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論語に学ぶ「人への評価」

テーマ別で論語を学んでいく第五弾。気になる方は初回の記事にリンクを集めているので読んで頂けると嬉しい。

今回も野中根太郎さんの訳本を基に紹介していこう。

人の能力と性質を見抜く方法

人のことがわかる方法がある。

まず、その人の行いをよく視る。

次に、その人の行為の動機、原因はどこにあるのかを観る。

そして、行為の後、その結果をどう思っているのかを察するのである。

この「視・観・察」の三つで観察すれば、必ず人のことがわかるようになるものだ。

為政第二・二十六

たとえば、とても礼儀正しい人が職場にいるとする。(視る)

でも、よく見ていると権力のある人には愛想よく、部下には冷淡な態度を取っている。(観る)

ということは、自分の利益になる人にだけ礼儀正しいのではないだろうか?(察する)

これが「視・観・察」だ。

渋沢栄一さんは門戸開放主義をとっていて、可能な限りどんな人とでも偏見を持たず面会したそうだ。その際にこの三段階の人物観察法を採用した。

外面に現れた行為が正しく見えても、その行為の動機が正しくなければ、その人はけっして正しい人物とは言えない。

また、外面に現れた行為も正しく、その動機も精神もまた正しいからといって、もしその安んじるところが、飽食・暖衣・気楽に暮らすというのでは、その人はある誘惑によっては意外な悪をなすこともあろう。

その安んじるところが正しい人でなければ、本当に正しい人であるとは保証できない。

この三段階の観察法を実行すれば、その人がいかに隠そうと、善人は善人、悪人は悪人と常に明白に判定できる。

孔子 人間、どこまで大きくなれるか

人の性格、性質は過ちの仕方でわかる


人の過ちは、その人物のレベルに応じてなされる。過ちの仕方でその人物がどんなものかがよくわかる。

里仁第四・七十三

人の評価を気にせず励め


人が自分のことを評価してくれないことを嘆いてもしかたない。いつかは必ずわかってくれる(評価してくれる)と信じて励むべきだ。

それよりも、自分は正しく人を評価できるのかということをいつも心配し、人の長所を見出すようにしていかなくてはいけない。

学而第一・十六

後半の文章に僕はガツンとやられた。自分が評価されることばかり考えて、人を偏見で判断していないだろうか。評価しない人が悪いと考える前に何か改善するところがあるのではないか。


自分の実力をつけることだけに集中せよ


自分に今、地位がないことを心配しないで、その地位に立ってもふさわしい人格かどうかを気にしなさい。

自分が人に知られていないことを心配するのではなく、自分が人に知られるくらいの実力をつけることだけを考えていればいい。

里仁第四・八十

人の目を気にせず、自分の力のなさを反省する


人が自分のことを知らない(評価してくれない)ことを心配するな。自分が知られるだけの力がないことを反省して、さらに努力していればよい。

憲問第十四・三百六十四

自分に厳しく他人に優しく


自分を厚く責め、深く反省して、人を責めることが薄く、寛大であれば、人をうらむこともなく、人からうらまれることもなくなるものだ。

衛霊公第十五・三百九十二

最後まで読んで頂いてありがとうございました。気になるところがあれば、ぜひ実際に手に取って読んでみてくださいね。

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