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続・本を出したいなと思って文章を書いてみた。


前回、kindleで自分の本を出すために下書きとなる文章を公開したところ、幸いにも多くの人に読んでもらうことができました。

本当にありがとうございます!

そこで、今回その続きとなる下書きを公開したいと思います。

お時間がございましたら、お付き合い下さい。アドバイスもお待ちしております。

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3.読書の効用

突然ですが、次の3つの質問に答えて頂けますか?

質問1:パチンコをしますか?
質問2:電車の中で日常的にゲームをしますか?
質問3:月一冊以上、本を読みますか?

いかがでしたか?

てか、ちゃんと考えて下さいました?

本当に?

お願いします。答えて下さい(笑)

興味のない文章は流し読みしてもいいですが、時には考えて読むのが読書の愉しみです。

えっ?「楽しみ」じゃないの?
と思ったあなた。

言葉を使い分けるのも楽しいものですよ。


僕は楽器が弾けないので、YouTubeで楽しそうに演奏している人達を見ると羨ましくなります。

作曲したり、アレンジしたり、演奏を楽しむためには相応の努力が必要でしょうが、音を楽しむという行為がまさに音楽なんだろうと思います。

例えば、ピアノは一人オーケストラと称されるように、全ての音が鍵盤で再現されています。

しかし、どの鍵盤を押せばどんな音が出るかを知らないと楽しむことはできません。

同じように、絵を描く人も、いろんな色を知らないと表現の幅は広がりません。

僕は絵の方面の才能も乏しいのですが、ブルーと言えば、単純に一色しか浮かびません。

試しに雷鳥社から出版されている『色の辞典』で青の項目を引いてみますと、

藍色、白藍、瓶覗(かめのぞき)、紺色、褐色(かちいろ)、納戸色、縹色(はなだいろ)、浅葱色(あさぎいろ)、露草色、群青など

パイロットの万年筆インクのような素敵な語感の色がたくさん載っています。

英語でもスカイブルー、ホリゾンブルー、ミッドナイトブルー、アクアマリン、サファイアブルー、ターコイズブルー、マリンブルー、マリッジブルーなど、僕もよくブルーになります。

はい。

はい。

そういうのも入れとかないと、と思うのが素人なんですよね〜。分かってますとも。


まぁ、素人ですから。ついてくる人だけついてきて下さい。そんな優しいあなたが僕は好きです。

さて、話を本題に戻しますと、

言葉も同じではないでしょうか?

文章を書くには表現力が要ります。

名文を書くのは難しいかもしれませんが、最低限の配慮は必要です。

最低限の配慮とは、短調な文章の繰り返しです。

「短調な」とは、

たとえば、文末の「〜でした」「〜である」という口調の統一はもちろん、誤字・脱字、「〜と思います」の繰り返しなど多岐にわたります。

ここまで読んですでに違和感を感じていますか?

正しくは「単調な」ですよね。

また、「たとえば」はこれまでの文章表現から「例えば」で統一しないといけません。

しかし、これが以外に難しいのです。

僕はこの文章をwordで書いていますから、スペルチェックや表記のゆれは確認することができます。

けれども、機械的な判断で修正できない部分に文章を書く面白さがあります。

例えば、漢字が長く続くと、「僕」は「ぼく」に改めた方がいいなと思う時もありますし、先ほどのように「楽しい」を「愉しい」と表現したくなる時もあります。

てか、その前に「以外」は「意外」が正しいですよね?

こういう文章のこねくり回し方も好きです。

とても偉そうに書いていますが、これから先もこういった間違いをするだろうと思いますので、どうぞお手柔らかにお願いします(予防線)

