見出し画像

すべての道は医療に通ず

noteでやたら社会の話とか、労働の話とか、議論の話とかしまくっていますけれど、ご存知の方はご存知の通り、実は江草は医者を生業としています。

だから、ともすると「医者のくせになんでこんな変な話ばっかりしてるんだ。医学の勉強に集中しろ」と思う方もいるかもしれません。実際、江草はリアルでそういう風に怒られた経験もあります。

ただ、江草としては、医者が様々なものごとに関心を向けるのはそんなにおかしいこととは思ってないんですよね。むしろ医療を良くしたい、医学を発展させたいと志向したならば、自然と社会の問題や哲学的な問いにも向き合うことになるでしょうと。

なぜって、医療は実に幅広い分野と関係があるからです。


世の中的には医学部は理系扱いで枠組みとしては生物学的なイメージが強いと思います。確かに、人体を無闇に霊的な神聖なものとしてでなく科学的な視点で客観的に観察する対象としたことで、医学が目覚ましい発展を遂げてきた歴史は間違いないところと思います。
ただ、だからといって、医療や医学が人体に直接関わる箇所だけの営みかと言えば全然そうではありません。

たとえば、薬なんてまさしく化学の最先端の知識を駆使して作られてる品々ですし、我が放射線科が用いてるCTやMRIなどの画像診断装置や、リニアックなどの治療装置は、物理学の知恵の結晶です。
最近では、医療情報学も発展してきています。DICOMをはじめとした医療系プロトコルの整備や、電子カルテ、ビューアーの開発、そしてそれらのセキュリティ確保など、数学や情報工学のハイテク知識がふんだんに詰め込まれています。

そして、医療が関わるのは理系的な領域だけではありません。
みなさまご存知の通り、日本の医療は国民皆保険制度によって成り立っています。この健康保険料の労働者負担感が高まっている問題が、今や社会的なホットトピックとなっています。
つまり、医療は社会や経済と密接な関係がある活動となっています。それゆえに、より良い医療を実践するには、経済のシステムにも理解が必要ですし、診療報酬や医療制度など様々なものごとが決まる政治的な力学にも精通しておく必要があるでしょう。
医療は政治や経済とも強く関わっているのです。

また、医療では働き方の問題も根強いです。
医師の過労は昔からずっと言われてきていました。このたび医師の働き方改革は他業種に比べて5年分も施行の猶予をもらったにも関わらず、それでも間に合いそうもないということで今あちこちで危機感が増してきています。
このコロナ禍でも医療従事者を始めとするエッセンシャルワーカーの立場の弱さが浮き彫りになったように、仕事とは何なのか、働き方とはどうあるべきか、も医療でこそ問われる重要な課題と言えるでしょう。

教育の問題もあります。
受験における医学部の人気はすさまじく、少子化にもかかわらず受験戦争は過熱する一方とされています。斜陽感が否めない日本経済において(激務ではあるかもしれないけれど)手に職がついて安定かつ高給であるという点は医師という職の代えがたい魅力ということになるでしょう。
ところが、こうやって将来の高給をあてに、塾やら家庭教師やら私立学校などにどんどこどんどこ教育投資が注ぎ込まれる様は、誰もが「何が学べるのか」という教育の中身ではなく「その教育でいくら稼げるのか」という教育投資のリターンの銭勘定にばかり関心があるように見えてきます。
こうなると、そもそも「教育とはなんなのか」という疑問が避けられないでしょう。

もちろん、倫理の課題も医療には山積みです。
過去にはSFだけの話であった遺伝子検査やゲノム編集技術の近年の目覚ましい発展によって、医療現場は急速にリベラル型優生思想への対応に迫られてきています。あちこちで慌てて議論の場が設けられてきてはいますが、対応が追いつかず、実質制御できてない状態です。
そしてまた、世界中の誰もが実感をもって体験したのが、コロナ禍のパンデミックにおける公衆衛生的統制のあり方という倫理的課題でしょう。一時「ロックダウンもやむなし」という緊縮的雰囲気だった世の中は、今や「5類に下げてマスクも外そう」と急に緩和的な展開を見せてきています。このあたりのパンデミックへの社会的対応がどうあるべきか、非常に回答が難しい問いですが、医療にかかわる重要課題のひとつであることには違いないでしょう。

