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思えばボクも年老いて、周りがすっかり変わってしまったかのように感じるこの頃。 でも、そ…

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思えばボクも年老いて、周りがすっかり変わってしまったかのように感じるこの頃。 でも、そのおかげでいろんなモノを肩の力を抜いて見られるようになった。 何が好きかと聞かれると臆面もなく「オートバイがずっと好きだった」と口に出る。 そんな不安定な2輪車の上から考えたよしなしごとを少し。

最近の記事

ナンシー&イクラちゃん ヤツらも日々進化している

それは秋の終わりの事 陽ざしはあるけど北の風がちょっと冷たい朝 いつもの涼風の里へ立ち寄ると 道路の巡回監視の人たちの黄色いクルマが停まっていた トイレに立ち寄ったのだろう2,3人が休憩がてら外をぶらぶらとしていた 少し離れてクロ介(BMW R100)を停めるとそのうちの一人が近づき ニタニタと愛想笑いを浮かべてボク等をながめる 「これ、1000ccか?」 おお、ナンシーちゃんか ってことはイクラちゃんも来てるのかなとワクワクする そこへトイレを済ませた別のおっさんが加

    • モーターショーへはもう行かない オートバイ乗りのアンチテーゼ

      「モビリティ」 モビリティとはつまりそれは「手段」であるということか 「モーターショー」は死語になり「モビリティショー」になった その会場はかつての自動車展示会とさして変わらぬように見えるが モビリティと掲げることでスタートアップ企業の参加を容易なものとしたため 500近い企業の参加があったようだ それは20世紀末ごろから会場に漂い始めた腐臭を一掃し ついに新しい風を吹かせた、かに見える モビリティ業界に属していない我が身としては 一般消費者目線でしかこのショーを見られな

      • 情報なんて所詮は他人の経験と感想

        「ライダーの感情を可視化した地図アプリ」 と題するネット記事をたまたま目にしたが またか、と 瞬間的に、嫌悪感と猜疑心を持った アプリという名の金儲けは内容よりも いかにキャッチーであるかが重要だから こういう手法がほとんどだ よく似たやつに健康食品や美容用品があるが 訳の分からないカタカナを並べて 庶民の代表みたいな人たちが口を揃えて「個人の感想」を述べる 青汁がどういいのかではなく 青汁だからいい、と連呼している これについてはボク的に看過できない感じなので 気を

        • オートバイの進化とはどこにもいない青い鳥を探すようなものなのか

          むかしも夏は暑かった しかもエアコンなんてないし 扇風機だって一家に一台だった 夜は夕食を終えるとみんな揃って外に出て縁台で涼む 近所の人もみんな一緒だ 男は男で 女たちは女たちで そして子供らは花火をしたり星を眺めたりして過ごす 蚊取り線香の煙の匂いや アンタレスの真っ赤な心臓の輝き 9時も過ぎればお開きで 家に戻ってパタパタと団扇をはたいて蚊帳に入る うちは母子家庭で母は毎日仕事に出ていた 女が正規の社員として働く環境は厳しく 子供が(と云っても大抵ボクだけど)風邪

        ナンシー&イクラちゃん ヤツらも日々進化している

        • モーターショーへはもう行かない オートバイ乗りのアンチテーゼ

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        • オートバイの進化とはどこにもいない青い鳥を探すようなものなのか

          SRラプソティ 忘れられぬ恋は叶わぬ恋というけれど

          どんなことでもみんな大抵おんなじなんだけど まだ見ぬモノやまだ得ぬモノに けしからん想像をしてしまうのは人の世の常なのだろう 人はその秀でた頭脳を使って アレコレと思いを巡らせることが大の得意だ でもそのほとんどはサル知恵 浅はかで取るに足らないことのほうが多いと思うがどうだろう 未知なモノに対するとき 人はそれまでの経験や知識をフルに活かして 自分なりの何らかのイメージを作り出す けれどその根拠の一つとなる記憶の曖昧さといったら マジ、最低なのだ 死ぬほど暑い夏にうんざ

          SRラプソティ 忘れられぬ恋は叶わぬ恋というけれど

          オートバイライディングの快感はキンミヤのハイボールで酔うような安いしあわせに似ている

          どれほどの時間なのか どれほどの距離なのか それははっきりとしていないのだけれど オートバイを引っ張り出して どこぞの山の中や どこぞの田畑の中を走って帰ってくると アタマとカラダが妙にボーッとしている時がある まあまあ、こちと等それなりの歳なのだ 以前に比べれば体力も気力もガタリと落ちているのは否めない 疲れかな 疲れなんだろうな と、漠然と思っていた が、一週間もそれが続くことがあって 何か別の原因もありそうだなと少し気にはしていた 先日、気田川沿いへ走りに出かけて行

          オートバイライディングの快感はキンミヤのハイボールで酔うような安いしあわせに似ている

          このまま、くねくねとくねくねと、どこまでもどこまでも

          高速道路の入口で一旦オートバイを止めて かけていたサングラスを外しゴーグルを下す 毛ムクジャラの口元は相変わらず露出したままなので 湿った風が顔の皮膚にジットリとまとわりついてくるのがわかる 梅雨の晴れ間だとて湿度はかなり高い いくつかトンネルを越えるとほどなく静岡に入り 電光掲示の制限標識が120km/hを示す 30年前のオートバイと云えどもドイツ生まれのクロ介 水を得た魚のごとき走りを見せる 5速 4000rpm クランクに伝わる固い振動が全体を包む 「まだいけるよ

          このまま、くねくねとくねくねと、どこまでもどこまでも

          あの頃は良かった、とは云わないけど、あの頃で良かった、とは思っている

          ひどい雨が降ったあと 山の中をくねくねと進む頼りない道は どこも山からの水でビシャバシャで 土砂や砂利の流出 木々の倒壊や折れた枝の散乱 人が作るモノをまるで無かったことにするかのような暴れぶりだ ネットでざっと眺めただけでも通行止め箇所は多く 探検気分で出かけていくのも面白そうだけど 一生懸命復旧している人たちのことを考えると申し訳なくもあり 出かけて行ってどこかにたどり着けるという保証もない感じだった 梅雨空の中 山から流れ出た水で川になる道路を突っ切っていく クロ介

          あの頃は良かった、とは云わないけど、あの頃で良かった、とは思っている

          叶うのならいくつの頃に戻りたいですか

          このごろ晴耕雨読ならぬ晴走雨読の日々だ というか、意外に朝起きてみると為すべきことが多くて オートバイにのんびり乗ってなどいられないのはなぜか? スカッと晴れて、清々しい空気 こんちくしょう、走ってやるーーー くらいの感覚で走り出さないと仕事もないのに日常に埋もれていってしまう 今日は「水溜まり」へいく 雨山というプリミティブな名の地区にある「雨山ダム」だ ダムはしっかりとした規模があるけど そこにできた「三和湖(みつわこ)」と名付けられた水溜まりは こじんまりとして、

          叶うのならいくつの頃に戻りたいですか

          トライ&エラーこそ  

          ボクはもう壮年だ。早い話、ジジィといってもいい。 このごろはジェネレーションギャップなのか、 自分の望まない変な時代に変わっていってしまうことに、 モヤモヤしたものを感じる。 たぶんジジィはみんなそうなんだろう。 一番モヤモヤするのは、未成熟、未経験を肯定するもの云いか。 それが遠回りとか、無意味とか、そんな理由だ。 ほんとに頭のいい人や、限られたタレントを持つ人は昔からいる。 その人たちには確かに経験や猶予は必要ないのだろう。 ただそれは今に始まったことではなく昔もそう

          トライ&エラーこそ