【3人声劇】文豪というのは

■タイトル:文豪というのは


■キャラクター

神林 宗助(かんばやし そうすけ):男

しがない作家

自分は文豪であり、世間で評価されるべきだと信じているがなかなか売れない

締め切りは守れない


編集:女

弱小出版社の若手編集

好きな作家は太宰治

先生と担当になってから、声量があがった


榊 進次郎(さかき しんじろう):男

売れっ子作家

神林とは旧知の仲であり昔は切磋琢磨していた

―――――――――――――――――――――――――


神林:いいか…文豪というのは時に価値観を広げ、時に思想すら変える…

つまり…新たな世界を創造できる者こそが…


(先生の台詞にかぶせるように編集の台詞in)


編集:講釈(こうしゃく)垂れる前にその世界とやらを作ってくれませんかね!

締め切りどんだけ過ぎてると思ってんですか!


神林:ぐっ…神だって世界を作るのに7日はかかるんだ!

多少時間がかかったって仕方ないだろう!


編集:こちとら人間相手でも十分な期間を与えてんですよ!

神なら8回は世界を作れるくらい締め切りオーバーしてんですから、いい加減原稿あげてください!


神林:はぁ…そう急かすなよ

乱歩(らんぽ)も梶井(かじい)も漱石(そうせき)も締め切りを守らずして良作(りょうさく)を書き上げてるんだ

編集者ならどーんと待ちたまえ


編集:お言葉ですが…先生があげられた方々は人気です

故に、良いものができるのならばと許されています


神林:な、何が言いたい!!


編集:大して人気もない先生と比べるだなんておこがましいって言いたいんですよ!


神林:貴様ぁ!言ってはいけないことを言ったなぁ!


編集:あぁ言いましたとも!悔しかったら早く書け!


神林:書きますぅ!近い将来…私は文豪としてこの国中に名をとどろかせるんだ!!

すげえのできても吠え面かくなよあほ編集者!!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


編集:(NA)

文豪…それは全ての作家が目指すべき称号(しょうごう)

豪(ごう)というものは、力や才知(さいち)などがすぐれている人を指すわけでございますから、それが物書きを表す“文(ぶん)”の後ろについたとなれば、作家が求めずにはいられないというのは言うまでもございません

無論、先生も自らを文豪と名乗っているわけなのですが…


神林:子供の時…夢見たことってあるだろう?

空を飛ぶだとか、透明になるだとか…あれは発想という分野における可能性だったんじゃないかと思うんだ…


編集:そうですかそうですか…

それはそれとして…入稿(にゅうこう)が迫ってんですよ!!


神林:い、今私に必要なものこそ、その可能性なんだよ!

君がしていることはその可能性の剝奪(はくだつ)だ!


編集:あんたは夢見てんじゃなくて、現実見てないだけでしょうが!

なんで全然書けてないんですか!?締め切りは優しくしたでしょう!?


神林:文豪って奴は、作品作りのために多くの人物と触れ、見識を広げなきゃならんのだ…

けやき屋の看板娘の笑顔、酒場それがしの女店主、バーの雅(みやび)な女主人…


編集:居酒屋の女性店員ばっかじゃないですか!

仕事できなくて金もないくせにいい加減にしろ!


神林:うるさいな!書けないんだからしょうがないだろ!


編集:見識だなんだは何だったんですか…!

とにかく本当にやばいので、さっさと書いてください


神林:そんなこと言ったってな…アイデアなんてすぐには…君は私の編集だろう

圧をかけるだけでなく…何かこう無いのか?


編集:はぁ、何かとは?…一応、私はご指摘可能な個所は全部赤入れしてますし、登場人物の性格から考えられる展開のアイデア案なんかもお送りしてますよね?

登場人物のまとめとか相関図もお送りしてますし…これ以上何を出せと?

キャラクターのイメージイラストですか?お誕生日でも考えましょうか?


神林:…いや…まあ…そう言われれば…そうとも言うんだが…


編集:どうせ見てないんでしょ?編集の分際で作家の脳みそに勝てるわけないだろ~っていつも言っておられますもんね

で?私に何をお求めなのですか?


神林:いやぁ…全然…自分でアイデア考えます…あ~もう!