ところで、こういった感覚はどこで養われるのかと言うと、それはもちろん文章を書くことです。

しかし、そういう文章を書くには多くの文章を読んで、自分なりに文章を書く経験が必要です。

もうお分かりですね。

そうです、それには読書しかありません。

みなさんは、日常的に多くの文章に接しています。

LINEやTwitterなどSNSやネットの中で。

日常的に目にする文章の頻度は昔の人に比べると何倍にもなります。
しかし、洗練された文章を目にする機会となるとグッと減ります。

洗練された文章とは、簡単に言えば繰り返し読んでも鮮度が落ちない文章です。

そして、読んだ人に内容が伝わる文章です。

そういう文章を書くには、多くの洗練された文章を目にする経験が必要です。

本を読むと、まず語彙力が身につきます。

身につかない人は、言葉の持つ力を軽視している人です。

僕は昔から気になる言葉に出会うと調べたくてうずうずしていました。

今の時代は、スマホで簡単に調べられますが、当時は超小型の辞書を持ったり、近くの本屋さんに駆け込んで調べたり、あるいは家に帰るまで言葉をメモしたりしていました。

今では、調べた言葉をスマホにメモしたり、ノートに書き溜めたり、自分だけの辞書を作っています。

鍵盤の数や絵の具の種類のように言葉も多く知れば知るほど、言葉の持つ意味や語感に興味がわき、使ってみたいという気持ちになります。

言葉を使いたいということは、文章を書きたいという原動力につながります。

文章を書くのが苦手だという人は、PHPから出ている竹村俊助さんの『書くのがしんどい』を読めば、ハードルが下がります。

僭越ながら、軽い内容紹介は僕のYouTubeチャンネルでも致しておりますので、参考にしてみて下さい。


ところで、僕は辞書が大好きなので、いろんなものを持ってはいますが、辞書が万能だとは思っていません。

例えば、「好き」という項目を引けば、それは分かって頂けると思います。言葉で表現しきれないものもあるのは言うまでもありません。

また、言葉の意味や使い方は時代によって、変容していきます。


辞書を編纂される方には並々ならぬ敬意を抱いてはいますが、怒られる覚悟であえて表現するなら、辞書に載っている言葉は残骸であると思います。

セミの抜け殻のような言葉の残骸は、使う人が命を吹き込むことによって、その人の言語になります。


特に小説やエッセイにおいては、その人にしか書けない感性が言葉に表れます。紡がれる言葉の響きや表現に圧倒されることがあるのも読書の魅力です。

さらに本を読むと芋づる式に読みたい本が増えていきます。


参考文献や引用された文章、紹介される人物、関連本、著者の過去の作品など本の世界が広がります。

そして、文章を読むことで思考が深まります。
心に響く文章は考えさせられます。
それは人によって違うでしょう。

その違いがあなたの新しい価値観を生み、それをあなたの文章で表現することによって誰かに影響を与えます。
自分の内面の言葉が上書きされたと気づいた時、人は成長を認識するのです。

また、読む本にも依りますが、論理力も鍛えられます。
論理とは、話の展開を考える能力です。

こういう話になるのではないか?と推察できる能力は、ふいに自分の意見が求められる場でも柔軟に対応できます。

仮に予想が外れても、そこで重ねた思考の試行は必ずどこかで活かされるでしょう。

はい、オヤジです。ええ。

さて、論理の話になったところで、いい加減イラついている人もいるでしょう。

冒頭の3つの質問は何のためにしているのか?

文章を読むとはそういう風に自分に疑問のスレッドを立てていく作業です。その疑問が解決されなければ、他の本に移ったり、自分で文章を書けばいい。

冒頭の質問は、ちくま文庫から出ている藤原和博さんの『必ず食える1%の人になる方法』という本の、まさに冒頭の質問です。



質問1:パチンコをしますか?
→しない人は、全体の2分の1の人になれます。

質問2:電車の中で日常的にゲームをしますか?
→さらにしない人は、全体の4分の1に。

質問3:月一冊以上、本を読みますか?
→さらにさらにしない人は、全体の8分の1に。

すでにこの時点で、全体の12.5%のレアキャラに属してるそうです。
ちなみに、僕もレアキャラなので、はずれスライムですね。

詳しくは本に譲りますが、この部分を一言でまとめるなら、怠惰に時間を過ごすなら読書をして思考を深める時間を作ろうということです。

僕はこの本を西野亮廣さんの本で知りました。

本が本を呼ぶのです。

もちろん、毎回自分の心に響く本に出会うわけではありません。

しかし、たくさんの本と出会うようにすれば、その確率は上がります。

僕は古い人間なので、紙の本を本棚に並べるのが好きです。

電子書籍は主にマンガや気になった本の試し読みにサンプルをダウンロードします。

分厚い本は電子と紙の両方を購入し、場所によって使い分けながら併読します。

でも、最終的に気に入った本は本棚に並べることになります。

電子書籍にも本棚はあるし、マーカーは引けるし、検索性に優れていますが、僕は本棚を自分の頭の中の一部だと思っているので、本を並びかえると思考が整理されるような感覚になります。

たまに同じ本が重複して出てきて苦笑することもありますが、何かの本を読んでいる拍子にふと、そう言えばどこかで同じようなことを書いている本があったな〜と本棚を引っ掻き回した末に、該当箇所が書かれた本を見つけた感動は一生記憶に残ります。

紙の本には装丁があり、質量があります。

また不思議と、どの辺りに書かれていたか、何となく電子書籍よりも覚えているものです。

ページに重さを伴わない電子書籍よりも、複数のページや他の本をパソコンのウインドウのように次々に開いて並べるのも読書の愉しみです。

うん、愉しみと表現したい(笑)

