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隣のアイツはいま何してる?~ラボインタビュー vol.1「変人類学研究所」

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いつだって世界を変えたのは変わり者だった。

東京学芸大学Mistletoeが取り組む新たな教育の試み、Explayground(エクスプレイグラウンド)。
Explaygroundには、子どもたちや学芸大を始めとした各大学の学生、教職員、地域住民などが参加し、今後、企業や行政などとの共同研究の核となっていく「ラボ」が多く存在します。
しかしラボにおける活動も、コロナ禍による影響を大きく受け、大幅に制限されたり活動自体を休止したりしています。
でも、何事にも学びはある。
この1年、各ラボがどのような活動を行っていたかをオンライン取材。
第一回は一部から熱狂的な支持を得ているラボ『変人類学研究所』。通称、変人研。代表者である小西所長と正木副所長に話を伺いました。

“ズラシ”が根源的な力となる世界

変人研で行っているのは実践型の研究。生まれつき誰もが持っているであろう感性や特質、いわゆる常識や型にはまった世界認識からズレを生じさせるような感性や特質を、どう活かしていくのかをテーマにしています。
価値観や認識が固定化されたり均質化されてしまうと、そこからズレた人間を「変人」扱いしたり、異質なものとして排除し、はしっこに追いやる社会(周縁化させる社会)が構成されます。それはエクスクルーシブな、排他的な社会です。
そうではなく、そのズレそのものや異質性、違和感などをどこまで大切にし、多様性を許容するインクルーシブな社会や教育現場を構成できるか。
むしろそういうズラシが新しいクリエイティビティなものを生み出す根源的な力となり得るだろうという仮説から、インクルーシブ教育×クリエーティブ教育をどうやってプログラム化できるかを研究所の目標としています。

“変”差値を高め、“変”人環境を許容する社会の構成

それから我々が「変差値」と呼んでいる、常識にとらわれない豊かな発想を基盤とした思考力・行動力を、高めていく教育のあり方や、「変人環境(Henvironment)」と呼んでいる、ズレていくような子どもたちや大人を、ちゃんと面白がったり、そういう人たちと共に遊べたり、その人たちの発想の面白さを許容できる環境をどうやって社会の中で構成することができるのか、それも一つの目標として研究を進めています。

子育てをズラし、個育てをしよう。

また、これまでの変人研の活動の中で、子育てに困っているという保護者の声をたくさん伺いました。我々はその悩みや苦しさは、今の社会が型にはまっていることからきていると考えます。
それぞれの家庭文化みたいなものがもっとあってもいいですし、子育て論も千差万別でいいと思うのですが、子育ての世界では、何か均質的なものを求めなきゃいけないという圧力が非常に強いように思われます。
どうやったらもう少し肩の荷を下ろし、楽しく子育てできるか。つまり、子育てをどうズラしていくのか。
これを模索するため子育てに困っている保護者の方々が集うオンラインサロン「ヘンパシーサロン」を開設、学び合いを始めました。
ここでの「こそだて」は「子育て」ではなく「個育て」。
親も学ぶし、子どもたちも何か新しいものを生み出していく。そういう子どもと大人のインタラクティブな活動を楽しみながらできないかと模索し始めています。この活動も少しずつ参加者が増えてきて楽しくなってきました。

変人研が生まれるまで

そもそもは、各業界で面白い動きを生み出している人たちを集めてメディア展開などを仕掛けている会社との共同研究がキッカケです。そういう人たちが生まれるメカニズムを学ぶことによって、教育に何か影響を与えることができるのではないかと考えました。
偶然なのですが、ちょうどその頃は娘が小学校に入学し、私自身がものすごいフラストレーションや危機感を感じていた時期でもありました。
幼稚園時代はとにかく夢中になって遊んでいたのに、小学校に入った瞬間から自分の時間の使い方とか、学びの方法論とか、自分の興味関心を広げていくこと自体が怒られる対象になってしまう。
何が正しいかとか、どういう姿勢で聞くべきかとか、時間の使い方とか、学ぶコンテンツとかなど、どんどん型にはめられていくようにみえました。娘は学校に行くと、すごく自己肯定感が下がって帰宅してきたのです。

