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変な(国民的)家

これは、ある(国民的な)家の間取りである。

田の字プラン:マンションの間取りの基本 -All About

あなたは、この家の異常さが分かるだろうか。
おそらく、一見しただけでは、ごくありふれたマンションの一室に見えるだろう。しかし、注意深くすみずみまで見ると、奇妙な違和感が存在することに気づく。その違和感が、やがて一つの「事実」に結びつく。

それはあまりに恐ろしく、決して信じたくない事実である。


狭いわー!



……と、完全にベストセラー『変な家』をパロった出落ちネタの幕開けですが、要するに今回言いたいのはマジでただそれだけです。家狭いねん。

上の間取り図で挙げた部屋は、画像の引用元の解説でも述べられてるように、日本においてファミリー向けの住居としてとても一般的な「田の字型のマンション部屋」です。新築でも中古でも同様の間取りが山ほどあります。

で、本稿では書籍『変な家』と違って間取りの細かいところは無視して広さにしか注目しないのですが、このような同じような田の字型間取りの部屋ばかりが世の中に供給されてるということは、それは自然と結局は広さも似たり寄ったりのものばかりとなっているということです。

たとえば、この記事によると、一般的な3LDKの間取りの部屋の広さは「60m2台後半~70m2前後」であるとのこと。

不動産経済研究所が発表した2017年年度上半期(2017年4月~9月)の首都圏マンション市場動向によると、首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)のマンション新規物件での1戸当たりの平均専有面積は68.48m2でした。同じく近畿圏(大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山の2府4県)では61.28m2でした。 近年の傾向として専有面積は年々減少しており、このように平均でも70m2を割ってきているのが現実です。

また、分譲マンションの間取りでは3LDKが最も多く供給されています。ざっくりとではありますが、最も多くを占める3LDKの間取りの専有面積についても、平均専有面積とほぼ同じ「60m2台後半~70m2前後」と見てよいでしょう。

この記事が2019年のものと少々古く、昨今の都心での住宅価格の高騰を考えると、ますますその狭小化が進んでる可能性は十分あるでしょう。さらに言えば、世の中の個人主義化やリモートワークの普及を考えると、需要が高まってる個室やパーソナルスペースを確保するのにより一層、住宅の広さが足りなくなってると思われます。

つまり、人々が現実的に入手できる最も一般的な間取りの一般的な家がますます主観的にも客観的にも狭くなっていると言えるわけです。

もはや「国民的な家」が狭すぎる。変すぎるのです。


でね。

世の中、少子化対策議論の文脈において「政府は子育て支援の政策を打っているが、統計データによると結婚してる夫婦は結局は昔と変わらず同じ人数しか子どもを生んでないのだから、子育て世帯を支援するのは意味が無い」みたいなことを言う言説が目立つんですけれど、そりゃこれだけ住居が狭かったら(ましてや日に日に狭くなっていってたら)子供が増えようがないんじゃないかと江草は思うんですよね。

この狭さの3LDKで(大人の分も含めた)個室を確保しようとしたら、子供は2人までになるのは不思議なことではありません。

たとえば、これは田の字間取りでも3LDKでもないより厳しい条件の例なんですけど、こちら、60平米未満の2LDKで3人子供を育てるシミュレーションをするという非常に面白い記事があります。

このシミュレーションで最も各員のパーソナルスペースの確保が重要となる時期の部屋割りがこのようになっています。

「59平方メートルの2LDKで子ども3人の個室はつくれるか」一級建築士が知恵を絞りつくした結果

リビングダイニングを分割して子供の部屋と寝床を確保するという作戦です。さすがプロのアイディアで、すごいと言えばすごいのですが、やはり苦肉の策感があるのは否めないでしょう。

江草家で言えば、江草の蔵書がみっちり詰まっている本棚は明らかに入るわけがない状況です。(リストラ必至ですね)