そういう意味では、他人の本棚も気になります。

人の家にお邪魔した時に、本棚が無いとがっかりしますし、あってもいわゆるベストセラーだけが並んだ本だと本が好きな人では無いんだなと思ってしまいます。

もちろん、それがその人の魅力の全てではありませんが、本好きの人間は本好きな人間と会話して、普段自分が触らない本を知りたくなるものです。

新潮社文庫に『私の本棚』という本があります。



この本にはたくさんの人の本棚が紹介されています。

中でも亡くなられた児玉清さんの本棚に対する想いはとても面白かったです。

「本を人にあげたりもできなければ、ましてや売ったり棄てたりなんてことは到底考えられない」というのは共感しますし、

そうなると、自然と本棚というスペースをいかに確保するかという悩みは尽きない。僕はミニマリストには絶対なれない自信があります。

俳優をされていた下積み時代は極貧生活で、欲しい本が買えなくて辛かったそうですが、後に書評番組と出会い、蔵書量は加速し、書架はどんどんグレードアップ。5000冊以上の可動式本棚を備え、ちょっとした図書室を持たれたそうです。

図書室と言えば、私的図書館の域に達しているのが佐藤優さんです。

東洋経済新報社より出ている『読書の技法』によれば、献本を月平均100冊、新刊本を70〜80冊。古本を120冊ほど。さらに洋書も含めて、1ヶ月に300〜500冊も目を通すとか。蔵書はまさに図書館並みです。

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もう信じられませんよね。

でも、それは何のためにするかと言えば、どこに何が書かれているか、いわば自分の頭の中に本棚を作るためだと思います。

本棚に囲まれたインパクトがある背景で動画配信をされるメンタリストのDaiGoさんは、生配信の質問にも瞬時に適した本を本棚から探し出します。超人技ですよね。

あれだけの本を読めるのは速読の力です。

そして、速読とは、どの本にどんなことが書かれているのか記憶するための作業だとおっしゃっています。

特に実用書や情報が書かれた本は全てを読む必要がないと多くの人が語っています。

速読と言うと、目を高速で動かしながら、内容も入っているという神技だと長らく思っていましたが、現在の僕の定義は、当たりをつける仕分け作業です。

そう考えるようになって、僕は確かに実感するようになりました。

関連本や著者の過去の本には重複する箇所があるのです。また、難解な本にはそもそも基礎知識が無いと読めない本があります。

数学の専門書を数学ができない人が読めるはずはありません。いきなりマンガの最新巻を読んで、キャラクターが分からないようなものです。

本には本に合わせた読み方があります。それは、多くの本を読んで自分なりに慣れるしかありません。しかし、確かにコツはあります。

この辺りは、先の佐藤さんの本や、かんき出版から出ているDaiGoさんの『知識を操る超読書術』やSBクリティブの中田敦彦さんの『勉強が死ぬほど面白くなる独学の教科書』、東洋経済新報社の『東大読書』、最近出たダイヤモンド社の750ページを超える分厚さを誇る読書猿さんの『独学大全』などにも言及がありますので、気になった人は本屋さんで手に取ってみて下さい。



ちなみに全く売れてない僕の有料まとめ記事もございますですよ(笑)

本屋さんで、というのは、同じコーナーに並んでいる他の本にも刺激を受けて欲しいからです。

電子書籍で一つ一つ、サンプルをダウンロードするよりも簡単に自分に合いそうな本が見つけられるのが本屋さんのいいところですね。

僕にも行きつけの本屋さんがありますが、僕にとってそこは外部倉庫のような役割を持ちます。

自分が何かを知りたい時、よく行く本屋さんならどのコーナーに置いてあるかは大体見当がつきます。

本屋さんはできるだけ大きい方がたくさんの本に出会えるので最適です。


自分の本棚を眺めるのは至福の時間です。と言っても、整理を繰り返した僕の本棚の本の数は現在500冊ほどですが、できれば資金と場所が許す限りたくさんの本棚が欲しいですね。

本は自分のお金を出して買いましょう。自分の本ならどれだけページを折っても、書き込んでも、返却期間を気にせず、いつでも本棚から取り出すことができます。

もしも副業でお金がもらえたら、そんな夢も叶うので今後も頑張っていろいろとチャレンジしていきたいと思います。

P.S. 気がつけば4時間も経っていました。でも文章を書くのは楽しいものですね。

スキはログインしていなくても押せます!ワンちゃんでも押せるほど簡単です。励みになりますので、ここまで読んでくれた記念に押して下さい。いくつになっても勉強は楽しいものですね。サポート頂いたお金は本に使いますが、読んでもらっただけでも十分です。ありがとうございました。