そうだ…そうだよ!私は近い将来この国で知らぬ者などいないほどの文豪になる大天才作家だ!ちょっと考えればこんな短編作品くらいなんともないはずだ!!…ぬぬぬ…ぬぬぬぬ…はっ!


編集:きましたか!


神林:何も出ない!


編集:おし、死ねぇ!!


神林:待って!待って!死ねはダメだ!死ねはよくないぞ!


編集:もうほんとにやばいんです!先生を殺して私も死にます!!


神林:おわっと!?危ないだろ!万年筆を振り回すな!

くそっ!やはり、太宰(だざい)ばかり読む奴にろくな奴はいないな!


編集:……今、馬鹿にしました?


神林:へ?


編集:今…太宰を馬鹿にしたのかって聞いてんですよ…!!


神林:うわぁ…地雷を踏んだなぁ…


編集:今回ばかりは許せません…先生を三途の川まで引き摺(ず)って差し上げます


神林:馬鹿め!私は太宰と違って川でおぼれたりしないのだ!!

物語を書き続けるためこの肉体は常に強靭(きょうじん)なのだよ!


編集:なら三途の川を泳いでも大丈夫ですね!

さあ黙って刺されてください!


神林:あ!待って!違うの!そういうことじゃなくってね!!


(部屋の扉を開けて、榊がやって来る)


榊:邪魔するぞ神林…って、やれやれ…随分とにぎやかな創作環境だな


神林:榊!いいところに来た!助けてくれ!


編集:榊先生!今来られたのは僥倖(ぎょうこう)でした!

先生を捕まえておいてください!貫きます!


神林:ヘイヘイヘイ!馬鹿め!こいつは常に私の味方だ!!なぁ榊!!


榊:え?そうなの?


編集:なら榊さんもろとも貫くしかないですね!


榊:え?そうなの!?ちょっと待って編集くん!ちょっとぉ!!


――――――――――――――――――――――――


編集:…失礼しました…大変取り乱しまして


神林:…まったくだよ…今日はついに死ぬかと思った


榊:神林…お前が編集くんに心労をかけるからだぞ?


神林:私のせいか!?


榊:お前が締め切りを守っていれば、こうはならんのだ

なぁ、編集くん


編集:榊先生にそう言っていただけると心が救われるようです

ねえ、先生?


神林:うぐっ…そう圧をかけるなよ…今この場面のセリフを練ってるんだからさぁ…よし!できた!!


編集:おぉ!ついにですか…!ここで少し読ませていただいても?


神林:もちろんだ!私の傑作(けっさく)に恐れおののくがいい


榊:それは…短編か?


神林:あぁ、今、大長編の物語を書いていてな…連載やらを持つ余裕が無いんだ


編集:先生の社会能力では連載持つのは不可能ですよ


神林:うるさいな!

はぁ本当は大長編に集中したいんだが…なにぶん、食い扶持(ぶち)は稼がなきゃならん


編集:私が頑張って頑張って仕事取って来てるんですからね?

編集の対応範囲を超えてますよ


榊:ははっ…作家としては耳が痛い話だ


神林:何を言う、お前は大手出版社で連載を取っている売れっ子作家だろうに


榊:売れっ子か…いかんせんパッとしない木っ端作家(こっぱさっか)だよ

未来の見通しが不安になる


神林:何、お前なら何の問題もないさ


榊:はは、そう言ってくれると心強い

書き終わったなら、酒でもどうだ?


神林:奢ってくれるなら行こう、だが少し待て

編集が読んでいる


榊:ここで読み終わりを待つのか?


神林:編集は私の作品の最初の読者なんだ

文豪は読者とは真摯に向き合うべきだろう


榊:…変わらんな、お前は


神林:当たり前だ…それに、そう時間はかからない


編集:…ふう


神林:どうだった…!


編集:面白いと思います…!

構成と伏線の回収の仕方がとてもよかったです

最後場面の台詞でガッと心を持ってかれました…長編でも読みたいと思ってもらえると思います


神林:ハハハ!そうだろう!なんてったって私は稀代の文豪!

神林 宗助だからな!!

さぁ榊!飲みに行くぞ!お前の金でな!はっはっはっはっは!


