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人間間通信速度が遅すぎる

格闘ゲーム界隈では「光の速さが遅すぎる」と言われるそうなんですね。

 光速と言えば、言わずと知れたこの宇宙の万物における最速速度(約30万km/秒)ですから、それが遅いなんてどゆことと思われるかもしれません。

なぜ光速が遅すぎると言われるかと言えば、それは通信のラグに繋がるからなんですね。

プロゲーマーレベルともなるとコンマ秒単位での反応や操作を磨くレベルで競い合っています。すると、オンライン対戦の時なんかでは、互いの距離が幾分離れてるのもあって(さらに実際はネットワーク網を辿るので直線距離よりは回り道する)、光速レベルで通信が行われたとしてもなお、そのコンマ秒の反応を適切に反映することができなくなるのだと。

つまり”拳”で語り合う時に「光が遅いせいで」コミュニケーションが間に合わないわけです。互いに最上級のプレイをしているのに、それが相手に即座に伝えられないもどかしさがここにあります。


こうした人と人の間の通信速度が遅すぎるという問題は、格闘ゲームに限らず人間社会全般においてもあると思うんですよね。

もっとも、ここで言う通信は光速レベルの光ファイバー通信ではなく、人間同士のコミュニケーション全般を想定しています。文書だったり会話だったり、そうしたコミュニケーション諸々ですね。言わば人間間通信です。

人って普段、みんな色々考えてると思うんですね。それこそ24時間365日レベルで考えたり感じたりしてるでしょう(ここでは貪欲に睡眠中の夢見てる時間まで含めてます)。

そうした自分の思いを伝えようとして、人は人と人間間通信コミュニケーションを図ります。

しかし、皆様もご存知の通り、自分の思いを十全に伝えるのは非常に難しいんですね。数時間真剣に語り合っても、まだまだ伝え切れてないところが残ってたり、伝えたはずのところが誤解されてたり。ままならずもどかしくなる。

テキストもそうですね。人が自分の考えを完璧に記そうとするとどんどん文章は長くなります。めちゃくちゃ分厚い”鈍器本”と呼ばれるレベルの書籍もしばしばありますけれど、あれはまさに「とにかく詳細に伝えたい」という著者の思いの結晶でしょう。しかし、そんな鈍器本であってすら、おそらく全てを記せてるわけではないし、そして悲しいかな読者が欠落や誤解なく読解してくれることはまずありません。

このように、会話にしろテキストにしろ、人間間通信コミュニケーションが適切に行える速度が遅すぎるために、皆がもどかしい思いをしているのではないかと。通信遅延により生じる「分かってもらえない」という気持ちがまた人間関係のヒビに繋がるケースもあり、多くの人がそのままならなさを悔しく思いながら過ごしてるように思われます。

さらに言うと、今や人類社会は学問や報道等々で「伝えるべき」「知るべき」とする情報や知識を溢れさせています。これらも結局は何かしらの人間間通信コミュニケーションによって伝えなければならないので、その情報増加量に人類の通信速度が間に合わなくなってきてるんですよね。

近い話は過去にも書いたことがありますが、江草はこうした「人類知の拡大」が「人類知の普及」を凌駕する現象を「知のビッグリップ」と表しています。

報道やSNSで「これは知ってほしい」「この問題はもっと議論されるべき」と訴える声が日々見られます。ぶっちゃけ江草自身もその声の一部に加担しているのですけれど、実のところ、もはや人類社会においてそうした「知ってほしいこと」「議論されるべきこと」を処理するキャパシティがとうに枯渇してるのではないかとも同時に思ってるんですよね。

なぜなら、本稿で散々繰り返しているように残念ながら人間間通信コミュニケーションの速度に限界があり、そしてその限界に到達してるように思うからです。格闘ゲーム界が光速の壁にぶち当たったように、律速段階としての人間間通信コミュニケーションが強力なボトルネックと化していると。

で、キャパシティの限界に到達してるのに、なおも圧力がかかると、本意にしろ不本意にしろそこには否応なしに取捨選択が発生します。すなわち、本稿の文脈で言えば、人と人の間で何を通信(コミュニケーション)するかの優先度がシビアに判断されるようになります。

ご承知の通り、現代社会は、いわゆる知識社会・情報社会になっていて、知の鍛錬と、情報の摂取にかなり重きを置いてる社会です。学問的な知識の学びや、最新情報の追跡もまた一種の人が人に情報を伝える営みですから、そうした知識・情報系の人間間通信コミュニケーションに「帯域」が優先的に用いられるということは、そうでない人間間通信コミュニケーションが後回しになるということに他なりません。

後回しになりがちになっている、知識の学びや情報の摂取でない人間間通信コミュニケーションとは、要するに生身の人同士の雑談的な対話や雑記的なテキストのやり取りです。たとえば、人が人と会って何の気なしに何の目的もなくダラッと話をする。そういうコミュニケーションが後回しになっているわけです。

もちろん、そうしたコミュニケーションが完全に消え去ってるわけではないですよ。でも着実にそうした雑談的コミュニケーションは追い詰められてるように思います。たとえば、「孤独」が今や大きな社会問題となってきているのは、まさにこの反映ではないかと思うのです。「ただ人と話す」ということのハードルがかつてないほどに高くなった時代。

とはいえ、江草自身は実際には知の拡大も情報の摂取もむしろ好きな方のタイプだったりするので、このトレンドを絶対ダメとも言いがたくて、複雑な面持ちで見つめています。

このジレンマに困ったあげくに、こうして「こうなったのも人間間通信コミュニケーションの速度が遅すぎるせいだ」と書き記したのが本稿ということになります。「光速が遅すぎる」や「重力が強すぎる」などと変えがたい対象に文句を言うのと同じく、どうにも詮無きことなのですが、変えがたい対象だからこそついつい愚痴りたくなってしまうのです。

ああ、なんとか人間間通信コミュニケーション速くならないかなあ。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。