受験よりも大事なことって? 日本の教育ではこれを伝えるべき。

日本の教育に関する違和感

日本の教育ってなんか変。
高校までの大半の時間を大学受験のために費やしてきたけど、受験で学んだ知識はほとんど役に立たない。
単なる知識ではなく、生きるために本当に必要なことをきちんと教えるべきではないか。

違和感を持つ理由

「生きるために必要なものって何?」と思う方もいるかもしれないが、その前に、違和感を持った理由を述べたい。

大学2年の始めに体調を崩してから10年。
突然起き上がれなくなって、回復の兆しはなし。もう人生終わるんじゃないかと思った。
いくつもドクターショッピングしても原因が分からず、食事・運動療法で大分快方には向かったけど、無理をすると1,2ヶ月起き上がるのも辛いほどだるくなる、という状況だった。

ただ、ここ1年はすこぶる調子がいい。
やっと毎日外出するのもさほど苦労なくできるようになった。

体調を取り戻していく中で、今までの人生で取りこぼしてきた大事なものを1つずつ補ってきたと思う。

受験では学べない大事なこととは?

学んだことはたくさんある。
だけど、一番は「自分と向き合うことの大切さ」ではないか。
何が好きで何が嫌いで、何を望んでて、それを叶えるには何をしたらいいかを自分自身が知ること、それを受け入れて行動することが大事だと思う。

自分自身を知ることでやっと体調を取り戻せたのだから、これこそが勉強よりも何よりも大事な、人間として生きる上での基礎体力なのだと思う。

自分と向き合うには

なぜ高校までに自分自身と向き合えなかったのだろうか。
まず思いつくのは「将来のためにはいい大学にいかなきゃ」という思い込み。
あとは進学校で周りも勉強してたことと、成績が良くない人に対する無言の圧力。それゆえにレースから降りることが恐ろしかったのだと思う。

でも実際はある程度以上の大学に行っていれば就職先はある。
それに、受験でいい大学に受かったとしても自分自身が見えなくて前に進む気力すら湧かなかったら生きることすら厳しい。

自分自身を知る>受験でいい大学に受かる

という優先順位をきちんと伝えること、それを踏まえた高校までの時間の過ごし方を提案することが大事なのではないか。

今後やりたいこと

現状だと自分自身を知ることと受験でいい大学に受かることは両方大事、という認識だと思う。

しかし、受験でいい大学に受かるためには膨大な知識を詰め込む必要がある。
それに時間を費やした場合、自分自身を知る時間が圧倒的に削られる。

自分自身を知ることは知識を詰め込んで受験に合格するよりもはるかに大事だということをはっきりさせ、心の声を信じて生きられる人を増やしたい。

受験のために知識を詰め込む風潮は、今変わり始めている。

神山まるごと高専など、従来とは一線を画したカリキュラムを提供する学校も現れている。
また、AO入試を取り入れる大学も増えている。

ただ、そのような動きはまだメジャーではないのも事実。
こうした教育の動きについてもきちんと伝えたい。

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