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お金のためじゃなくやりたいことがあるっていう贅沢

今日もnoteを開いて、私の気持ちを書こうとしている。お金にはならないけれど、私は書きたくて書いている。

主婦の時給、薬剤師の時給。
人生の総時間数。

そう、お金だけじゃない。
私は元々、“時間をつかう”ことに対して敏感な方だった。

5千円を払って気を遣う飲み会に参加するより、
そのお金と時間で気が合う友人や恋人と食べる外食の方が美味しいし、楽しい。より人生を“有効”につかえている気がしていた。


同じ感じで、ゲームに熱中する人や推し活をする人をみて、少し勿体ないと思ってしまうこともあった。

まず前者は、人生は有限なうえ、若くて健康で元気に色んなことを楽しめる貴重な時期をゲーム画面を見つめて過ごすなんて、勿体ない。

そして後者は、自分の生活費は切り詰めて、その分遠征費やグッズ代に充てる“推し活”の姿をみて、その分自分の内面や外見を磨くことに時間やお金をつかえるのに、勿体ない。

つまり、どちらも自分の人生を生ききれていないんじゃないかと感じてしまっていた。

本当に余計なお世話だけど。 


ほんでもって、最近それは大いなる間違いだったことに気付いた。
どちらも、かなり生きているじゃないか!

ゲームに熱中して、徹夜したり、ゲームの攻略のことばかり考えてしまうとか、推し活でいつもコンサートの遠征予定をベースに生活費や自分の予定を調整してしまうとか。

一つのことに夢中になって、他のことが見えなくなる、他のことが些末なことになる状態。

めちゃくちゃ、人生を生きてるじゃん?
めちゃくちゃ、幸せなことじゃん!
と、30代になって、気付いた。


でも、たぶんこれは私が女性でまぁまぁ若いうちから人生の全体像を逆算して考えてしまっていたから仕方がなかったのかも知れない。

実年齢より見た目が綺麗で若々しい女優さん達がちょうど出産ラッシュの時、大学の授業で高齢出産のリスクや妊娠率の変化を学びながら、芸能人の華やかな報道の裏側を少し想像してしまった。

私にとって、20代は
“得て、進めなくてはいけない”年代だったし、
“女性にとって一番輝いて可能性のある”年代だった。

そんな風な意識が根底にあれば、自分にとってプラスになるかとか、大切な時間をつかうに値することかなどと考えて、小賢しく生きてしまうのも自然なことだったと思う。 

私は、急いでいた。
自分の人生、将来をより良いものにするために頑張ることに、やりがいがあった、生き甲斐があった。

そうか、、
まぁそれはそれで私の生き甲斐、だったのか。

私は1時間程度費やして、この記事を書いた。
集中したこの1時間は、すごく贅沢な時間だった。
 

P.S.
マイベビーは抱っこひもの中ですやすや寝ています。初めて見る野菜やおもちゃに、毎回口をあんぐり開けて、目を真ん丸にして、一生懸命生きて、一生懸命寝ています。

サポート頂けましたら、自分へのご褒美スイーツを買いたいです!そして次なるパワーに変えて、もっと良い文章を書きます(^-^)/