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『テクノ・リバタリアン』読んだよ

橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』読みました。

江草のハンドルネームの下の名前は実は橘玲氏の「玲」を意識して付けているぐらいで、江草は長年の橘氏のファンなんですね。(でもせっかく「令和」だから「令」にしようというノリで玉偏は取ってしまったのです)

さすがに多作の氏の著作を全部追いかけれてはいないのですが、このたびの橘氏の最新刊『テクノ・リバタリアン』は内容が気になって読んだのでした。

みんな大好きイーロン・マスクやピーター・ティール、サム・アルトマンなどを世界的テック系富豪達を突き動かす、自由をひたすらに求める思想「テクノ・リバタリアン」を解説する新書です。

つくづく思うのですが、橘氏は最新の概念を整理して紹介するのがほんと上手いんですよね。

今回もリバタリアン(自由至上主義者)の系譜としての最新形態である「テクノ・リバタリアン」の姿を、他の思想的立場(リベラル)や従来の立場(新反動主義)との違いを的確に説明しながら、浮き彫りにしていっています。

とくに、やっぱり「テクノ」とついているだけあって、ブロックチェーンなどのIT系の知識もどうしてもからんでくるのですが、これらの説明もきれいに回収して話を進めるのが、さすがの腕前だなと思います。橘氏の十八番である進化論的な説明も随所に織り込まれていて、分野を問わず広く見識のある氏ならではの解説書となってると言えます。

「イーロン・マスクとかサム・アルトマンとか何考えてんねん」と疑問に思う人々に、ざっくりとした最新情勢のキャッチアップを提供する、ザ・新書らしい新書と言えます。

面白かったです。


で、そんなわけで本書はテクノ・リバタリアンの生態に迫る内容なのですが、ここに映し出されてるのは「自由が大事だ」と言いながら、結局は自分たちの都合よく社会や人々を支配しようとしてる矛盾に陥ってる彼らの姿です。

ちょっと文脈は異なるのですが、江草がこの記事「反権威主義者のジレンマ」で指摘した問題と近くって、

国家による支配を逃れた自由な社会を夢想している彼らが、その自由な社会の維持のために自身が国家の代わりに強権を振るおうとする(あるいは振るわざるを得なくなる)という問題なんですね。自由の戦士のはずの彼らが、自由を制限することに加担し、しかもそれを苦し紛れの理屈で正当化しようとしている。

「とてつもなく賢い天才たち」と本書では評されてますが、むしろ本書を読んで感じるのは、彼らの思想があまりに単純かつピュア過ぎることです。ここにあるのは「すごい天才達が社会を良い感じにエレガントなユートピアにしてくれる」と期待を高めてもらう神話ではなく、「ほら言わんこっちゃない」と苦笑せざるを得ない傲慢すぎた彼らの滑稽なドタバタ悲喜劇とさえ言えましょう。

それでも著者の橘氏がもともとリバタリアン志向が強いのもあって、ひょっとすると彼らテクノ・リバタリアンを支持的に賛美して描き出すのかなと思ったら、意外にも橘氏的にも彼らにはちょっと冷ややかな視線を注いでるところがあります。もちろん、大筋の志向には親和性があるためか明確な批判まではしてないものの、思いのほか心理的に距離を取っている感がある。自由を重んじる橘氏でさえも、彼らのドタバタっぷりにちょっと浅慮すぎるのではないかと困惑している本音を感じます。

多分このあたりは、彼らが結局は本音としてはあくまで「自分が自由になりたい」のであって、「社会が自由であってほしい」とは意外と思ってなさそうというところに起因しているのでしょう。(賢くて優秀な自分たちを邪魔したり虐げる者や自身の死の不安を排除したいという自分個人視点から抜けられてない感じ)

橘氏もけっこうサバサバしてるところはありますが、非正規公務員の問題に切り込むなど、生粋の自由至上主義者として、シンプルに世の不自由の存在に義憤を感じてるところがある印象があります。

