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『ロングゲーム』読んだよ

ドリー・クラーク『ロングゲーム』読みました。

著者のドリー・クラークはアメリカの経営思想家の方。コーチ業でも名のしれた方のようです。"Thinkers50"という経営思想学界のノーベル賞的ランキングにもランクインしてらっしゃいます。

そんなクラークが書かれた本書『ロングゲーム』はタイトルからも推測できる通り、人生を「ロングゲーム」と捉える長期的視点の大切さをテーマとした書籍です。ジャンル的にはビジネス書や自己啓発本になりますね。

こういう横文字そのまま系タイトルの本は江草もけっこう好きでつい読んでしまいます。たとえば『RANGE』とか『Dark Horse』なんかは同ジャンル同系タイトル本の中でお気に入りです。

長期的視点を欠きがちな今の世の中に刺さる良書

で、本書『ロングゲーム』もとても良かったです。
のっけから「ほんまそれな」的な話が山のように出てくるので大興奮しながら一気に読み進めてしまいました。
長期的視点が大切なことは多くの方は分かっているけど、つい忘れてしまいがちです。それを思い起こさせて「よし頑張ろう」と思わせてくれる本書はまさしく自己啓発本としての役割を適切に果たすものとなっています。

実際、経済界において四半期決算など短期的な評価が重視されてることの弊害を指摘する声は、最近増えてきています。
世に広がる「生産性を高めよう」という言説も、この一年でどれぐらいの成果をだせたか、今月はどうだったか、今日はどうだったか、時給でどうだったか、程度の短期的目線で語られていることが多いでしょう。
パッと見で遊んでそうな無駄そうなことをやってる社員を見たら、「もっと効率を考えて有意義な作業に勤しめ」と発破をかけてしまう。「生産性を意識せよ」などと言って。

あるいは、プライベート時間であっても、映画を倍速視聴で見るような「生産性の高い」楽しみ方をする人が増えていることが指摘されています。
読書でも「今月は100冊読みました」など「読書速度」を誇るアピールもしばしばみかけます。

これは、最終的には生産曲線を微分してその傾きを導き出すような、刹那的な近視眼的な評価に陥っています。そこには、5年、10年、あるいは一生涯をかけてじっくり取り組む視点を欠いてしまっているのです。

指数関数をなめるな

クラークは、こうした近視眼的な短期評価は「指数関数的成長の欺きの段階」の盲点にハマっているとして批判します。

 人々は長きにわたって、時には数十年も、ひたすら指数関数的なテクノロジーを否定してきた。ただ大げさに騒がれているだけで、実際は役に立たない、と。しかし、チェス盤のマス目の半分を超えたあたりで、それらはいきなり現れて世間を驚かすことになる。「いったいどこから現れたんだ? なぜこんなことが起こったんだ?」というように。
その技術はずっと存在した。密かに成長し、発達していた。ただ、初期の段階では、変化が小さすぎて誰の目にもとまらなかっただけだ。ディアマンディスとコトラーは、これを指数関数的成長の「欺きの段階」と呼んでいる。

(中略)

 指数関数的に成長するのは、テクノロジーとビジネスだけではない。人生も同じだ。合気道の達人ジョージ・レナードはこう言っている。
「即効性のある解決策が求められる今の世の中では、かなり極端な発言と思われてしまいそうだが、何かをきちんと身につけたいなら、長い停滞期を覚悟しなければならない。何も進歩していないように思えても、訓練を続けなければならないのだ」  
もう一度言おう。人生のほとんどは「欺きの段階」だ。欺かれているのは、外から見ている他者だけではない。私たち自身もそうだ。目に見える結果が出ない状態が、時には何年も続くこともある。その状況では、自分の能力を疑ってしまうのも当然だろう。ロングゲームをプレイするとは、その不安の時期を乗り越える粘り強さをもつということだ。

ドリー・クラーク『ロングゲーム』

指数関数的成長は当初傾きが緩やかなので(つまり微分するとショボく見えるので)、短期的視点では軽視されやすい。ところが指数関数的成長は加速度が半端ないので、地道に続けていれば、ある時点から突如爆発的なエネルギーを発揮するというわけです。ここ最近、世の中が急にchatGPTの話題でもちきりになってるのも、この現象の象徴的事例と言えるでしょう。

