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フォローとスキとコメと言及

ここだけの話、最近フォロワーさんがじわじわ増えているのです。

目立ったバズを引き起こしたわけでもないし、最近はむしろパワーをセーブした短めの記事が多いので、江草自身、何故か分からなくてビビっているのですが、ともかくもこうして関心を持っていただけてるということは光栄ですし、ありがたいことだと思います。今後ともがんばる所存です。


それにしても、「フォロー」というのはなかなか独特の文化ですよね。現代SNS時代になって初めて生じたというか、たとえ潜在的には昔にも同様の感覚は存在していたとしても、このように「誰かが誰かをフォローしている」という状態が明確に広く表示されるようになったのはやっぱり人類史上初めてでありましょう。

そういう意味では「スキ(いいね)」の方もとても際だった現代的文化ですよね。ワンクリックでできる肯定行為というのが、あまりにシンプルすぎて人間性が感じられないとして眉をひそめる人も少なくないものの、ともかくも現代において強烈な影響を及ぼしている仕組みの一つであることは違いないはずです。


こうなると、ここから派生して気になってくるのが、これら現代SNSの二大巨頭たる「フォロー」と「スキ」は何が違うのかという点でしょう。

当たり前のように私たちの生活に入り込んでるので、この両者の違いはほとんど意識されなくなっています。

たとえば、YouTuberは動画の最後に「チャンネル登録(フォロー)と高評価(スキ)をお願いします!」などと二つをセットで言いがちですよね。とりあえずどっちも欲する対象として区別なく並べてしまっています。

でも、改めて考えるとやはり両者は異なる存在なんですよね。

別に難しい話をしようというのではないので、ちょっと雑談的な気楽なノリで整理してみましょう。


まず、「フォロー」というのは未来志向です。フォローすることで得られるのはそのクリエイターの次の投稿が通知されたりタイムラインに載ることなのですから、そのクリエイターの未来に期待して「フォロー」という行為は為されます。

対して「スキ」。これは現在志向です。「スキ」というのは各投稿に対して与えることができる評価です。今既にここに目の前に存在している記事(もちろん画像でも動画でも音声でもかまいません)に対してポジティブな評価を与えます。まだ見ぬ未来の投稿のことはここでは想定されていません。

また翻って「フォロー」。今「スキ」の方はポジティブな評価であると指摘しました。その点、「フォロー」は別にそこに乗せられてる感情は必ずしもポジティブとは限らないんですよね。

たとえば、トランプ氏やイーロン・マスク氏なんてすごいフォロワー数が居ると思いますが、そのフォロワーが全員トランプ氏やマスク氏を支持しているかと言うとそんなことは決してないですよね。
彼らを嫌っていたり批判していたりしている人たちも彼らの言動には関心があるということで少なくない人数がフォローをしているわけです。

つまり、フォローは必ずしもポジティブな意味であるとは限らないと。

まあ、細かいことを言えば「スキ(いいね)」も「読んだよ」「見たよ」の印代わりに押す人もいるらしいので必ずポジティブとも言いがたいのですが、フォローに比べると明確にポジティブ志向でしょう。


まとめるとこうなります。

  • 「フォロー」は未来志向、クリエイター(人)が対象、ポジティブ評価とは限らない

  • 「スキ」は現在志向、コンテンツ(記事)が対象、基本はポジティブ評価

まあ、「そりゃそうだ」と思われるかもしれない素朴な整理ではありますが、わかりきってるような物事もこうして整理すると、意外と面白くないですか?