(神林が意気揚々と部屋を出ていく)


榊:…あいつの才能は健在だな

まるでアイデアの泉だ


編集:湧き出し方にムラがありますどね…よくさぼりますし


榊:ははは、あいつの腕があれば、売れる本を書くなんて造作(ぞうさ)もないと思うんだがなぁ…


編集:…先生は決まりを守るのが苦手ですし…流行りなんかにながされたりもしない…

今の流行りは怪奇的(かいきてき)な作品ですが…出来上がった物は真っ直ぐな純愛ものですから…ふふ、らしいというかなんというか、困りますね、神林先生は

まぁ、つまるところほかの出版社が先生のだらしなさを許容できないのです


榊:…随分(ずいぶん)振り回されているようだが…どうしてずっと彼の担当を?

君ほどの腕があれば、もっと働きやすい場所に身を置くこともできるのでは?


編集:これを読めばわかりますよ…それでは榊先生

…まだまだ多くの人の目に届かないのが残念なところですので…ここからは私の仕事です

では…失礼いたします


榊:はっ…読めばわかるとは…随分羨ましいじゃないか…

ん…?くそ…こんな時に…


神林:ん?どうした榊?

何をしてるんだ!行くぞ!


榊:はぁ…あぁ!今行くよ!


――――――――――――――――――――――――


(注がれた酒を一気に飲みほす神林)


神林:んぐっ…んぐっ…んぐっ…っかはぁ~!!うまい!

もう一杯くれ!


榊:自分の金じゃないからって容赦(ようしゃ)がないな


神林:ひと仕事終えた後だからな

容赦もなくなるさ

それに…お前なら気兼ねなくたかることができる


榊:ははは、豪胆(ごうたん)だな

…昔は、安酒(やすざけ)しか出さない、騒々しい店で夢を語ったもんだ


神林:あぁ…びいどろ一つでも、人を感動させることはできるのだ

この俺が紡(つむ)いだ文字が、人の心を動かせないわけがない…だったか?


榊:随分と懐かしい台詞(せりふ)だな

今となってはこっぱずかしい戯言(たわごと)だ


神林:違いない…だが、今となってはよい台詞だったと思っているよ

あの時の私は、たかだかぺこぺこ鳴る玩具(おもちゃ)で人の心など動くものかと思っていた…実際そう言ったしな


榊:ははは、そうだったそうだった

ビードロなどと比べているようでは、良い文など生まれやせぬ…だったか

ならばどちらが文豪となるか決めねばなるまいと…互いに吠え合ったのを思い出したよ


神林:あの時の私はビードロだと思っていたんだ…まさか同じ名前のガラス細工があるだなんて知らなくてな…後で頭を抱えたよ


榊:若気の至りとはよく言ったものだ…

んっ…!

(持っていた酒を一気に流し込む榊)

…はぁ…知ってるか神林…また作家が一人死んだ


神林:何…?…誰だ?


榊:小清水(こしみず)だ


神林:小清水 実光(こしみず さねみ)か…?

近頃名を聞かんと思っていたが…自殺か…?


榊:いいや、違うんだよ…神林

わずかばかりでいい…何卒(なにとぞ)…それが小清水の口癖だった…

俺の文は必ず、人を感動させる…だが生きていけねば…書くことすらままならない…と添えてな

よく金をせびりに来ていたよ…俺が物書きとしてわずかばかり財を築けたからだろう


神林:あの小清水がそのようになっていたとは…昔、3人で飲んだこともあったな…

彼の書く推理小説にはいつも驚かされていたというのに…


榊:そうだな…彼はよく約束を破った…しかし、同じ物書きとしてのよしみだと俺は彼を助け続けたんだが…ある時彼はこう言った

今回こそ…俺の本は出版される…俺は後世に名を残す文豪なのだから…とね


神林:榊…お前は正しい

友のためならば協力は惜しむべきではない…だが、それでも物の言い方があるはずだ


榊:はは、お前が言うのか?神林

ふっ…あいつと最後にした会話はな…

お前は後悔する…俺が大成したときに、その名声の利を得れんのだから…だったよ

しばらくして、傷だらけの小清水の死体が海に浮かんだそうだ…馬鹿なことをした


神林:恐ろしいことだ…ならば私はそこまで追いつめられる前にもう一杯飲んでおこう


榊:…はは…お前は死んだりしないだろうさ

俺にも、もう一杯もらえるかい?