そのとき「変人」というキーワードで、何か新しいことができるという確信を得て、絶対やってやるぜと思いました。

「変人」という言い方はある種、排除の暴力みたいなものであって、相手は変人で自分たちと違うのだということを表現することによって、自分のまともさや常識、正しさみたいなものを表現する便利なツールでもありますが、逆に変人であることが一番かっこいいとか、一番素敵な生き方なんだ、と転換させていくことによって、パラダイムシフトが起きないかという発想です。

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ズレの方向や基準。グレーゾーンに足を突っ込む

ズレには色々な方向があるのですが、元の対象があってそこからズレるということになるので、完全にあっち側にいってしまうのではなく、その間のちょうど境界を狙う感じかもしれません。
それを我々は「変帯域」と呼んいるのですが、その変帯域に留まりながら、世の中を少しずつ改変させていくような力をみんなが持ち始めれば、すごく柔軟でインクルーシブな社会が実現されるのではないかと考えています。

ズレの基準は、ちょっと難しい言い方ですが、私たちが世界を捉える時の価値判断であったりとか世界のあり方そのものの認識とかです。
それを私たちは一つ一つ身に受けながら、世界のあり方はこう、価値判断はこう、善悪の違いはこう、みたいな形で一つ一つ学んでいくわけです。
この学びが相対的に私たちの世界の認識と価値観を構成してるわけですが、これを一つの中心化として考えた時にそのグレーゾーン、解答がなかなか得にくいような領域に少し足を踏み出していくことによって、その外に広がる深淵な世界で見える何かがあると思うのです。
そこにちゃんと足を突っ込むことが、クリエイターの一番大切な立ち位置とかポジションだと思います。みんながある程度、小さな小さなクリエイターになっていかなきゃ、この世界はマズイと感じています。

ズレる起点となる軸

どう軸を定めるかということが重要な問いになってきています。「これが中心です」「これが軸です」というのがなかなか言いにくいというか、言った瞬間に相対化されてしまいます。
変人社会は、全員が変人になれば凡人化する可能性もありますし、逆に言えばもうどんどん変人が増えてくれば、潜在的に変人だってことが認識できれば、変人がいなくなるわけです。それがもしかしたら「変幸(へんさち)」(変差値の三段活用の最上級)までいくのかなと思います。

多中心の世界

私は今、少し悲観的に「これがそうだ」という中心的なものがかなり強く作動し、それが排除の構造を生み出していくような自閉的な社会にいると思っています。
しかし前項で述べた「全員が変人になれば凡人化する」みたいな考え方を進めていくと、世界は多中心的なものになっていくと思います。もっと選択肢を得られ、中心的なものがそこらじゅうにポコポコできてくるような多中心性をもっていたほうが、より柔軟に自分の生き方を模索できる風通しの良い社会ができるんじゃないかっていうイメージです。

変人研の研究員は、単に自分で学んでズレていくのではなく、他者との関係の中で、新しい視点や自分自身の凝り固まった発想のクセみたいなものが、対話の中で少しずつ見えてきたり瓦解していったりすることを目指して、色々な企画を立てています。
なので、メディアとかコミュニケーションなどに敏感な方々が結構多いです。例えばラヂオを使ってインタラクティブな関係を築いたりとか、異質な人たちが集まってくるスナックという空間を再現してみて、そこで何が生まれるかという実験を行ってみたりなどを意識的にやっている気がていますね。

コロナ禍におけるズラシ

私自身もそういうところはかなり敏感にやっていると思います。自分一人の中で抱え込んで自分自身がズレられるかというとなかなか難しく、他者との対話や折衝、交渉みたいなところが、ズラシの最初のきっかけになる瞬間があったりするところに、ズラシの根源というか可能性を見い出しているんじゃないかなという気がしています。
しかし最近はコロナの影響で、人が集まれないとか、face to face の対人関係が構成しにくい社会になってしまっているので、なかなか活動が難しいです。