さらにさらにダメ押しで言ってしまうと、医療は人文学的作品や文化・エンタメ作品でも非常に人気の高いテーマです。
テレビでも毎シーズン医療ドラマがないことはありませんし、病気とそれとの向き合い方にフォーカスした人間ドラマを描いた小説も枚挙にいとまがないでしょう。
音楽分野でも膀胱結石の手術を扱ったクラシック曲があったりします。


人は、病という人生の苦難に接すると、「死とはなにか」「生きるとはなにか」と自然と問いかけるようになるのでしょう。
ブッダが「四苦」としてとりあげた「生老病死」の要素すべてがまさしく医療のメインテーマであることからも、医療は哲学的、宗教的な思想への入り口であるとも言えそうです。


とまあ、延々これでもかこれでもかと書きなぐってきましたが、とにかく医療が関わる領域は極めて広範囲に渡っていることをご実感いただけたでしょうか。

生物としての人体に関する豊富な知識が求められるだけでなく、その検査や治療には高度な科学技術を用いてますし、その実践に伴う政治・経済・社会システムの構築や、人文学的な悩みへの倫理的哲学的な問いかけへの思慮も必要となります。
そしてなにより、人と人が接する現場であるからこそ、コミュニケーションやヒューマニズムが必要となってきます。

人間にとって病気や健康というのが永遠の課題であるがゆえに、そしてそもそも人間そのものを対象としてる営みであるがゆえに、医療に対する人類の力のかけかた、関心度合いがほんと半端ないんですよね。

だから結局のところ、医療にとって関係のない分野なんてないと思うんですよ。いわば「すべての道は医療に通ず」なのです。


あ、そうそう。
江草の自己紹介欄に”Medicus sum. Humani nil a me alienum puto.”というなぞの文句を載せてますけれど、これは、”Homo sum. Humani nil a me alienum puto.”(私は人間である。人間に関わることで自分に無縁なものは何もないと思う)というラテン語の名文句のもじりです。元の文句の「私は人間である」の部分を「私は医師である」に変えてる形です(ラテン語なんて全然わからんくせに自動翻訳でラテン語に訳したから文法間違ってる可能性あり)。

つまり「私は医師である。人間に関わることで自分に無縁なものは何もないと思う」という文意となっています。

まさしく本稿で言いたかったのはこのことで「まさしく人間を対象とした営みである医療において無関係な分野はないのだから医師は何にだって関心を持つべきだろう」というのが江草のポリシーなのです。

だから、(江草が勉強不足かつ力不足すぎてだいたいの記事が拙いのが悔しいところですが)記事の内容の質はどうあれ、色んなテーマに関してあれこれ考えて書くことは、江草としては自然なことだし、医者だからこそむしろ誇りをもって実践してるぐらいです。

もちろん医者がみんながみんな江草みたいになったら、それはそれでヤバいとは思います。やっぱり専門知を掘り下げる人たちもいないと医学の発展はおぼつかないですから。
ただ、むしろ、そうやってちゃんと専門知を掘り下げて頑張ってる他の先生方がたくさんいることを知ってるからこそ、江草も安心して関心分野を広げられるところがあります。信頼して背中を預けられる人たちがいるからこそどこにたどり着くかも分からない冒険にも出られるというわけです。

こうやって色んなことをする者がいることこそ多様性だし、その醍醐味と強みであるでしょう。
だから、みなさまいつもありがとうございます。
これからもみんなでお互い色々がんばりましょう。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。