――――――――――――――――――――――――


(深夜の出版社)


編集:…改めて読んでもやっぱり面白かった…誤字は多いけど

まぁそれを直すのが私の仕事だからな…よし、完了!


編集:(NA)

先生は…粗が目立つがいい文章を書く若手作家だと思う…

しかし…正直、先生は商業というものに向いていない…

締め切りを守り期限内に書く…流行りを取り入れ読者の需要にこたえたものを書く…

世情(せじょう)を鑑(かんが)み言葉を選ぶ…決められた長さで…決められた形で…決められた場所で…

商売をするということは制約が増えるということ…先生はその制約に対応することが絶望的に苦手だった

面白いものを書くにも関わらず…大手出版に引っかからない…先生もまた歯痒い思いをしていただろう


編集:面白かろうが読まれなくては意味が無い…か

はぁ…いつの間にかすっかり遅くなってしまったな…早く帰らないと…


神林:お~!?これはこれは!!我が愛しの担当編集じゃあないか!!


編集:うげ…先生…!うわ、酒くさっ!!

どんだけ飲んだんですか…!


榊:すまないな、編集くん

止められなかった


編集:いえ…いつものことですから

その辺の道に捨てましょう


榊:いや駄目だろう…!

俺が責任持って家まで送っていくよ


編集:申し訳ないです…


榊:ん?…聞こえる


編集:…どうしたんです?


榊:…いや、からすがな


編集:カラス…ですか?

まあ、カラスなんてものは年中鳴いておりますから…不吉の象徴などとも言いますし…なるべく会いたくないものです


榊:そうだな…気にせんでくれ

…なあ、編集くん


編集:はい?


榊:俺は神林の小説は全部読んでいる

この数年で神林の小説は格段に良くなった

その理由は…こいつの後ろにいる優秀な編集だろうと見ているんだ


編集:そ、そんなことないですよ…!!?


榊:謙遜(けんそん)しなくていい

俺はね…君を宝天出版(ほうてんしゅっぱん)に推薦(すいせん)したいと思っているんだ


編集:宝天って…大手出版社じゃないですか…!


榊:主力とは言えないが…俺も宝天の雑誌で連載を持つ身だ…君の話をしたら、ぜひ迎え入れたいとも言われている…何と言ってもこの癖(くせ)まみれを制御しているのだから、その実力は折り紙つきだ

…どうかな?悪い話ではないはずだが


編集:…とてもありがたいお話です…私如きでは身に余るほどの…


榊:では…この話は前向きに…


(台詞を遮るように編集が話し出す)


編集:しかし…!

しかし…私は神林 宗助の担当編集者なのです…

大変申し訳ございませんが…そのお話し…お受けすることはできません…


榊:君が出版に携(たずさ)わる人間として大きく羽ばたくチャンスだということをわかっているのか…?


編集:もちろんです…私は弱小出版の末席(まっせき)を預かる程度の身

宝天などという言葉は…砂漠で出会った水が如き…甘美なものでございます

しかし…先生が今書かれている大長編さえ完成すれば世間の評価はひっくり返る…!

私には先生を支える責任がある…それに私は…この先生に乗ると決めているんです


榊:それが仮に、世間からすれば巨大な泥船であろうとも…か?


編集:そんなことはあり得ません…では、榊先生…私はこれで


(編集は頭を下げ、夜道を歩いていく)


榊:…あり得ません…か…お前にはもったいないな…

ははっ…ほら起きろ、神林


神林:うがっ…!?


――――――――――――――――――――――――


編集:(NA)

出版業界の最大手を争う宝天出版…そんな場所へ行けるともなれば私の未来は安泰(あんたい)だ

しかし…私は正しい判断をした…はずだ


先生、まだ書けてないんですか?


神林:うるさいな…!

今脳裏によぎった素晴らしい言葉が逃げて行ったぞ!


編集:はいはい、私のせいにしないでくださいね


神林:芥川だの宮沢だの…私の作品はな…あんな思い付きだけで書いた小説ではないんだ!

書きあがるまでに時間がかかるのは必然だろう!


編集:(NA)

正しかったかな…私の判断


編集:はぁ…先生があげられた方たちは一庶民から、やんごとなき方々に至るまで

ことごとく支持されているんですよ?


神林:私は支持されてないというのか!?


編集:先生が名前を出された方々の発行部数と比べてみましょうか?