指数関数を利用できるかどうか制御できるかどうかが人類(あるいは人生)の最大のタスクである点は以前江草もnoteで書いています。

短期的目線では、この指数関数的成長に気づくことができないし、利用することもできない。これは非常にもったいないし、危険でさえあります。

そんな短期的目線がはびこる世の中に警鐘を鳴らし、「いかにしてロングゲームをプレイし続けるか」のコツを提示しているのが本書『ロングゲーム』の役割となっています。

「長期的視点を持て」という本書のメッセージは大変素晴らしいものであり、江草も強く共感賛同するところです。

良書だからこそスコープの狭さが気になる

ただ、そんな素晴らしい本書なのですが、ちょっと気になる点もありました。
提示しているメッセージが素晴らしすぎるがために、逆にそれが本書の重大な盲点をもあぶり出してしまっているのです。

何が問題かと言いますと、「長期的視点が大事」と述べる本書ですが、出てくる事例や提言がせいぜいが「一個人の生涯」というスコープまでなんですよね。
全て全てがそうというわけではないですが、たとえば、長期的視点で頑張ってたら「Thinkers50」に選ばれたよとか、有名誌に連載が持てるようになったよとか、年収が上がったよとか、不労所得や自由に働ける仕事の地位が得られたよとか、個人における立身出世や収入アップの話に全般偏っているのです。

もちろん、このように各個人がイキイキとした人生を得られることは素晴らしいことです。江草だって憧れますし、そういうのに欲はあります。長期的に取り組んで夢を実現した方々を讃えたいとも思います。だから、全然このこと自体を否定するものではないんです。各自が長期的視点で頑張ることは確かに素敵なことです。

ただ、やっぱりこれらのストーリーが、個人単位の一生涯程度のライフスパンしか見えていないことには注意を払うべきだと思うのです。
すなわち、このことによって社会がどうなるか、未来がどうなるかといった、さらに広く、そして(長期的視点の大切さを説く本書には大変皮肉なことですが)超長期的な視点が欠けているのです。

ホワイトカラーエリート以外の仕事の居場所がない

本書が描き出してる個々人の仕事の成功事例は、著者のクラーク自身がそうであるためにやむを得ないところはあるのかもしれませんが、いわゆるホワイトカラーエリートプロフェッショナルあるいはクリエイタージョブの目線ばかりです。
『頭手心』のデイヴィッド・グッドハートが《Anywheres》と呼ぶ、収入に天井がなく、どこでもグローバルに働ける専門職キャリアの方々目線の発想を強く感じます。

ここでは、農業従事者や工場労働者、ケアワーカー、あるいは専門職の方々が働くオフィス環境を維持する清掃屋などの、収入も固定的で、簡単に転職や移住もできない《Somewheres》と呼ばれる働き方の人々は基本的に想像されていません。
わざとなのか無意識的なのかは分かりませんが、ブルーカラージョブやピンクカラージョブ、マックジョブ的な仕事は、本書の中で居場所がないのです。

なるほど、個人の人生単位での「長期的視点」に立てば、こうした「将来性がない」仕事は最初から選択肢に入らないのかもしれません。

ところが、これらの仕事こそがエッセンシャルワーカーとして社会を下支えしているものであり、誰かがやらねばならない仕事でもあります。

それを避けてプロフェッショナルジョブやクリエイタージョブになるような「賢いキャリア選択」ばかりが万人に推奨された結果、かえって仕事の尊厳や社会の持続可能性が揺らぎ始めている点は忘れてはならない問題でしょう。

コロナ禍においても「リモートワークできる環境を整えていたから仕事に影響はなかった」と誇っているクラークですが、世の中「リモートワーク」できる仕事ばかりではありません。そうした「リモートワーク」できない仕事の大切さが分かったのもまた今回のコロナ禍であったはずです。

