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優れていなければいけないのか

世の中のほとんどのことは人と比べる必要がないと思ってる。
オレにとって意味がないから。
結局人生、ゲームにおける「勝利」や「敗北」といった感情はいっときのものでしか無く、数日後には忘れている。人間はよくできているなと思う。

なんでこんな話をしたかと言うと、久々に会った友人からこんなことを言われたからだ。

何かで認められたい。数十年ゲームしてきたが頂点にはなれず上の方のいいとこ止まり。
今から新しいことをはじめて上を目指すべきか、これまで続けてきたゲームで上を目指すべきか。
だが、ゲームもいつ終わるかわからない。やってるタイトルが廃れればそれまで。どう思う?

正直こういった話はよく聞く。
ゲームに限らず似たような話をしてきた奴がまぁまぁいるし色々話し合ったことがある。
こうすれば最善!っていう回答が出ることは無く、結局は自分が幸せになる方法を見つける、なんて回答に落ち着く。
今回はそういうときに話すオレの考えを書いてみる。

※恥ずかしいので有料にしようと思ったが、たくさんの人に見てもらおうと考えたので有料にはしてません。koyariはこういう奴なんだって思っていただけるだけで良いです。

まず、比べることについては悪いとは思っていない。
ただここ数十年、なんとなく「何者かにならなければならない」風潮があるなと感じている。
SNSで優れてる人が発信していたり、youtubeで優れている人が動画を上げていたり、インターネット対戦で自分より強い人がたくさんいたり。
いわゆる「強者」と出会う数が圧倒的に増えている。
強者に出会えば誰もが「この人は自分より優れている」なんて比べてしまうのは当たり前だと思う。
そりゃ劣等感だって持ってしまうと思う。オレだって昔は何者だと思い込んでいたし、他人に認められるために色々やってきた。
でも世の中のほとんどに人はそうではないし、そうでなくて幸せになれることを知ったとき人生って本当に面白いし不思議だなと感じた。

人に認められて得られる幸せはとても不安定なものだと思う。
他人と勝負をして得られる幸せも不安定なものだと思う。
だからオレは「自分が認める幸せ」を考えた。
他者からの評価だけではなく、自分で自分を評価する。
上位にいなくてもそこまでできた自分を認める。
新しいことを始めようとしている自分を認める。
先のことを考えている自分を認める。
きっと誰かがその頑張りを認めている。そんなこともあるかもしれない。

少しだけ自分自身と向き合ってみても良いと思う。
最優先にすべきは自分自身であり、他者と比べることではない。


少し話は変わるが、とあるゲームのキャラクターがこんな発言をしていた。

他者を重んじるって言うけど、そのために自分が軽くなったら本末転倒じゃん。
「他者」っていうのはね、「自分」がしっかりと確立しているからこそ存在するもんなの。
ヒトのことを考えすぎて自分が不安定になるくらいなら、最初からワガママ通してりゃいいのよ。

メギド72 オリエンス

今まで自分と同じような考えを持つキャラクターに出会ったことがなかったのでこの場面のときは本当にボロボロ泣いた(物語の流れも完璧だった)。
子供みたいな考えだけど、キャラクターがオレのことを認めてくれたような気がした。
自分の考えをしっかり持っていない状態で、他人にあれこれ言いたくない。それだけは昔から考えていることだった。別に考えは間違っていても良い。そんときはきっと誰かが教えてくれる。


人のためも、自分のためも同じことです。すべては自分に戻ってくるんですから。くるくると回ってるんです。
エロナドはクラゲのとあるキャラクターより。



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