神林:ぐぬ…いらん!とにかく!この世紀の文豪が書いているんだ!

もう少し待ちたまえ


編集:はあ…先生、あなたのような方は評価されて小説家

揺るがぬ支持を得て初めて文豪となるのです


神林:何が言いたい?


編集:まだ評価されてもいない先生は、うちみたいな弱小出版社からしか本が出せない

ほとんど無職だと言いたいんです


神林:貴様!失礼だぞ!


編集:うるさい!小説家も職業!

決められた時間で書き上げることも能力!

いいから黙って書きなさい!


神林:ぐぬぬ…!?貴様ぁ…言い返しづらいことばかり言いおってからに…!

今日という今日は許さんぞ!!


編集:あぁそうですか!いいですよ!受けて立ちますよ!!

許し難い現実を突きつけられるのは先生の方ですけどね!!


神林:現実?何の話だ?


編集:今日が何日か忘れたんですか?

御宝俱楽部(おたからくらぶ)の発売日ですよ

ほら、榊先生の連載、今週は載ってるんですから


神林:あぁ…先週は休載だったからな…どれどれ


編集:私は別に嫌がらせをしようってんじゃないんです

神林先生だって榊先生のようにやればできると…神林 宗助という作家は正当に世間から評価されると本気で思っているんですよ?

だというのに…こうもダラダラとされては私だって…


神林:おい、君はこれを読んだか?


編集:え?はい、一応…読みはしましたが?


神林:…そうか、なんだかあいつらしくないような構成だと思ってな

まあ、ここ最近は話の方向も路線変更しつつあった…今後の布石なのだろう


編集:世情に流行りに合わせて内容変えられたんじゃないですかね?

まあ確かに…最近は読者評価もやや下がり気味と聞きますし…テコをいれられるのでしょう

ほら、榊先生はしっかり仕事なさってますよ


神林:おいおい…私はただ毎日遊んでいたわけじゃあないんだ

これを見てほしい…


編集:え、これって…!?


神林:私の大長編もいよいよ佳境(かきょう)だろ…?

だからこそ、当初想定していた構成を…その…ちょっと変えようと思ってな…


編集:変える…!?変えるって…だってこの新しい構成だと、もうすでに完成している場面も含まれてますよ!?それなのに…今から変更するんですか!?


神林:そうだ…これが私にとって最良だと…これが私の全力だと…そう思っている…

だからこそ…私が最も信頼する君に問いたい…私は…正しい方向を向けていると思うか…!?この判断が…合っていると思うか…?


編集:…今…ここで…お返事をお求めですか…?


神林:あ…い、いや…そんなつもりは無い…

だが、君は最も私を理解するフアンであり…誰より優秀な担当編集だ…

君の考えを…聴かせてほしいんだ…


編集:わかりました、先生…少し…考える時間をいただけますか


神林:勿論…!君がどれだけ考えたとしても…今回こそ締め切りは守ると神に誓おう!

だから、いくらでも待つ…すまない


編集:いえ…ここからは編集の仕事です…!

お任せください…!


――――――――――――――――――――――――


(街中をフラフラと歩く編集)


編集:とは言ったものの…どうしたものか…

おや、あれは…榊先生!


(榊は編集の呼びかけに気づけず、虚空を見ながら小さくつぶやく)


榊:はぁ…“からす”め…煩(わずら)わしい……一体なんだというのだ…


編集:榊先生?


榊:ん?おや、編集くん…すまない、気が付かなかったよ


編集:いえ、空を見上げていらっしゃいましたがで何か考え事の最中にお声がけしてしまったようで…


榊:…いや、かまわないよ…気にしないでくれ

そんなことより…随分険しい顔をしているが、どうかしたか?


編集:いえ…その、実は…


――――――――――――――――――――――――


榊:なるほど…締め切りが迫るなか構成の大幅な変更か…また突拍子もない手に出たな


編集:…神林先生は、いつも自らの頭の中に広がる世界を大事にされます

もちろん、私の考えをないがしろになどしませんが…最後の最後…二択を迫られたときは自らの意思を尊重されます…それは自分が生み出した作品に対する責任なんだと

しかし…先生は私に託してくださいました…悩みに悩み…本当にそれが正解なのか…と

先生はこの作品に作家としての全てを賭けている…私にも編集者としての義務と責任があるのです…!


