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僕が思うリーダーにとって一番大事なこと

誰しもある局面においてはリーダーであると思う。

大きな組織に限らず、ご近所との関係、友人、家族、もっと端的に言えば自分の人生を選ぶのは自分というリーダーだ。

そして、リーダーにとって僕が一番大事であると思うのが決断力。

最後にボタンを押す意思。

それには責任感が伴う。

自分の人生は自分で責任を負うし、組織なら部下の責任を負う。

だからリーダーに向かない人の最も大きな要因は決断力が無いということだ。

自分で責任を負う覚悟が無ければ、その決断に人は異を唱えるだろう。

中国の古典を読んでいて、『易経』に興味を持った。

その名前からイメージできるように占いに関係がある。

僕はタロットカードを集めたりもするのだけど、それはカードゲームのようなデザイン性や自分なりの楽しみ方であって、占いには興味が薄い。

またスピリチュアルというものにも眉唾ものだなと思って瞑想を混同し、疑問視していたことがある。

リンクを貼れば貼るほど、矛盾してるな(笑)

でもまぁ、そういう怪しげなものよりエビデンスのあるものにひかれる理屈屋であることは確かだ。

だから、四書五経の中に『易経』が含まれていても真っ先に除外の対象にしていた。

そんなある日、『栗山ノート』という本に出会った。

僕は本は人だと思っているので「出会う」と表記する。

子どもの頃、野球は誰もがする通過儀礼だった。

男の子なら野球をして、できて当然みたいな風潮があったと思う。今なら他にいくらでも遊びはあるけど、まだキャプつばも出来立ての頃だった。

で、僕は下手だったので、それから野球は嫌いになった。野球中継は番組延長の障害でしかなかった。

今でも野球音痴なので、プロ野球選手の名前はほとんど知らない。

失礼ながら栗山監督でさえ、はっきりと未だに知らないくらいなのだ。

でも彼が育てたとされる大谷選手はさすがに(少しは)知っている。

いや、そんな話はどうでもいい。

僕はこの本をたまたまaudibleで知った。いわゆる音声朗読のサブスクである。

たぶんそうでなければ、いくら本屋さんが大好きな僕でも野球コーナーは素通りしてしまうので気付けなかっただろう。

書いていて、日本語は面白いと思う。

「気づかなかった」とは書かなかった。

もうそれだけで、ここまでの文脈で、野球音痴の僕でもこの本に興味をひかれたことは十分に予測できるだろう。

この本の内容をざっくりと紹介すると、栗山さんが中国の古典から得た考えを野球に取り入れ、試合結果や選手の育成について書かれた反省記というものだ。

しかし、その本の数は膨大で、しかも読みこんでいることが僕には分かる。

まだまだ初学者レベルもあやうい僕でさえ、かろうじて名前の知っている古典のタイトルが引用されていくのだ。きっと名前さえ知らない人もたくさんいるだろう。

本は読むだけではただの知識であり、宝の持ち腐れである。

栗山さんはそれを実践に活かしているのだ。

残念ながら僕には有名な試合さえ分からないので、全部は理解できないものの、その言葉の重み、苦労が伝わった。

その中に『易経』が出てきたのだ。

ん?これって怪しい占い本じゃないの?

そう、僕は思ったのだ。

長くなるのが僕の悪い癖(杉下右京口調)

さて、その『易経』を調べてみると、とにかく難解らしい。

興味を持ったら、大きな本屋さんの該当コーナーに行くのが僕である(知らんがな)

しかし、たとえば論語なら腐るほど(失礼!)あるのに、


『易経』には入門書っぽいものもほとんど無い。

僕は新しいものに興味を持つと基本書と応用書みたいなものを数冊読んで全体を把握しようと思う方なのだけど、それができそうに無い。

古典の本というのは基本的に高い。

『論語』や『孫子』はあまりにも有名なので、安い本もあるけれど、需要が少ないものは高くなる。(あくまで一般的にという意味)

学術書や研究書の類だ。

そんなある日ふと、この本に出会った。

9月に出た新刊だ。

手にとってみると読みやすい。

僕は昔は本を値段で決めていた。

つまり、安い文庫本しか買わなかった。

でも、今は内容で決める(いや、そりゃそうだろう)

お金持ちではないけれど、内容が良ければそれなりの値段の本でも買うことにしている。

長い読書人生、自分に合いそうな本は何となく分かる。

合わなければそれまで。読むのをやめればいい。でも、そんな本がある時急に必要になったりもする。

自分が今置かれた環境に合わせて本から学びたいことは変わる。

同じ本でも少し時間が経てば、違った学びがある。

人気のない本は絶版になる。

だから、今これを読みたいと思った時に買っておかないと後悔する。

電子書籍のある時代なので、読もうと思えば読めるけど、僕は自分にとって大事そうな本は紙の本に書き込みをしたいので買うしかないのだ。

『易経』の話である。

長いのが僕の悪い癖。

先日、ようやく去年から撮り溜めていた『相棒』を見終えた。

もうすぐまた放送が始まる。寺脇さんが帰ってきて、初代ファンとしては、やっぱりこれこれ、これだよな〜と思う。

『易経』の話だった。

水火既済(すいかきせい)という言葉がある。

世界は常に変化しつづけ、終わりは無い。

だから、完成に近づいたと思っても慢心してはならない、と。

その中で、優秀なスタッフをマネージャーに昇格させるのはリスクだという話があった。

仕事ができると評価されるとリーダーやマネージャーの立場に近くなる。

立場が変わると求められる仕事の内容も変わる。

部下としては優秀な人が部下を育てるのに向いているとは言えない。

新人が入ってきたから先輩が教えるのは自然な流れだけど、向き不向きがある。

一人で仕事をする方が組織にとって利になる人もいるのだ。

読んだ時、この本を思い出した。

僕の大好きなミステリ作家の森博嗣さんのエッセイである。

その中に、

仕事ができる人は、出世などさせず、給料だけ増やせば良い という一節があった。

そんなことをしたら、慢心して指示に従わなくなるかもしれない。

森さんは、サッカーにおける選手と審判のように仮に社長より高給取りの選手がいても権限さえ与えなければいいのでは?と提案する。

一概には言えないから、権限を付与していい場合もあれば、そうでない場合もあるだろう。

森博嗣さんは元准教授であり、助手は薄給だが研究に打ち込めたのに、立場が上がると雑務が増えて研究ができなくなったそうだ。だからこういう風に思うのだろう。

経営者に求められるものは一社員とは違う。

全体を俯瞰しつつも、下積み経験を活かすことは簡単なことでないだろう。

中でも、決断することの難しさは多くの経営者の話に出てくる。

組織が大きくなればなおさらだ。

その決断が失敗した時にリーダーとしての責任の取り方が問われる。

たった一人の経営者の不用意な発言で大会社が潰れたこともある。

イメージを大きく損なって解体せざるを得ない場合もある。

そんな中、組織に抗い、権力に屈せず、自分の信念を貫く男がいる。

たった二人しかいない組織でも決断を迫られ、自らの人生をかけて闘う男がいるのだ!

相棒シーズン22は10月18日21時放送です。ご期待下さい!!


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