以前は「変人講座」という企画で色々なタイプの人たち、それも学生から社会人まで集まって、クリエイティブなモノづくりや文字遊びなどをやりながらズラシを顕在化させていく講座をやっていたのですが、オンラインではちょっと難しいのですね。
他者のインパクトみたいなものは、オンラインではどうしても伝わりにくく、空気感的なものの中でないと生まれない気もしていますので、今はコロナが早く収まって欲しいと思っています。

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変人研に集う人々

変人研に集まってくる人は、潜在的な変差値はみんな高いと思うのですが、変人そのものというよりは「変人ソムリエ」になることを私たちは目指しています。
なので、変人アンテナが立っている人たちと相性良く、味わい深くコミュニケーションを取れる豊かさを持っているメンバーが多いです。
(変人ソムリエを目指す我々にとって)変人アンテナが立ってるか否かは結構大きな違いです。立っている人には極めて興味深く接せられますが、立っていない人には決して無視をするわけではなく、苦笑いしながら、ちょっと(我々とは)関係ない人かなという風に思ってしまう気質はやや強いかなと思います。

変人ソムリエたちの近況、未来

2020年度は、変差値が高まらなかった(≒あまり動けなかった)ですね。オンラインでの議論を続けてきたのですが、オンラインだけでは成果物まで仕上げるのが難しい状況でした。今は粛々とこれまで蓄えてきた変人格言集である「変言辞財」の書籍化を準備しています。どのような社会的反応があるか今からワクワクしてます。
さらに新しい取り組みとして、会社内に変人環境をどう作っていくかを幾つかの企業と相談してます。いわゆる大人の学び直しができる環境づくりですね。

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また改めて振り返ってみると、ラヂオをやったり、堅い言い方すれば美術教育の中でコミュニケーションを図る手段にもなるような造形活動など、言葉だけでなく感覚的なものが触れ合い「ヘンパシー」を感じる人たち同士がどこまでコミュニケーションできるかみたい取り組むが、今徐々に断片的に結びつきを始めてきたかなと思っています。今年コロナが少し落ち着いてくれば研究ベースでこのプラットホーム作りみたいなこともやりたいなと思います。

あとは教員養成大学として当大学のオリジナル授業の一枠として、これから子供たちの変差値を高めるにはどんな教員像が必要かみたいな「変人学講座」も考えています。
変人類学教授たちを集めリレー形式で、学校批判ではなくこれからの学校に必要な変人気質を持った先生ってどういう先生像なのかを研究し学生を送り出していくような、笑いながら教育のことを話せる、明るく元気になれる授業を持ちたいなと思っています。

人類学の界隈では「面白そうなことやってるじゃない」と、変人研は割と面白がられています。たぶん人類学者は、変なアンテナ立ってる人が多いので全然排除されません。
むしろ教育学の方が「ねばならぬ」の規範を求めがちだと思います。やっぱり教員は自分が変人にならなくてもいいので、周りの変人を活かし育てるソムリエにならないといけないと思います。
幼稚園時期の変差値の高い子供たちが、だんだん大人になってつまんなく凡人化していくのを防いだり、いい感じでアウトサイドから刺激を与えてくれるような大人たちとの交流など、さまざま人間関係が生まれると楽しいですね。
変人環境がクラス内で整えられれば、いじめ問題も解決するのではないかと思います。

(了)

変人類学研究所(へんじんるいがくけんきゅうじょ)】
所長:小西公大(東京学芸大学 多文化共生教育コース 准教授)
副所長:正木賢一(東京学芸大学 芸術・スポーツ科学系 准教授)

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インタビュアー:フジムー、ケンケン
編集:フジムー、ミーコ

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