榊:その重圧に押しつぶされそうだ…ということか


編集:はは…なんとも情けない話です…

つまらないお話をしてしまいまして申し訳ございません…


榊:何…誰しもが自らに課せられたものに押しつぶされそうになるものだ…君が自らを恥じる必要などない

…もしよければ俺が相談に乗ろうか?

俺だって作家のはしくれ…それに大事な友人の助けになりたい


編集:榊さん…ありがとうございます…


榊:何…構わないさ…

(榊は不敵な笑みを浮かべる)


――――――――――――――――――――――――


神林:なんだ、こんな場所に呼び出して…

奢ってくれるのか?


榊:はは…少し話がしたくてな…お前が大層大事にしている大長編…佳境らしいな


神林:まあ、そうだ…なんとかここまで作り上げてきたが…いよいよ書きあがる寸前だ


榊:…さすが、稀代の文豪だな


神林:ははは!そうだろう!!

だがな…そうではないのだと、私とてわかっているんだよ…榊


榊:…ほう、そんなふうに言うとはお前らしくもない


神林:私の力だけではここまで来ることはできなかった

いい担当編集に恵まれたと心から感じている


榊:…その担当編集は俺に相談をしていったぞ

お前が与えた最後の課題にこたえるべく…な


神林:なに!?それはすまないことをした…!

私の創作に榊を巻き込んでしまうとは…しかし…最後とはどういう意味だ?


榊:あぁ言っていなかったか…君の編集くんを宝天に誘っているんだ


神林:何…!?どういうことだ!


榊:そのままの意味だよ

向こうも受け入れの準備はできている

あれほど優秀な人材を弱小出版で遊ばせておくのはもったいなかろう?


神林:あいつは…何と言っていた…!


榊:…断られたよ

だが…俺はこの好機逃すべきではないと…


(台詞を遮るように神林が声を上げる)


神林:こうしてはおれん…すまん榊!私は失礼する…!!


(神林は走って消えていく)


榊:お前といえど、さすがに心穏やかではないか…?

ふふふ…ふははははは…


――――――――――――――――――――――――


神林:(NA)

編集は私のわがままを受け入れてくれた

この作品は私の大長編ではあるが…彼女と二人で作り上げたものにほかならない…

そんな中、この決断は彼女にとって大きな負担を強いたであろう

私は彼女の決意に報(むく)いなければならない


編集:(NA)

先生が紡いだ物語は感服の一言でした

事前に構成を貰っていることなど関係ないほど、丁寧に積み上げられた世界が原稿用紙に書き上げられていく

そして…ついに大長編は最後の場面を残すのみとなったのです


神林:…ついに、ここまで来たわけか…


編集:はい…そうですね…先生


神林:これが出来上がれば、私は名実ともに皆が認める文豪だ!!

ハハハ!ふは~はっはっは!


編集:…まさに、先生のおっしゃられる通りです


神林:おい…なんだ…そんなに素直だと調子が狂うな


編集:私を何だと思っているんですか…褒めるべきならば、私は褒めます

それに…これはそれほどの作品ではないですか…先生


神林:…そうだな

これがあれば…君ももう心残りはあるまい


編集:…どういうことですか?


神林:…榊から宝天出版に誘われているんだろう?


編集:なぜ…そのことを…!?

神林:そんなことどうだっていいさ…なぜ断ったんだ…君は、提案を飲むべきだった


編集:そんな…私は神林先生の編集です!!

よそへ行くつもりなんてありません…!

私など不要ということですか!!


神林:違う!!…私をこの作品を作るまでに押し上げたのは…君だ

私だって…君がいてくれなければ不安だよ!

だがな…私稀代の文豪…神林 宗助だ

自らの力で良作を書き上げられると示すことが君への恩返しであり…今度は君を更なる高みへ押し上げることこそが私の責務というものだろう


編集:そんな責務はありません!

私は…私は…


神林:君は、私などのために人生でたった1度あるか無いかの好機を棒に振るつもりか!!


編集:先生…!


神林:…本当はもっと早く送り出してやるべきだった…

だが…この作品は君を無くしては作り上げることができないのではないかと…

恥を忍び…この作品を書き終えるまで共にいて欲しいと…愚かにもそう思っていた

だが…この作品はもう書きあがろうとしている…私は…君の幸せを望みたいんだ!


