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「忙しい」の量と質

昨日の続き。

昨日はこのポストの「イーロン・マスクは世界一忙しい経営者」の評にツッコミを入れました。

イーロン・マスク氏が忙しくないとは言わないですが、普通にゲーム『エルデンリング』をクリアしたことを公言してることからして、さすがに「世界一」は言い過ぎでしょうというお話でした。


さて、今回はこの話を足場に昨日の記事の最後に触れていた「忙しいとはなんぞや」について語ってみたいなと思います。

前述の通り、(世界一であるとするのは疑問が残るものの)イーロン・マスク氏は実際忙しいと思うんですよね。「週100h働く」という本人談を信じると、過酷すぎるとして問題となっている「医師の年1860h残業時間基準」に匹敵するレベルですから。

年1800時間残業するとこんな風にスケジュールびっしり
医師の働き方改革の制度解説ページ -いきサポ


ただ、「忙しさ」には量だけでなくて質的な側面もあることを忘れてはいけません。

イーロン・マスクが語ってるように「隙間時間にスマホで仕事」とか「フォーカスすることが大事」と聞くと、本格的に多忙感を覚えてる人たちからすると、「あ、隙間時間あるんだ」とか「え、フォーカスが許される環境があるんだ」とむしろ逆に恵まれて見えるんですよね。

江草は今ではそんな多忙な働き方はしてませんが、一応医師の端くれなのでかつては「24時間食べ物を口に入れる暇がなかった働き方」をしてた頃もありました。やることが多すぎて、食べ物を買うとか食べ物を目の前にするとか、そういう状況にさえなかなか到達できないわけです。

ちょうど最近のNHKの医師の働き方改革特集でも、コンビニサラダを食べようと思った瞬間にすぐに呼び出される医師の姿がありありと映像で記録されていました。

勤務開始から15時間。

ようやく出勤してから最初の食事にありつくことができました。

ご飯は決まって、病院内のコンビニで購入するサラダだけだと言います。

「ダイエットしているので・・・。帰るタイミングがないですからね。いつもコンビニですね」

食べ始めたところで、那須さんの電話が鳴りました。

「もしもし」

Q「呼び出しですか?」

「そうですね」

患者の容態が急変したという連絡でした。

サラダにほとんど手をつけられないまま、患者の対応に向かいました。


このレベルになると、隙間時間を活用も何も、スマホを持ち出すどころか、トイレや飲水をなんとかこなすので精一杯レベルなんですよね。(手術などの手技中はスマホはもちろんトイレや飲水もできません)

しかもこのように何かをしようとした瞬間、あちこちからすぐに問い合わせがあったり呼び出されたりするのでフォーカスも何もあったもんじゃありません。「何かにフォーカスできる」、その環境が保たれてるだけむしろ羨望の的になる世界があるわけです。


つまり、イーロン・マスク氏のような経営者層が言う「忙しい」は、労働者層が言う「忙しい」と質的な意味でまるで異なってる可能性が高いんですね。

社会学者ホックシールドが著した『タイムバインド』という書籍でも、会社の重役レベルの人がワーカホリック的にバリバリ多忙に働きながらも「仕事が楽しいんだ」と語っているインタビューの章が出てきます。

ビル自身は平均して一日10時間働く。申し分のない額の給与が支払われ、仕事に愛情をもち、そして協力的な妻に恵まれている。そして彼は喜んでそうしているのだった。私がインタビューをした12人の取締役は、週50時間から70時間、働いていた。ある人は自分を「12時間プレイヤー」と言い、またある人は「管理された仕事中毒」と表現した。

A・R・ホックシールド『タイムバインド: 不機嫌な家庭、居心地がよい職場』
※ここで登場しているビルという人物は会社の重役
(縦書きを横書きに変換するため便宜上原書漢数字を英数字に置換しています)


