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ドアーズのロック

ビートルズと関わりのあるアーティストや、ビートルズと同じ時代に活躍したアーティストたちを取り上げるコーナー。今回は、カリスマなボーカリスト、ジム・モリソンを擁したアメリカのバンド、ドアーズを取り上げる。

1965年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の同じ映画科の学生だったジム・モリソン(ボーカル)レイ・マンザレク(キーボード)が出会う。ジムの曲や詩に惹かれたレイはジョン・デンズモア(ドラム)に声をかけ、デモ・レコードを録音。その後ロビー・クリーガー(ギター)を加え、ロサンゼルスを中心にステージ活動を行った。
ドアーズという名前は、オルダス・ハクスリーの著書「知覚の扉(the doors of perception)」が元になっている。

1967年1月、デビュー・アルバム『The Doors』発売。10分にも及ぶ大作「The End」や、全米1位の大ヒットを記録した「Light My Fire」が話題を呼び、アメリカを代表するトップ・バンドに躍り出た。

サイケデリック時代に登場したカリスマ・ロッカー御三家といえば、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリン、そしてジム・モリソンである。いずれも名前に"J"が付いていること、バンドとして活動していたこと、27歳で死を迎えるという共通点を持つ。
ジムは美形でウェーブがかった髪、ピッタリとしたレザーで身を固めたステージ衣装、深いエコーが会う妖しい声質、不可思議な歌詞とミステリアスな雰囲気を纏っている。そしてジムは詩人に憧れ、ブルースに焦がれた傾向がある。

レイが弾くオルガンをフィーチャーしたサウンドや、ジムの歌唱法はアニマルズ直系。さらにロビーのスライド・ギターや指弾きで聴かせる繊細なバッキング、ジョンの激しいドラミングが加わり、4人の化学反応でできるサウンドがドアーズの軸である。そして、ベース不在のユニークなバンド編成でもあった。
その後、2枚目のアルバム『Strange Days』でバンドの評判は強固な物となり、続く3枚目『Waiting for the Sun』は最初のNo.1アルバムとなった。

ドアーズのライブ・ステージは挑戦的であり、反抗的だという評判を早々に得ることとなる。1967年に出演した『エド・サリバン・ショー』で、「ドラッグを想起させるので歌詞を一部変えるように」という要求を無視、ジムはオリジナルの歌詞を歌い、そのまま生放送された。
1969年のコンサートでは、ジムがステージ上で局部を露出しその場で逮捕。その裁判などのストレスで肥大化したジムは、7枚目のアルバム『L.A.Women』録音後の1971年に休養することを決め、パリへ渡る。

1971年7月3日、ジムはヘロインの過剰摂取により、パリのアパートで死亡。残ったドアーズのメンバー3人は活動を継続し、2枚のアルバムを発表するも商業的に失敗、1972年に解散となった。

ジムが参加した生前最後のアルバム『L.A.Women』でも分かるように、まだまだ可能性を残しているバンドであり、ブルースの追求するという新たな方向性で次なるアルバムを作るはずだったことを感じさせる。1991年に公開されたオリバー・ストーンの監督による伝記映画『The Doors』では、ジムが煮詰まってバンドを辞めようとパリに旅立つように見えるが、メンバー曰く、ジムは次作に対する意欲を持って休暇に出たようだ。その次のアルバムでは一体どんなサウンドを聴かせてくれたのだろうか。

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