編集:……先生、作品が完成したわけでもないのに何を言ってるんですか?


神林:ぐぬっ、それは…そうだが…


編集:…だから…完璧な作品にしましょう

私は最高の実績を引っさげて宝天に行ってやりますよ…!

そこで…先生が来るのを待っててあげます…私は…神林宗助の担当編集ですから!

だから…やってやりましょう…!書き上げましょう…最後の見せ場です!!


神林:…望むところだ…完璧に仕上げて見せよう

私は君が認めた大作家なんだから!


編集:まだ認めてないですよ


神林:え!?そうなのか!?

編集:当たり前じゃないですか…ふふふ…あはははは


神林:はははははは


(二人は一緒に笑いあう)


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編集:(NA)

私は神林先生の作品の発売を見送り…担当編集としての責務を全て果たしてからという条件付きではありますが、榊先生のお誘いを受けると決めました

そしてついに先生の作品が全て書きあがったその日…事件は起きたのでした


――――――――――――――――――――――――


(川辺で静かに歌う榊)


榊:…かぁらぁすぅ…なぜ鳴くの…からすの勝手でしょう…


編集:…榊先生!こちらにいたのですね…!!


神林:榊…


榊:おや…もう来たのか…さすがは昔馴染みの腐れ縁…互いのことをよくわかっているというわけか?


神林:…俺もそう思っていたさ…つい先ほどまでな


榊:ははは…そうだろうな


編集:そんなことはどうだっていいです…!!今週の御宝俱楽部…

榊先生の最新話…あれは一体どういうことですか…!!


榊:何が言いたいんだ?編集くん


編集:あれは…先生の大長編と内容が同じです…

先日、私が榊先生にご相談した際にお話した構成がそのまま使われているではないですか!!なぜこのようなことを…!?


榊:なぜ?なぜって…ははは…ははは…からすが鳴いているんだよ


編集:…何をおっしゃているんです…なぜ盗作などという馬鹿なことをされたのかと聞いているんです!!


榊:貴様が妬(ねた)ましいのだ、神林


神林:私が…妬ましいだと?


榊:そうだ…神林…好きにふるまい、好きに書き、好きに生きるお前が…心の底から妬ましい

作家という者はな、毎日毎日、どこからともなく蛆(うじ)のように湧き出てくるのだ

宝天に作品を持ち込む若者が、日に何人いると思う?

下からは新進気鋭の後輩共が…上を見れば超えることなどかなわんような先人たちが…

心がざわつく…常にからすが俺の耳元で鳴いている…お前など大した能(のう)もない、お前ほどの作品を作る者はいくらでもおるんだぞ…とな

耳障(みみざわ)りに煩(わずら)わしく…ずっと…ずっと鳴き続けているんだよ…!

俺の耳元でずっと…ずっと…ずっとだ!!


神林:そのような幻のカラスにそそのかされて…盗作に至ったというのか…!?


榊:そうだ!!お前からしたらその程度だろうが…!!

だがな…俺にとっては求めてやまない閃きが手に入るとからすがのたまう…!!

新たな場面を思い浮かべ作り出す…枯れることのないアイデアの源泉…俺はそれが欲しいのだ…!!

職に就く者として…決まりを知り…社会を知り…人を知り…否応なく突きつけられる現実が…不安が、焦りが…俺からアイデアの泉を奪っていくんだよ!!


編集:そんな…榊先生だって素晴らしい作品を書かれているではないですか…!!


榊:…ははは、バカなことを

神林…お前はいいよなぁ…決まりなど守らず、需要も気にせず、編集に恵まれ

全てをひっくり返すような大長編を書き上げましただと…ははは…

社会不適合な分際で…ふざけた生き方しかせん分際で…なぜ…なぜ…なぜあれほどに素晴らしい作品を作ってしまうんだ!!神林!!


神林:榊…


榊:もうお前には何もないぞ神林…担当編集も…作品も…全て俺の物だ


編集:まさか…私を宝天出版に誘ったのは…


榊:その男から奪いとるためだよ…編集くん

俺とて神林を支えた一人…わずかばかりこちらに返してくれてもいいはずだ…

まだ俺は作家でいたい…この身分にしがみついていたいんだ…わかるだろう!