本人たちが仕事が楽しいんであれば、それはもちろん何よりなことです。

ただ、ホックシールドはその背景にある「仕事の質的な格差」を見逃しません。

少し長いですが、非常に興味深いところなので引用します。

ビルの労働時間はたしかに長時間に及んでいるが、それは、不必要な障害物が除外された特権的なゾーンに組み入れられた時間によって成り立っている。家庭では、妻が彼の電話を取り次ぎ、戸口の訪問者に応対し、不要なものを取り除く。職場では、彼の秘書がビルのために同じことをする。二人の女性は、ともに、ビルの仕事日から不確実なものを取り除く作業に従事する。ビルの口から、アメルコ社内のヒエラルキーにおいてずっと下のほうに位置する従業員たちから、共通して聞かされるストーリーを耳にすることはなかった。行方不明になった猫、突然熱を出した子ども、年配の親戚からかかる急ぎの電話、ベビーシッターが見つからないといった困りごとは、ビルの世界には起こりえない。礼儀正しく、妻と秘書がビルを警護しているからだ。時間泥棒や、許可なく時間を占拠する者たちに常に警戒の目を光らせながら。ビルの秘書は彼の時計だった。彼女はビルのスケジュールを整理し、いつ何をすべきかを指示し、日々の優先事項を選択する。この作業のおかげで、ビルは、提示された仕事に「自発的に」対応することができた。そして一つの仕事を終えるまで、どの仕事にも集中することができるのだ。

A・R・ホックシールド『タイムバインド: 不機嫌な家庭、居心地がよい職場』
※ここで登場しているアメルコというのがインタビュー調査の舞台となった企業(仮名)


つまり、イーロン・マスク氏のような経営者・管理職層は「フォーカスすることが大事なんだ」などと言いますが、実のところ、そうした「フォーカスができる」のはフォーカスができるように周りの人(従業員たちや妻など)に守ってもらってるに過ぎないという指摘です。

フォーカスを妨げるような突然の問い合わせやクレームへの対応や、あるいは子どもの熱発、怪我といった対応は周りの人がやってくれていて、だからこそ重役の自分たちは思う存分に「仕事にフォーカスできる」。彼らがそんな恵まれた立場であることをホックシールドは露わにしているわけです。

一方の、急な問い合わせや家庭トラブルに対応している側の者たちはと言うと、何をしていても急に何かが割り込んでくる環境下にあるために、フォーカスなんてとてもできないわけですね。フォーカスの妨げになる事項の対応をしている役割なのですから、当然と言えば当然です。でも、そんな役割を担っている彼ら彼女らにとってすれば、「フォーカスが大事なんだ」と言われても苦笑せざるをえないでしょう。「いったいお前は誰のおかげでフォーカスできてると思ってるんだ?」と。


そして、そうした「仕事にフォーカスできること」を含め、何もかもが恵まれた仕事環境であるがゆえに、彼ら重役たちが「仕事が大好きで長く働きたくなる」のは全然不思議でもなんでもないこともホックシールドは絶妙な対比で描き出しています。

私のインタビューに答えてくれた取締役の役員たちが仕事をこよなく愛していたことは、偶然ではない。彼らの仕事が、それ自体、愛すべきものであるよう、仕立て上げられていたからだ。出張も、いかに負担の重い旅程であっても、アメルコの役員にとっては生活の中心だった。出張先で宿泊するホテルでは、枕の上にそっとチョコレートが置かれているのを目にする。早朝にモーニングコールが鳴り、新聞がドアの下から差し入れられている。ルームサービスで運ばれてくるコーヒーをすすり、めずらしいアメニティや調度類を堪能しながら自由な時間を満喫することができる。家庭の主婦にとって羨望の的ともいえる一場面である(「結局、夫は出張先で御馳走を食べていて、私は子どもとピーナッツバターサンドイッチを食べているってわけ」。一人の重役の妻は、近所の公園の砂場の脇に腰掛けて、羨ましそうにため息をついた)。

A・R・ホックシールド『タイムバインド: 不機嫌な家庭、居心地がよい職場』


確かにあくまで仕事の一環ではあるし、仕事に大変なことが多いのも否定しないですけれど、出張や会合で、いいホテルに泊まり、美味しいご飯を食べ、素晴らしい接待サービスを受けられるなら、そりゃ仕事も頑張れるよね、ということです。

特にここで出てきた「家庭の主婦」との対比が重要です。

主婦は先ほど重役たちのフォーカスを守るための家事トラブル対応要員としても出てきていました。だから、「家庭の主婦」はトラブルにひっきりなしに対応する典型的な「フォーカス不能環境」の立場になります。

掃除や洗濯などの純粋な家事作業だけならまだしも、子育てなどのケア活動がついてくると、常に子どもの動向に気を払ってないといけないので、全然フォーカスなんてできないし、気が休まることがありません。しかも、「週100h働いてるんだぜ」どころか24時間365日常にそういう気が休まらない状態なのが育児の環境なんですね。

