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叱ることの意味...本気を伝えて人を育てる

自分が経営者になった頃、一番苦手で苦労したのは「叱る」ことでした。
新卒で三年間勤めた上場企業のサラリーマン時代も...
昔ながらの文鎮型組織だった小さな会計事務所勤務時代も...
部下らしい部下を持ったことがなかったので「注意」することはあっても「叱る」という立場に立ったことがなかったからかもしれません。

◯ 本気で叱る!

基本的に、人は本人の求めるものを傾聴し、支援し、励まし、受け容れ、信頼することでモチベーションを高め、自主的に物事に挑戦する意欲と自信を持たせ、一人前の人財に育てなくてはなりません。

ただし、壁を乗り越え一回り大きく成長させるためには、気付きを与え、覚悟をさせ、本人の背中を押すために叱ることが必要になる場面もあります。

故松下幸之助氏は、失敗した社員を睨みつけ「そんな失敗する奴は給料を返せ、今までの給料全部をもってこい」「お前はクビだ。辞表じゃないぞ、お前の生首だ。生首を切って持ってこい」と怒鳴りつけ、近くにある工具を投げつける、とても厳しい人だったと聞いたことがあります。

二足のワラジで経理・財務部長を勤めたワタミでも、渡邉さんが会議中に「バカやろー、お前なんか今すぐに窓から飛び降りろ」と怒鳴っていたのを思い出します。
そして会議が終わると「そんなに毎月毎月飛び降りていられません」「今言ったの誰だ」と社員と渡邉さんが掛け合い漫才のように笑い合う社風が夢を追いかけるベンチャーを感じさせました。

先日、ある仲間のFBで、コロナ禍で閉店を余儀なくされた店舗の前で再起の決意をする社長と社員が開店初日の想い出話を語っていました。
初日に遅刻した自分に「このまま帰って二度と来ないか、二度と遅刻しないかのどっちかにしろとその場で叱ってくれた社長の言葉がヒリヒリする思い出です」という話でした。

ちょうどその時に別のFBの記事で「新卒研修に遅れてきた新入社員を皆の前で叱っても注意してもいけません。新卒同士の人間関係ができていない状況で注意されるとストレスとなり退職に繋がります」との記事を読みました。

新卒研修に遅刻して注意されると辞めるような社員がホントに必要ですか?

◯ 叱る場合の原則

私が出会った師と尊敬する経営者の皆さんから学んだ「叱る」ことについて2つの原則があります。
「心のままに」思いきり本気で叱ること。
「冷静に」叱ることです。
この矛盾している二つを同時に満たさなければ、叱ることはできないと学びました。

叱る理由をきちんと伝え感情で怒ってはならない。
なぜなら「この人は感情で言っているだけ」と思われたら社員は反発し心の扉を閉ざしてしまうからです。
叱って何が不足なのか何が足りないのかを気づかせるのが本来の叱る目的ですが、追い込み過ぎて社員を潰さないように配慮する必要があるのだと思います。

そして、ある経営者から「今の自分の言葉で叱ってはいけない。あるべき姿の自分の言葉で叱りなさい」と教わりました。
現状がどうであろうと、目指しているものが高いものであるならば、その高い視点から現状を叱らなければならないということです。

つまり、叱る相手を叱るのではなく、目指すものの視点から自分自身をも含めた自社の現状を叱るのだということだと思います。

◯ 叱ることの本質

経営者の厳しさは、目指しているものの高さや厳しさを伝えます
そして、厳しさは、経営者の「本気」を伝えます

「本気」で部下に向き合うには「愛情」が必要なのです。
狭い視野とその場の感情だけで叱る社長はもちろん問題ですが、叱る前に「自分は人を叱れるほどの人間ではない」と逃げる社長は、目指しているものが低いのか、ビジョンが不明確で目指すものの高さや厳しさの認識が曖昧なのだと思います。

また、叱る前に「こんな叱り方をしたら嫌われるのでは?」と不安になり本気で「叱る」ことのできない社長は、部下を育てようとする愛情よりも自分が「良い人」でいたいという保身が優先しているのだと思います。

経営にとって「良い人」など「どうでも良い人」なんですけれどね。

そう考えていくと、「叱る」という行為の中には、社長の思いや経営理念、ミッションやビジョン、覚悟や愛情...経営に関するすべてが含まれているのだと気づきます。

時代に合った気遣いの叱り方でヤワヤワな百人の社員を残すなら、本気で関われる一人の社員を育てる方がずっと会社のためにも社会のためにもなるんじゃないでしょうか?
と思ってしまうのは私だけなんでしょうか?

社長、あるべき姿に立って大いに部下を叱りましょう。
それが部下を育て筋肉質の社風を作る基盤です。

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