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医師はブラックでホワイトで、けっこうブルー

医師は、世の中の労働問題の縮図のような職業だなと、かねがね思っています。

医師と聞いて業界外の方々が想像する姿として一般的なのは、命を救うエッセンシャルワーカーであり過労にまみれた大変な職業というところでしょうか。

実際、それは正しいのですが、あくまで「それは医師の全員ではない」あるいは「グラデーションがすごい」というのがとてもややこしいところなんですね。必ずしもエッセンシャルワーク的であったり、ブラックであったりとは限らないのです。

たとえば、エッセンシャルワークでないものとして、分かりやすいのは自由診療の美容外科でしょうか。もちろんこれはこれでニーズがあって不要とは決して思わないのですが、世に言うエッセンシャルワークのイメージとは大きく異なるでしょう。しかしながら、これも医師しかできない仕事です。

そして、医師がブラック労働というのも必ずしもそうではありません。
江草がかつて短期間研修に通っていた某病院では、正午には回診や外来など主だった仕事が終わってしまって、医師の面々が昼から医局でぼーっと好きなことをしたり、雑談していたりしていました(そして定時で帰る)。外部の方々が見たら「なんだこの暇そうなやつらは」と怒る人もいるかもしれないぐらいのホワイトな環境です。江草もその直前まで家に全然帰れないぐらいのブラック×ブラックな研修を経験していたので、その落差に驚いたものです。

だから、必ずしも医師がエッセンシャルワーク的ではないし、ブラック労働ではないのですが、その一方でもちろんエッセンシャルワーク的でブラックな働き方をしている面々もいるわけです。

たとえば、一刻を争うような緊急手術に日夜を問わず呼び出される心臓血管外科の方々は、時にICUの患者のベッドの下で仮眠するほどの生活と言います。なんでも患者のベッドの下は「モニターの異常音にすぐ気付けるから便利だよ」と。江草はそこまでの境地にはなれませんが、ともかくも彼らがいなければ救えない命があるのは確かで、とてつもなくエッセンシャルでそしてブラックです。

そして、もちろん両極端だけでなくその間に幅広いグラデーションがあるのです。そこそこエッセンシャルで、そこそこホワイトかつブラックすなわちグレーのような段階。

江草のような放射線科医は心臓血管外科や救急などの並み居る強豪たちを見てしまうと正直まあゆるい方の働き方の医師なのは間違いありません(比べるのもおこがましい)。でもだからといって画像診断管理加算(いわばノルマ)に追われひーひー言ってる場合もあるので絶対的にホワイトかというのも違う。

あるいは他の内科や外科などの臨床の同じ科同士であっても、医療機関や立場によっては全然働き方の忙しさが違います。同じ科の同じような肩書きであってもブラックだったりホワイトだったりします。大変ややこしいことに。

そして、仕事のエッセンシャル性の評価も実際には極めて難しいものがあります。たとえば、健康診断の検査画像を読影するのはエッセンシャルか。エッセンシャルではないとは言わないまでも、救急外来の患者を撮影したCT画像の読影よりもエッセンシャルかと言われるとそんなはずはないでしょう。でも、それらにどれだけの差があるのか、どこかで線引きができるのかというと途端に難しくなります。

このように、概して医師はエッセンシャルワーカーでブラックであるという認識がなされているものの、実際には仕事にエッセンシャル性やブラックさのグラデーションがあり、その線引きが難しいということが、医師の労働問題の厄介さを生じています。

世の中のエッセンシャルワーカーが往々にしてブラックにもかかわらず薄給であるのと同様に、医師という職業の内部でもエッセンシャル性が高い仕事の方がブラックかつ薄給になりやすいという矛盾を抱えています(医師ならみな知ってる業界の常識です)。

そう聞くと、エッセンシャル性が高い仕事内容でブラックな医師たちに報酬を高めたらいいのではないかと誰もが考えると思いますが、残念ながらそれが簡単にできたら苦労しないわけです。なぜなら、先ほどから言っているように、そこにはグラデーションがありその区別が難しいからです。

たとえば、素朴に心臓血管外科医に追加で補助金を出すぞと言ったならば、実態を伴わずに心臓血管外科医をとりあえず名乗る医師が増加するだけです。そこで「いやちゃんと緊急手術をしているような医師にだけ渡す」などと言ったら、おそらく緊急手術のオペレーターの取り合いになり、そして周術期管理のようなこれも手術に伴うエッセンシャルワークであるはずの残りの業務を担う医師には回らないなどという理不尽が起きるでしょう。じゃあといってまた新たな設定を加えると、それに対応して制度をハックして報酬を楽して受け取る者が現れる。そんなイタチごっこが始まります。

実のところ、そういうイタチごっこが続いて、医師たちにすら全貌が全く分からない複雑怪奇なスパゲティコードになってしまったのが今の診療報酬制度です。その証拠に、こうした診療点数早見表は人を殴ったら殺せるんじゃないかぐらいの厚みのある鈍器本と化しています。(どうも1700ページあるらしい)