この辺の温度差が橘氏がテクノ・リバタリアンを見る目が意外と淡々としているところの原因なのかなあと感じました。

とはいえ、これだけ世界的に自由志向が高まってるのは否定できない流れであるし(この現実を無視する世の短絡的な「リバタリアニズム批判」に対する怒り)、彼らテック長者たちのグローバルな影響力は無視できないほど高まってる世の中だから(そうこうしてるうちに彼らがリバタリアニズムを主導しちゃうかもしれんぞという警鐘)、彼らの思想を世に広く紹介することが必要であると感じて、今回本書を出されたのだろうと考えられます。


本書はあくまで彼らテクノ・リバタリアンの思想を紹介することなので、橘氏自身の主張は控えめにしかなされてないのですが、終盤で『ラディカル・マーケット』の紹介に力が入ってるところに、橘氏の真意を感じられます。

その名の通り、徹底した市場原理の敷衍を提言する書籍です。こう聞くと「はいはい、また世にあふれる耳タコな市場原理主義の主張なんでしょ」と思われるかもしれませんが、特徴的なのはタイトルにもあるように市場原理主義でありながら私有財産を否定していることなんですね。

これは、一般的には同じ思想として一緒くたにまとめられがちな、市場原理主義(自由市場)が資本主義(財の私有独占)と実は緊張関係にあることから来る発想なんですが、この対立において、市場原理の方に比重をガッツリ置く過激なポジションを堂々と提示しているのがこの書籍ということになります。(つまり「私有財産の否定」というのは実は共産主義の専売特許ではないわけです)

詳細な説明はそこそこ複雑なので、そこについては、本書『テクノ・リバタリアン』か『ラディカル・マーケット』本体をあたっていただくとして、いわゆる「メカニズムデザイン」を通じた極めて興味深い市場設計が提示されていて、江草的にもけっこう好きな発想です。

まあ、このアイディア自体も広義の意味では結局はテクノ・リバタリアン的なのですが。

で、橘氏的にもこの『ラディカル・マーケット』のようなメカニズムデザインを駆使した市場主義に希望を見ている感じがあって、そこは江草的にも共感するところだったので、うれしく思いました。


あと、本書で良かったのがベーシックインカムの課題についての指摘ですね。

サム・アルトマンが進めている仮想通貨ワールドコインによるベーシックインカム構想に触れる流れで、橘氏はベーシックインカムに対する批判を述べられています。

批判の詳細な内容は本書を読んでいただきたいのですが、たとえば、ナショナリズム的な傾向を助長する問題とか、生者・死者の捏造・隠ぺいの問題ですね。

まあ、ベーシックインカム支持者としてのひいき目かもしれませんが、言われるほど決定的で致命的な問題ではないし、真剣なベーシックインカム論者なら当然気づいてる課題ではあるとは思います。

ただ、それでもいずれの指摘もベーシックインカムの社会実装には避けて通れない現実的課題ではあるので、それを整理して提示してくれてるのは、非常に良いなと思いました。

一応、余談的にコメントをしておきますと、江草個人的にはベーシックインカムは上述のメカニズムデザイン的に社会や市場の維持に必要な要素として盛り込むべき仕様という位置づけです。あくまで「必要」であって「十分」ではない。

なので、批判者が言うようなベーシックインカムだけで全部の社会問題を解決しないといけないみたいな期待ないし要求は、なんだか過度にベーシックインカム制度に厳しい保守的な態度であって、アンフェアな視点ではないかとは思いました(現行の制度でそこまでパーフェクトな期待に耐えるものがひとつたりともあるでしょうか)。


というわけで、以上、だらだらっとですが、『テクノ・リバタリアン』の感想文でした。

読みやすい文体・ボリュームで、新興勢力たる「テクノ・リバタリアン」の生態が分かる本書、イーロン・マスクが大好きな人あるいは大嫌いな人にはとくにオススメです。

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