家の狭さが出産育児意欲に関わることは、江草だけが言ってるわけではなく、同様の意見はしばしば見られます。

東京は住宅が狭すぎて家の中に文化がない。

まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。
大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパや東南アジアの珍味を貯めておけない。
ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器が一家で20枚もない。
子供が学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形やひな人形を飾れない。
結婚式で作ったドライフラワーはクローゼットの奥にしか置き場がない。
ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。

狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。
生殖を制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。


つまり子供を育てるのに家の広さや個室の確保が死活問題なんですね(少なくとも現代では)。


もちろん、これは贅沢な悩みと言われれば確かにそうなのでしょう。

有史以来もっと狭く汚い家であっても人類は子供を産み育ててきたし、今でも個室が確保できないような間取りの家に住みながら子だくさんで幸せに暮らされてる方もいらっしゃることと思います。

「十分に快適で綺麗な家を手に入れておきながらこれぐらいのことで不満を言うなんて贅沢だ」と言えば、確かにごもっともなのです。

しかし、これを「贅沢な悩み」であるとみなすならば、もっと「贅沢」ができる選択肢に人々が流れ込む傾向を示すのも必然であることを認めるべきでしょう。

すなわち、産む子どもの数を制限するという方向です。

子どもの数を増やさなければ、家をより広く使える、あるいは住宅費を抑えてその分のお金を他のことに費やせるという「贅沢」ができるわけですから。

だから、「家が狭くて子どもを増やすのは無理」という悲鳴に対して、ただ「贅沢を言うな」と返すのであれば、人々は反論せず黙って子どもの数を抑える方向に出るでしょう。そんなことを言ったところで何の解決にもなりません。

というより、これ(家が狭いから産む人数頭打ち)がまさに今既に目の前で起きてる少子化現象なのではないでしょうか。

こう言うと「都会じゃなくて郊外や田舎に住め」と言われるのかもしれませんが、そもそも世の中の人々(特に若者)が郊外や田舎を嫌って積極的に都会に移り住んでいるということなのですから、それだけでは「少子化だと?じゃあみんなが子どもを産めば解決!」と言ってるだけレベルの、人々の意思や選好を無視した素朴すぎる発想です。

ここには「じゃあ人々が都会じゃなくて郊外や田舎に住みたくなるようにするはどうしたらいいですか?」というこれまた非常に大きな難題が待ち構えています。

「子どもを産め」と言って産まれたら苦労しないし、「田舎に住め」と言って住むなら誰も苦労してませんからね。

実際、郊外に住んだら住んだで、今度は都心に通勤するために過酷なスケジュールになるのは、以前も紹介した通りです。

ともかくも、こうした住宅事情のことを鑑みずに、「ほら、いくら子育て支援をしても既婚夫婦は子供の数を増やさないじゃないか。だから子育て支援は無駄だ」と声高に叫ぶのは、どうにも的を射てない意見にように思えてなりません。

逆にむしろ、こうした子育て世帯の住宅事情を改善する目的の子育て支援が必要と言うべき場面ではないでしょうか。


なお、家が狭いのは、ぶっちゃけ日本だけの特徴ではないようですが、本稿では便宜上「変な(国民的)家」と表現させていただきました。

日本のみならず世界的に少子化および都市化がグングン進んでいることを考えると、この一般的な(都会の)住宅が子育てするには狭すぎるという「変な家(狭すぎる家)」問題は今や世界的大問題と言えるのかもしれません。


ちなみに住宅問題については、また別の視点で現代社会の惨状を描いたこんな記事も過去に書いてます。


おまけ

ちゃんと元ネタにも敬意を表してご案内しておきますよ!

↓リンク再掲

こちら、『変な家』は間取りをテーマとしてる不動産ミステリーです。(ゆえに全然本稿の内容とは関係ありません)

江草も過去に感想文を書いてます。めちゃ面白かったです。

書籍だけでなく動画もあります。


映画にもなってます。(ただ、原作からだいぶ改変されてるという噂)


パロディネタにもされてます。

ひどい😂

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