せっかくなので、さらに話を拡げてみましょう。

「フォロー」や「スキ」とも一線を画するSNS文化としては「コメント(返信)」と「言及(引用)」がありますね。では、これらの立ち位置はどうか。

まず、「フォロー」&「スキ」のグループと、「コメント」&「言及」のグループには決定的違いがあります。

それは前者が記号的(非言語的)であるのに対して、後者が言語的であるという点です。

前者はワンクリックでポチッとなとするだけのまったく言語を介さないトグル的な行為なのに対して、後者はそれが短いにしても長いにしても何かしら言語で付与される行為です。

これはやっぱり大きな違いになります。

冒頭で江草も「フォロワーが増えてるけどその理由が分からない」と書きましたけれど、「フォロー」というのは今指摘したように記号的なプロセスなので、そこに情報量がほとんどないんですよね。
もちろん、一般常識的な推測から「きっと面白いと思ってくれてそれゆえにフォローしていただけたんだろう」と好意的に考えるわけですが、いやでももしかしたら「こいつなんかムカつくからいつか揚げ足を取ってやろう」と思ってフォローしてるのかもしれない、などと疑心暗鬼になることもできるわけです。
これも、記号には情報が乏しいからこそ、どうとでもその意味が取れるということに原因があります。(なお、「スキ」は「スキ」という名称自体に肯定的意味が込められてるので、「フォロー」と異なり素直にポジティブ評価であると期待して良い蓋然性は割と高くなります)

でも、「コメント」や「言及」であれば、そこに人の気持ちが乗るんですよね。「スキ/スキしてない」「フォローする/フォローしてない」のゼロイチのバイナリーな情報ではなく、具体的で質的な情報が込められる。すなわち、この情報量の大きさや複雑さが「コメント」や「言及」の特徴なんですね。

同じ「スキ」だとしてもそこに「スキと感じた理由」が表現されたり、あるいは「概ねスキなんだけどここは違うなと思った」とかの複雑な感想が表現できたりします。これが「コメント」や「言及」の面白さです。

もっとも、だから「コメント」や「言及」が良くって「スキ」とか「フォロー」はダメだとかそういうことでもありません。やっぱり具体的にテキストで反応するというのはどうしてもハードルを上げる面がありますから、「スキ」や「フォロー」のようなハードルが極限まで下げられた形でリアクションできるシステムは、(もちろんその点にこそ批判もあるわけですが)人々のノンバーバルな交流の爆発的な展開を見せてくれたという点で、人類の心をくすぐる何かの要素を有していたと評価すべきではありましょう。

「スキ」機能に限らず、絵文字やLINEスタンプも世の中で人気があることにもつながってると思うのですが、多分「常に言葉で表現しろ」ってのも困るんですよね、人間って。


さて、脱線気味になってきたので、話を戻すと、そうそう、最後に「コメント」と「言及」は何が違うかという点が残っていました。どちらも言語的なSNS行為ではありますが、じゃあこの両者は何が違うのか。

これは、それらのテキストがどこに置かれるかの違いですね。

まず「コメント」は対象となるコンテンツに属するものとして置かれます。たとえば、ここnoteでは記事の下部に位置するコメント欄ですし、Xのポストでも下部に連なる返信スレッドになりますね。つまり、「コメント」はクリエイター側のフィールドに置いてくるものです。

対して「言及(引用)」は、言及する側、つまり感想を言う側のフィールドに属しています。元のクリエイター側やコンテンツに属する場ではなく、リアクションする側のフィールドに置かれるものです。

「コメント」が他国を訪問して現地で訪問の感想を記帳してくるものだとすれば、「言及」は自国に帰ってきてから他国の感想を自国内で語ってるようなものと言えます。

どっちでも何かしらの感想なりコメントをしてるなりという点では同じなのですが、その感想やコメントを相手(元クリエイター側)のコンテンツの一部として見ているか、あくまで自分(感想側)のコンテンツの一部として見ているかが違います。

で、この違いが含意するところも深掘りすると面白くなりそうですが、既に長くなってきたので、てか、白状すると江草が眠くなってきたので(深夜に書いてるので)、今日はここで打ち切ります(ひどい)。ご興味ある方は各自続きを考えてみてください。


というわけで、「フォロワー増えて嬉しいです」的な話題から、「フォロー」「スキ」「コメント」「言及」の違いの分析に話を展開してみました。

一見当たり前のようなことを、こうしてふと改めて考えるのも、なかなか一興だと思いませんか。

江草のnoteはだいたいこんな感じの「改めて考えてみる」系が多いので、お気に召した方はぜひ「フォロー」と「スキ」と「コメント」と「言及」をお願いします!(欲張りセット)

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