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「I hate Japanese.」 ~ こんな仕打ちが待っていたとは その2~

前回の記事はこちらです→


罵声でも浴びせられるのではないかと心臓がバクバクしながら、そして家族が家の中から出てこないことを祈りながら、急いで荷物を拾い集めました。

お土産の日本人形を拾い上げた時、この人形を日本橋のデパートで一緒に選んでくれた母の顔が思い浮かび、申し訳ないというか、情けないというか、悔しいというか、それまでの短い人生の中で最も心が砕けた瞬間だった気がします。

ここからが、今どきの言い方をすれば「カオス」です。

家の中に残っていた(つまり、放り投げられていなかっただけ💦)今となっては思い出せない「何か」を取りに家の中に入らざるを得なくて、ヨシコさんといっしょに玄関から「Hello, excuse us!」と声を掛けながら家の中に入りました。

2ヶ月間を過ごした姉ジェシカとの相部屋には妹のテニールがいて、ドキッとした私を睨みながら「I hate Japanese.」と、低く落ち着いた声で言われた時、体が震えたことを今でも覚えています。

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それにしても、今でもなぜ家の中にわざわざ入らなければならなかったのか、何を取りに行ったのか思い出せないのです。

ヨシコさんの家での暮らし

その後のヨシコさんの行動には選択肢が無かったように思いますが、まとめた荷物をヨシコさんの車に詰め込み、私を家に連れ帰ってくれました。

ヨシコさんの家にはアメリカ人のご主人マーク、小学生と中学生の3人の子供がいました。

私が通っていた高校とはまったく異なるエリアにヨシコさんの家があったため、片道30分以上要する学校への送迎という大きな負担を掛けてしまいましたが、1ヶ月という長い期間、ヨシコさんとマークには本当にお世話になりました。

学校でのミーティングの後、新しいホストファミリーを探すことを学校から依頼されたのは例のエリアレップ(ホストファーザーの姉)だったのですが、彼女はホストファミリーを探そうとしてくれるどころか、その頃、留学団体の本部には「千春が酷いホームシックでホストファミリーに馴染めない。彼女の為には日本に帰国させたほうが良い状況。」という報告をしていたことが分かりました。

本当に帰国させるべき状況なのか、留学団体の本部から学校側に直接調査が入りました。

その結果、エリアレップに問題があることが判明し、彼女は解雇されてしまいました。

留学団体の本部によると、私の1年前にフランスからの留学生がこの同じホストファミリーのところに来たそうですが、エリアレップからの報告によって強度のホームシックという理由で滞在1か月で帰国したそうです。

危うく私も帰国させられるところだったぁ。。。

次回に続きます。

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