神林:…くだらん


榊:…何?今、何と言った?


神林:くだらんと言ったんだ…榊

お前が持って行ったものなどくれてやるさ

こいつが幸せになれるのならば、私の担当などいつでも辞めたってかまわなかった…!


編集:先生…


榊:はぁ?スカしてんじゃねえぞ、神林…

てめえは…自分だけで書いた作品じゃねえって言ってたじゃねえか…!!

お前は…所詮一人じゃ何もできねえぼんくらだろうが!!


神林:その程度で私のペンが止まることはない!

この素晴らしき編集がいなければ、作家神林は死ぬのか?

お前が俺の作品を盗めば、作家神林は死ぬのか!

否(いな)!!…私が稀代の文豪…神林宗助である限り!!

私の手が止まることなどありはしない!


榊:きれいごとだ…ここまでどうにかなってしまっただけの…根拠なき自信だ…!

お前のこの先の未来など…どうともならずに詰んでいくのみだろうが!!


神林:そんなことはどうだっていい!!

私が今、真に怒っていることはそれではない…!

盗作など、私からすればどうだっていい…!!


榊:はっ…!?なにを…?


神林:俺は宝天だろうがなんだろうがどうだってよかった…!!こいつはどこでだってやっていける!!

だからこそ…お前が勧める場所ならば…我が親友、榊 進次郎が認めた場所であれば信頼できると…そう思って彼女を託そうと決めたのだ!!!

だというのに…だというのに…盗作をした者の推薦となれば彼女の経歴に傷がつく…!

お前自身もそうだ…!枯れん創造の泉が欲しいだ何だと呆けたことをのたまって…作家としてのお前の未来はどうなるのだ…この大馬鹿野郎め!!!


榊:…どうしてお前は…そう、他人のことばかりを心配できるんだ…?

俺はお前の大長編を奪ったのだぞ…


神林:それはな…我が編集が大変優秀だからだよ


編集:榊先生…先生の目論見(もくろみ)は最初から破綻(はたん)しております


榊:なんだと…?


編集:…私が榊先生にお話しした大長編の内容は…変更前の古い物です


榊:バカな…あれほどに上手く作りこまれたものが…変更前…だと…!?


編集:そうです…本当は古いものだってお話ししてはいけないのですが…

これから生まれる作品の内容を作者の許可なく他者に話すことはできませんから


榊:ははは…ふははは…そうか…所詮俺の頭では…それを見抜くことすら…

はははははは…はははははは…はははははは!!!


――――――――――――――――――――――――


編集:(NA)

神林先生は榊先生の盗作を公表するかどうかについて、どちらでもいいと答えた

親友を思うが故なのか…自らの大長編への自信か…それはわからない…

しかし…自らの贖罪(しょくざい)と愛すべき作品を奪われたことへの恨みを晴らすべく、私は告発する道を選んだ…

榊先生は宝天出版から追放され…その後釜として神林先生の連載の開始が決まったのだった


神林:…作家とは何なのだろうな


編集:何…とは…?


神林:何のために書くのか…何のため存在するのか…ということだ

それは自らのために他ならん

自分の好きなものを好きなように書く…好きな人物、好きな生き物、好きな設定、好きな世界…頭で思い描いた妄想に色をつけ…人に共有し、感動や共感を得たい…作家になるためにはそれだけで良かった…

それがいつの間にか、作家でい続けるためには他社との比較や、金や、様々な“配慮”(はいりょ)に気を回さねばならなくなる…

それが榊の頭に現れた“からす”だったのであろうな


編集:不安と重圧が幻聴となって表れた…ということですか…

先生には縁もゆかりもない話ですね


神林:そうだなぁ…ってなんで?


編集:先生は周りに配慮できるほど大人ではありませんから


神林:貴様っ…!いいんだよ!

私は今や日本では名を知らぬ者などいない大作家だぞ!!

なんてったってあの大長編は飛ぶように売れ、評価も上々!!

言うこと無しなのだからな!!


編集:…あんなもんで十分なんですか?


神林:何?


編集:先生はまだまだいけると思いますけど?

なんたって…私が認めた作家、神林 宗助なんですから

神林:ふっ…当たり前だ

私はただひたすらに面白いものを書き続けるよ…そういうものだろう?

文豪というのは



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