出産や育児の問題も考慮されてない

もっといえば、出産や育児の問題も本書ではほとんど考慮されていません。
よく言われるように、育児というのは「割に合わない営み」です。そもそも割に合うとか割に合わないとかで測るべきものごとかというところもありますけれど、それだけ育児は親視点で見れば「持ち出し」が多いことが前提の営みであると言えます。子どもが親の面倒を見るという文化も衰退した昨今であれば、なおさらでしょう。

ですから、個人の一生涯の単位で「長期的戦略」を立てると、育児は「割にあわない足枷」とみなされる可能性が高いものとなります。

というより、各個人における「長期的キャリア目線」ですでにそう足枷とみなされているからこそ、子どもの人数を最小限に抑える、あるいは結婚や出産を望まない、という非婚少子化のトレンドに陥っていると考えられるでしょう。

これが社会の持続性を危うくする一大事となっているのは、みなさんご承知のとおりです。

「個人の生涯」なんて「ナローでショートなゲーム」

このように、本書でイメージされてる「ロングゲーム」はいかんせん個人生涯主義的で、「自分個人の生涯の外部」がないのです。すなわち、みなが個人主義になり、未来の世代より現在の自分を重視するならば、果たして社会がどうなるかという視点が欠けているのです。

確かに、自分の生涯レベルの長期目線すらも欠きがちな世の中ですから、「長期目線を持て」という本書の提言は間違いなく有意義なものです。
しかし、それだけに「自分の生涯」という「ショートターム」で収まってしまっている本書の近視眼があぶり出されてしまうという皮肉があります。

もっとも、本気で無限遠に長期的に世界を見てしまうと、エントロピー無限大の「宇宙の熱的死」に到達して、かえって「どうせ宇宙は死ぬんだからなにもかもどうでもよくね?」という刹那的虚無主義的生き方に立ち戻ることになりますから、長期視点もどこまで持つべきかは難しいのですけれど。

【まとめ】「ベリーロングゲーム」もプレイしよう

とまあ、ガシガシっと批判的吟味もさせてもらいましたけれど、念のため繰り返し強調させていただくと、ほんとこの本の提言は好きですし大事なことだと思います。
各個人がそれぞれの人生をイキイキと生きられることは江草も心底望むところです。

ところが、ひとつひとつそれぞれが良いことであっても、それらが集まるとうまくいかなかったりするのが世の中の不思議なところ(困ったところ)でして。いわゆる「合成の誤謬」ですね。

だから、私たちは個々のものごと人生が良くなることを願い努力するのと同時に、全体としてもうまく行ってるかどうか、これからもうまく行きそうかどうかにも注意を払うこともまた必要なのです。

ぜひ「パーソナルなロングゲーム」のプレイヤーで満足するのではなく「グローバルでベリーロングなゲーム」もプレイしていきましょう。


Appendix

付録として、本稿で触れた書籍などをご紹介

『RANGE』

専門分化したスペシャリストだらけになった世の中で、複数の分野をまたがるジェネラリストこそ求められてると提言する書。
「広く浅く」がモットーの江草の心の支えになってる一冊です。
もともと放射線科は分野横断的な性格ですから、幅広戦略との親和性は高いのです。

『Dark Horse』

より『ロングゲーム』に内容や主張が近いのはこちらの書籍でしょうか。
王道や正攻法に依らず、「自分の充足感」という灯りを頼りに異例・異端の道を突き進む戦略を提言してる一冊です。
それでいてただのよくある自己啓発本ではなく、最後に急に能力主義社会への痛烈な批判が始まるという、まさにこの本そのものも異端児的な構成なのが特色です。(個人の成功を主眼とするはずの自己啓発本ジャンルでありながら社会的側面を無視してない視野の広さは好感が持てます)

↓過去にブログで感想も書いてます。


『頭手心』

(『ロングゲーム』著者のクラークも含まれると言える)ホワイトカラー知的エリート層《Anywheres》ばかりが有利で、ブルーカラーやピンクカラーの労働者層《Somewheres》が不遇な立場に置かれてしまっている現代能力主義社会を厳しく批判している一冊です。
決して悪い方ではないのは伝わってくるのですが、これを読んだ後だとどうしても本書でのクラークの振る舞いは少々無邪気すぎるきらいがしてしまうのです。

↓過去にnoteで感想文を書いてます。


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