とはいえ客観的に評価するのは難しくても、主観的には周りの同僚たちは各医師の実際の働きぶりに気付いてたりもします。あの先生は重要な仕事をがんばってやってる良い先生だから報われて欲しいなと思う。でも、だからといって「じゃあ周りの評価で報酬を決めよう」などとしたら、今度はコネと人気取りと権力争いといった人間関係駆け引きゲームの引き金を引くだけです。結局は多分「良い先生」は報われないことになるでしょう。


こう見ると、医師という職業がまさに労働問題の縮図であるということがお分かりいただけたのではないでしょうか。

一般的に、仕事というのは「社会における大事なこと、必要不可欠なこと(エッセンシャル)」とみなされています。だから誰かを誘った時に「その日は仕事なんで」と断られたら引き下がるしかない。仕事は社会において極めて優先順位が高い活動ですから。

そして、家庭で過ごす休日よりも仕事の方が大変だろう(ブラックだろう)ということで仕事をしていれば仕事をしているだけで「お疲れさま」と声をかけられます。そして、大変な分、対価としての報酬も弾もうとなります。

このように概して仕事というのはエッセンシャルでブラック(大変)であるという認識がなされているものの、実際には仕事にエッセンシャル性やブラックさのグラデーションがあり、その線引きが実に難しいという特徴があります。まさに医師の仕事と同じように。

誰もが誰かの仕事に対して「なんであんな楽で意味もなさそうな仕事内容で報酬が高いんだ」という理不尽を感じることのひとつやふたつあるでしょう。だから、意義があって大変な仕事にこそ高い報酬がつくべきだと憤る。しかし、その実現が実に難しい。

なぜなら、仕事には極めてあいまいなグラデーションがあるために「あなたの仕事はエッセンシャルでないし大変でない」と証明するのが難しい上に、当の仕事をしている者たちも報酬を削られまいと「私の仕事はエッセンシャルであるし大変なのだ」と抵抗を示します。この辺の議論が水掛け論となり、結局は「自分の仕事の重要性の証明」が上手い者が勝利します。

そして、皮肉なことに「自分の仕事の重要性の証明」を上手くやれる者は、その証明に割ける余力や能力がある者なんですよね。つまり楽な仕事をしている者はその証明に注力できるし、大変な仕事をしている者はヘトヘトでその証明をする余裕がない。とくにブルーワーク肉体労働的な仕事をしている方はそういった「証明」みたいな理屈っぽい作業が不得手であったりもします。エッセンシャルワークは往々にしてブルーワークの形を取ってるにもかかわらずです。

それで、結局は私たちが理想と思う「いい仕事」をしている人たちはやっぱり報われないという理不尽な状況に陥りがちです。非常に残念なことですが。

もっと言えば、エッセンシャルでブラックな活動であるとみんな気付いているはずの家事や育児(あるいは介護)は、「それが仕事でない」という一点ゆえに不遇な立ち位置に置かれてることは皆様もご存知の通りです。

だからこそ、みんなとにかくこぞって「仕事に就くこと」を優先しているのが今という時代です。仕事に就いていれさえすれば、「社会にとって必要な立場を担い労力を割いている」という一番簡単で基本となる社会的証明と、そして実益としての給料が得られるのですから。それら社会的証明や報酬は悲しいかな家事育児では得られないのです。


そうそう、ついでに言っておきますと、高学歴であるためにとにかく頭が良い系の仕事とみなされる医師という仕事はその実とってもブルーワーカー肉体労働的なところがあります。一部の特殊な業務を除けば、その時その場所で患者さんの身体や話に直接向き合わないと何もできませんし、手術という高度な手作業に専念している姿や、次々と外来患者の列をさばく様は、まさしくブルーワーカー然としています。

もちろん、それぞれに相応の知識や思考力が必要とされるので頭を使わない仕事というわけでは決してないのですが、他の高学歴ワーカーのほとんどがホワイトカラージョブにつくことを考えると、この医師のブルーワーカー性はなかなかに特異なところがあるでしょう。

医師が実質ブルーワーカーであり、そして診療報酬制度の定価出来高払いに基本的に縛られているために、他の高学歴ホワイトカラージョブたちが行なうような「付加価値を上げて単価を上げる」みたいな手法ができません。それでも報酬を高めようとすると「できるだけ高い単価の作業の数をこなす」みたいなとにかく数(回転率)で勝負する戦略になりがちです。それゆえ、できるだけ長く働くブラックな労働への誘因となってるところもあるんですよね。長く働けば長く働くほど単純にこなせる数が増えるのですから。

この性質も、医師の働き方改革が進まない原因のひとつと思ってます。医師の診療時間が減れば医療機関が受け取れる報酬もシンプルに下がるので、インセンティブが働きにくいのですよね。できるだけごまかしてなるべく長く働こう(働かせよう)としたくなります。

この辺の、結局はお金を得るためには長く働くしかないという、ブルーワーカー特有の労働時間比例的な性質も(医師はブルーワーカーの中では格段に高時給ではあるものの)、世の中の労働問題の縮図としてぴったりだなあと思うところです。


本稿は、タイトルだけひらめいて、完全にノリで勢いで書き始めた代物ですが、元ネタはみなさんもご存知のこちらです。

この本の内容は全然関係ないので申し訳ないですが笑

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。