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自分の言葉が人を傷つける

話すことの恐れと罪悪感

あなたは自分が発した言葉にどれぐらいの力が宿っていると思いますか?

私の発する言葉には結構な力が宿ってるんじゃないかと(笑)

メルマガでも何度か触れてきましたが、私は自分の発する言葉で多くの人を傷付けてきたと思っています。だから、心のどこかで自由に話すことを
恐れています。あと、時間的に長く話すことへの罪悪感もあります。

相手が「Nさんの話は面白い」、さらには「もっと聞きたかった」と言われても、長く話してしまったことへの罪悪感は無くなりません。薄れてきているとは言え、私自身が自由に話すこと、時間を気にせずに話すことを赦してないんです。

宿る力

話を戻して、人が発する言葉に宿る力についてです。力は、使う言葉に宿っているのか、それとも声に宿っているのか、その両方なのか。

言葉だとしたら、文章でも力を届けられることになります。もっと分解すると、印刷物と手書きで異なるのか。感覚的には手描きの方が宿ってる感じがします。書道家が書いた言葉はまさにそれだと思うんです。

声は音ですから、肉声でも、録音でも大きな差が生じにくいかもしれませんね。あと、音は波長ですから、波長と言われると力と結び付く気がします。

私は講師として登壇する時、自分が愉しく話すことを意識しています。これは対面でも、オンラインでも同じです。私たちは楽しそうな人をみると楽しくなってきますからね。
コールセンターで働いていた時、「笑声」で話すように教わりました。

私は、自分の発した言葉で、相手を不快にさせたり、落ち込ませたり、酷いことを重ねてきました。言葉の使い方が未熟で、相手への洞察力も乏しかったからです。

言葉による影響力を体感するために必要な体験だったのだとしたら、それを糧にした言葉の担い手になりたい。

メルマガを長く続けていますが、文章も良いけど、音声でも発信したらと言われることがあります。決してイイ声じゃないと思うけど(笑)
何かしら伝わるんでしょうね。

気を贈る

つい先日、ある人から「勇気づけられる」と言われました。
私は引き出すことはできないかもしれないけど、付けることならできるのかもしれません。

  • 勇気づけ

  • 元気づけ

  • 活気づけ

私の発する言葉には、EnergyとPowerの両方が宿っているのでしょう。自分との対話ができていなかった頃はPower過多だったのが、自分との対話を重ねることでEnergy成分が多くなってきてのかもしれません。

元気、勇気、活気の言弾(ことだま)を世に放っていきます。

自己探究の旅はつづく・・・
Insight Journey continues・・・

Vol.0971/2024年2月20日に配信したメルマガを加筆・修正したものです。本号では他に「ユニークなアタマの中」「毎日の選択を素直にすること」についても書いてます。メルマガにご登録いただければバックナンバーをお読みいただけます。


<ともつま編集長 雑記>

つい先日、初対面の人とオンラインで話す機会がありました。
約束時間の直前に私のネットワークが落ちてしまい、なんとか復旧させ、かなり焦った状態でログインした私は、「はじめまして、ごめんなさい。」から会話をスタートさせることになりました。
その人は「大丈夫ですよ、はじめまして」と笑顔で答え、画面越しにでも柔らかで暖かな雰囲気が伝わってきました。初対面で恐らくお互い最初は少し緊張していたと思うのですが、言葉数は多くないですが、一つ一つの言葉を丁寧に選び話すその人を見ていると、「話す」ことは「紡ぐ」ことなんだと思いました。そしてその女性のように、言葉を紡ぐように語ることは、相手を安心させ、暖かい気持ちを伝えることができるものなのだとも感じました。
声を伴っても伴わなくても、心から発するものは「言霊」となって相手に届くものなのだと感じた時間でした。



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