したいから?



ところで、私は「日常生活が何もかも順調で、幸せいっぱい」の時よりも、「つらい、どうにも上手くいかない」そんな時に書きたくなることが多い。

誰かに、言われて、されて、嫌だったこと。
誰かの表情や仕草、声色に、傷付いてしまったこと。

自分の中の濁った感情、自己中心的な考えや振る舞い、
甘え、後ろめたい気持ちに気付いた時。

私は、とても書きたくなる。

たぶん、それは前述したような目論見も0とは言わないけれど、やっぱり根幹にはただただその気持ちを「書きたい」ということに尽きると思う。
書いて、整理したい、癒されたい、懺悔したい、もうお終いに、したい。



「話す」って難しい。

一瞬で、適切な言葉を、目の前の人を不快にさせない方法で伝えるということ、分かりやすく伝えるということ。自分の心の底を伝えることは、たとえとても親しくても、いや寧ろ大切な相手ほど、難しいかも知れない。

相手の表情や仕草、相槌の雰囲気にあっという間に気持ちがもっていかれてしまって、伝えたい気持ちの言語化に脳みそが追い付かなくなってしまう。

「書く」は、「自分が書きたいと思う時」に、気持ちの赴くまま大胆に言葉を紡いで、ゆっくり自分のペースで読み返して、表現を変えてみたり、分かりづらいと感じる部分に言葉を加えてみたり、出来る。

言葉の受け手が見えないことで、自分自身の気持ちや言葉に集中出来る。書いていくと、「考えて、書いていた」つもりが、書いた文章に自分自身の無意識に抱いていた感情を教えて貰うことさえある。

私には「書くこと」がベストな自己表現の仕方であり、生き抜く手段であり、自分を認めてあげる方法、みたいです。

皆さんの
「書きたい気持ちの原動力」は、何ですか?



P.S.
思い返せば、小さい時から書くことが好きでした。

小学生の頃、同時に5冊交換日記をしていたので、手元に2、3冊ある日もありました。一日中一緒に居て、よくそんなに書くことがあるよね、と思ったけれど、一日中一緒に居るから、書くことがあったのかも知れないと今思いました。

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