ジェンダーレス運動会の問題、テクノロジーは性差別を超越する
「運動会なんてやめてしまえばよい。」言い過ぎか。
ちょっと前に、地方視察で回っていた時、とある地方の運動会を見る機会があったのだが、私にはかなり衝撃的だった。
全校生徒で30人程度。恐らく村落のすべてが家族総出で来ているのではないか、校庭の周りに自由にテントを張り、椅子を並べて談笑している。
運動会は、町ぐるみ、家族ぐるみののんびりとしたイベントだったんだ。
「翻って、都会の運動会は忙しい。」
狭い校庭に何百人の生徒。朝からの場所取りと競技ごとの移動。一斉に構えられるカメラ。とにかく人が多いし、知らない人ばかりだし、人との距離が近すぎる。
単純に運動会の体験だけでも、都会と田舎でこれだけの違いは出来ている。運動会の形が決められたものだと思う必要もない。
「最近は特に、ジェンダーレスやLGBT対応が必要。」
とにかく男女で分ける競技はダメという事。トランスジェンダーの子もいる中で、どちらに行っても不公平感や疎外感をもたらしてしまう。
いつまでも過去のノスタルジーに浸っている暇もなく、ならば積極的に変化を取り入れていこう。
そんな解決法の一つがやはりテクノロジーの利用。
2023年6月、国際オリンピック委員会IOCはオリンピックeスポーツシリーズをシンガポールで開催した。今後eスポーツ(つまりゲームw)は、正式なオリンピックのイベントになっていくことが想像される。
例えばテコンドーの試合を見て驚いた。動画がこちらに有るので見て→ https://olympics.com/ja/
これは、「スポーツそのもの」。
しかも人種の壁、性別の壁を意図も容易に乗り越えている。いうならばスパシアル(空間的な)ギャップも乗り超えている。リアルとバーチャルが組み合わされ、身体能力と戦略性も加味され、まさに新時代のスポーツ。
「これこそが不可逆的な世界線だ。」
単なるゲームと言ってしまえばそれまでだが、今のテクノロジー進化のスピードを考えると数年経ったら大変なことになっているのは間違いない。
小中学校の運動会が昭和的議論に終始している中で、世界はもっと早く動いている。そもそもジェンダーレスもLGBTも、もはや全く気にする必要すらないレベルで。
そのカギはテクノロジーにあるんだよね。
運動会の半分はFortniteで良いんじゃないかしら。