だから、もしよかったら、ぎっちぎちのスケジュールで子どもの保育園の送迎をこなしてるワンオペワーキングマザーや、専業主婦ではあるけれど1人で子どもを複数人面倒見てるお母さん方に試しに聞いてみてください。

「やあ、初めまして、僕は世界一忙しい経営者なんだ。ところであなた、エルデンリング、クリアした?あのゲーム面白いよね!」って。

多分、めっちゃ怒られて、下手するとぶん殴られるかと思います。「そんな暇あるわけねえだろ!ふざけんな!」と。

※なお、ワンオペワーキングマザーの殺人的な分刻みスケジュールはこちらの記事でその一例を見ることができます。


さて、そろそろここらで最初の疑問に戻りましょう。

以上のように、隙間時間すらないし、フォーカスなどという贅沢な行為は許されてない環境でバタバタと働いて生活してる人は多々います。

ここで、「自分は多忙なんだ」という自負を見せながら「隙間時間にスマホで……」とか「フォーカスすることが大事なんだ」とか言われても、多忙ガチ勢からすると「え、隙間時間が活用できたりフォーカスが守られてたりする程度の忙しさ内容で本気で忙しいと思ってんの?」と苦笑せざるを得ないわけです。しかもイーロン・マスク氏の場合『エルデンリング』クリアしてます公言までついてきてますからね。

確かに、冒頭でも書いた通り、イーロン・マスク氏も長く働いてるんだとは思います。実際忙しいんでしょう。苦労も色々とあるはずです。でも、それでもおそらくその忙しさの質は一般人が想像するものとまるで違う。そして、質が違えば、量(仕事時間)の増加に伴う負担も、当然全然異質なものになってくるわけです。

ところが、この世の中では往々にしてイーロン・マスク氏のような裁量権のある働き方の人たちの方が「世界一忙しい働き者」として崇め奉られて、一方で労働時間にカウントされない家事育児活動の多忙さにより汲々としてる専業主婦(主夫)たちはまるで「せいぜい時短でしか働いてない暇人の怠け者」であるかのように低位の扱いとなっています。むしろ、後者の方が量・質共によほど忙しいかもしれないのにも関わらずです。

こうした社会的評価傾向は、「忙しさ」について量にしても質にしても大変に勘違いしている態度と言わざるを得ません。

もちろん、冒頭のポストに見られる「世界一忙しい経営者」という評を、あくまで「経営者の中で世界一忙しい」という意味に過ぎないと考えれば、ブラック労働者や専業主婦などと比較してるわけではないと解釈することもできます。ただ、その場合、「経営者とはなんと暇な人種だろう」という評価は避けられないと思いますけれど。


あと、誤解がないよう、最後に述べておきたいのは、江草はこうした裁量権がある働き方をしている経営者たちを馬鹿にしているわけではないということです。今回批判しているのは彼らをこそ「世界有数の多忙な働き者だ」と評してしまう社会傾向についてであって、彼ら自身や彼らの働き方を批判しているわけではありません。

むしろ、ほんというと、多くの人たちがそうやって、自分の仕事にフォーカスして取り組めて、自分の仕事を愛しながら働けるなら、それにこしたことはありませんし、そんな世の中をみんなで目指したいなと江草は考えています。

もし、そうした世の中が実現できたとしたら、多分その時には人々の「労働」に関する意識もまるで異なってると思うんですよね。「強制された不愉快な活動」や「辛いけど生きていくために仕方なくしなきゃいけない苦労」としてでなく、自発的にやりたいからやっている、そんな「労働」に変質しているはずです。

そうなったら「俺はこんなに長く多忙に働いてるんだぜ、すごいだろ」とか、そんなのはアピールにならないでしょう。だって、その時にはもはや誰もが好んで自由に働いている世の中なのですから。今の世の中で「ゲームをこんなに長くプレイしてるんだぜ」が大したアピールにならないのと同じです。

むしろ今の世の中で「俺はこんなに忙しく働いてるんだぜ」が強力なアピールになるということが、「労働」が皆にとって辛いものでしかないという悲しい現状を物語っています。

働きたい時は働く。ついつい楽しいからずっと働いてしまう。でも時々『エルデンリング』をプレイしたい時はプレイする。そしたらそれでみんなから「いいね」と言われる。

そんなイーロン・マスク氏のように全員が働けて、生きられたら、世の中は今より随分と忙しくなくなってる。なんと素晴らしきことかな。

江草はそう思うわけです。


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