見出し画像

絶対に語ってはいけない少子化対策24時

先日NHKで「チャイルドペナルティ」の特集をやっていたそう。

「チャイルドペナルティ」とはいわゆる「子育て罰」で、出産や子育てによって社会的・経済的に不利を受けることを指す概念です。子育て自体に多大なお金と労力がかかるし、労働時間確保やキャリア形成に不利になって収入が減ったり将来の増収も期待できなくなると。出産育児意欲を削ぐものとして、少子化の要因としても注目されています。

この「チャイルドペナルティ」、以前からちょいちょい議論に上がるようになってはいましたが、今回のNHKの特集を受けてSNSでもひと盛り上がりしたのだとか。

江草もチャイルドペナルティは大問題だと思っているので、注目されることは歓迎なのですけれど、この記事の議論の流れや結論を見ると、正直「うーん」と考え込んでしまいました。

あるいは、合わせて発見した、これはまた別の機会にNHKがチャイルドペナルティを解説していた「視点・論点」の概要記事を見ても同じ感想でした。

なんかこう、「チャイルドペナルティ」の問題への対策がどれもこれも「負担を男女平等にしよう!」の段階で止まってしまってる感じがモヤるんですよね。

たとえば、上の記事たちではこんな感じです。

しかし問題視されるべきは、子育て期間において女性に家事や育児が偏ってしまっていることといえます。

現代において、共働きの家庭が増加しているとはいえ、「家事や子育ては女性の役割だ」という思い込みをやめられない人は一定数いるものです。そうした固定観念が消えない限り、『チャイルドペナルティ』という言葉は今後も残り続けることが想定されます。

夫が育児休暇を取得し、育児と家事がいかに大変かを少しでも知るきっかけを作るだけでなく、家庭内労働の負担をできるだけ均一化することが求められるのかもしれません。

チャイルドペナルティに様々な声 「よくない表現だな」と嫌悪感を表す人も

働き方やキャリアに柔軟性をもたせて、育児をしている人の能力や仕事の評価におけるバイアスを修正することは、男性も育児を担いやすい状況をつくり、女性に育児が偏っている現状やそれを理想とする規範を改善していくはずです。

“チャイルドペナルティー”の実態

いずれも、女性に偏ってる育児負担を男性も担う、男女平等の達成を主眼に置いた主張です。

実際、この「チャイルドペナルティ」、女性(母親)が往々にして育児主担当になりがちな世の中にあって、その不利を女性が一手に引き受けることが多く、その点から「マザーフッドペナルティ」とも呼ばれるそうです。だから、育児負担の男女平等化を主張すること自体は妥当だと思いますし、江草も当然賛同するものです。

ただ、そこで止まっちゃあ意味がないと思うんですよね。少なくとも少子化対策を視野に入れてるのであれば、あまりに不十分な結論でしょう。

まず、改めて確認しますけれど、「チャイルドペナルティ」とは出産や子育てによって社会的・経済的に不利を受けることでしたよね。

で、この不利が現在女性に偏ってるから、男女平等に負担しようと訴える。

ここまでは分かります。

でも、この「ペナルティ負担の男女平等化」で話が止まったらどうなりますか。

男女にかかわらず、、、、、、、、育児を担当した者がチャイルドペナルティを平等に、、、引き受けるという話で止まってしまうんですよね。

この段に至っては、もはや性別の話は関係ありません。ただただ「出産や育児を担当した人」が「出産や育児を担当しない人(抑えた人)」よりも不利というチャイルドペナルティが手つかずで残ってしまうわけです。

なら、結局チャイルドペナルティを嫌気して、挙児希望を抑える少子化トレンドは変わらないでしょう。子どもを産むよりも子どもを産まない、もしくは子を少人数で抑える方が有利なままだからです。負担が男女平等になったからといって、その負担の絶対量の緩和に手をつけなければペナルティはペナルティのまま当然残ります。

ここにも手をつけてこそチャイルドペナルティが解消されると思うわけですが、どうにも上で挙げたようなチャイルドペナルティ議論でこの点に対しての踏み込みが見受けられないんですよね。そうした点に踏み込まずに、とにかく「男女平等化」を強調して話を収束させてしまう。

もちろん、育休取得によるキャリア形成不利を緩和する企業の取り組みとかありますから、チャイルドペナルティの緩和に完全に無策とは言いません。ただ、男女平等であるかどうかだけにこだわって、その程度の策でチャイルドペナルティの解消に本当に十分に有効なのかの議論をしないままなのはどうにもおかしいと思うわけです。

多少の育児支援制度があったとしても、出産育児を抑えて、仕事に邁進した方が結局は有利なのであれば、そこにはやはり「チャイルドペナルティ」は残ってると言うべきでしょう。

なんなら、上記記事ではこのようなことまで書いてます。

働く対価として賃金が支払われる以上、子育てにより仕事に費やせる時間が減った親の収入低下は避けようがないとする考えは、あながち間違いではないでしょう。

チャイルドペナルティに様々な声 「よくない表現だな」と嫌悪感を表す人も

つまり「働かざる者、金を得るべからず」と。

これはもはや事実上のチャイルドペナルティの存在肯定ですよね。その一方で同時に男女平等負担だけは主張するという。ここにどうにもアンバランスさを江草は感じてしまうわけです。

これがハナから「男女不平等」についての議論であったならばそれでいいのですが、あくまで「チャイルドペナルティ」についての議論ですからね。確かにその背景として「男女不平等」が重要因子として存在しているのは事実でしょう。ただ、それこそ仕事ワーク担当者と育児ライフ担当者の不平等の問題、言わば「ワークライフイコーリティ」問題についても大きく触れないと、それはチャイルドペナルティの議論としてはまるで足りないでしょう。

繰り返しますが、もちろん別に男女の育児負担が平等化することに反対しているわけではないですよ。ただ、こと、このチャイルドペナルティの議論においては、その段階で止まっては不十分だと言いたいのです。

たとえば、目玉焼きを作らないといけないという時に、「卵を割ること」ばかり主張して、「卵を焼くこと」を無視していては、一向に目玉焼きはできませんよね。ここでそろそろ「卵を焼くこと」にも注目しないといけないのではと指摘することは、「卵を割るな」と言ってるわけではないのはお分かりいただけるかと思います(卵を割らないと卵は焼けないので)。

つまり、チャイルドペナルティを本気で解消しようとするなら、「男女が平等に育児負担を担えばいい」という段階で止めるのではなく、子どもを持つことによる社会経済負担を強力に解消することにまで踏み込んでこそようやく有効なはずです。

すなわち、子どもを産み育ててる保護者や世帯に対する現状よりも圧倒的なレベルでの支援の必要性の話です。それも、仕事をしているかどうかや、その収入や地位の高低にかかわらずです。育休制度の推進やら、キャリア形成支援やらも、結局は「仕事をしている人」「仕事中心の人生の人」の目線でしかありません(育休がそもそも有職者にしか与えられない権利であることが象徴的でしょう)。

実際に実現可能性があるかどうかはさておき、少なくともこうした話が議論の論点としては登場していないとおかしいでしょう。

なのですが、上記の記事などの議論ではことごとく「負担の男女平等化」の段階で話が終わっています。

あたかも、そこに見えないバリアーがあるかのように、「働いている者が地位やお金を得て、育児している者は地位やお金を得られない」という現行の社会の"常識"は疑われないんですね。それは暗黙の前提として、「絶対に変えられない聖域」として、アンタッチャブルとなっている。

こう言うとなんですが、そのタブーにどうしても踏み込みたくはないがために「男女平等化」というそれっぽい段階で話を止めてお茶を濁しているとさえ思えてきます。

チャイルドペナルティの問題を取り扱ってるにもかかわらず、ペナルティの直接的解消については意図的にか無意識的にかは分かりませんが、とにかくスルーする。ここにこそ、現代社会が少子化になる最大の要因があるように江草は思うのですけれども。


関連記事

今回はちょうどNHKで特集があったということでチャイルドペナルティに注目しましたが、同様の、ワークライフイコーリティ問題についての記事を江草は過去にもちょくちょく書いてます。ご参考まで。


江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。