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時間がかかるものにだけ時間をかけたいのにそれこそが難しい⑤

引き続きの続き。

更新が週末をまたいだのもありますし、一回これまでのあらすじを一息で早口言葉的にまとめておきますと。

「時間がかかるものにだけ時間をかけたい」と私たちは思うけれど、どれが「時間がかかるもの」でどれが「時間がかからないもの」かがパッと見で分からないので、とりあえず私たちは「時間をかけず」に試食する「スクリーニング戦略」を取ろうとするのだけれど、「ワタクシには時間をかける価値がありますよ」という蠱惑こわく的な顔をしたスクリーニング対象がこの社会には無尽蔵に存在ししかも日々増え続けている上、私たち自身にとっても延々とスクリーニング作業にふけって「時間をかけるべきもの」に「時間をかける」ことなく保留し続ければ「明白な失敗」がなく傷つかずに済む、と内外の要因から私たちは無限スクリーニング沼に陥ってしまう罠があり、このため「時間がかかるものにだけ時間をかけて時間がかからないものには時間をかけないようにしようとしていた」つもりがいつのまにか何でもかんでも時間をかけずにそそくさと急ぎ足で味わうようになってしまっている苦悩が現代人にはあるという話でした。


ハァハァ……。息が上がる。こいつぁ、ひどい長文ですな。
これを書いただけで今日の執筆時間の余力がわずかになってしまいました。

とはいえ、ここで今回の記事を終わってしまうと何も続いてないことになるので、さすがにちっとは話を進めましょう。


さて、この苦悩に対して私たち現代人はどうしていくべきか。

苦悩の原因として、内外の要因が作用していることから、外的要因に対する対処と、内的要因に対する対処のいずれも必要となるでしょう。

外的要因の対処に関しては、注意経済アテンション・エコノミーへの批判や、効率主義への批判や、もっといえば資本主義社会や新自由主義への批判など、今やあちこちで叫ばれています。

これらの話もそれぞれ非常に面白いトピックなのですが、突っ込んでいくとさらにあらすじが複雑化長文化するおそれがありますし、今回のシリーズでは外的要因は深追いすることなく置いておくことにします(それぞれ別の機会に各論的に将来触れていく可能性はあります)。


したがって、今回ここから考えていきたいのは内的要因の方です。
私たちが「失敗したくない」がゆえについスクリーニングし続けてしまう心理的落とし穴への対処法です。

もちろん外的要因と内的要因がキレイに切り離されているわけではなく、外的要因が私たちの内面的な心理に作用してる面はあります。
でも、社会だとか世界だとか経済だとか正直実感しにくい大きなスケールの抽象的な話になりやすい外的要因よりも、まず身近なスケールで対処しうる内的要因について見ていく方が苦悩への対処法の足がかりとしてふさわしいのではないかと思うのです(すなわちこれは外的要因をほっといていいという意味ではないということです)。


というわけで内的要因を深堀りしていきましょう。

私たちが「時間をかけて失敗したくない」という気持ちから、延々と「やってみたい気はするけど時間がかかること」を保留したまま「時間のかからない」スクリーニングをし続けてしまい、結局「時間がない」だの「やりたいことができてない」などと苦しんでるのだとしたら、攻略すべきポイントはこの「失敗したくない」という気持ちにあるでしょう。

ではなぜ、私たちは「失敗したくない」のでしょうか。

というより、そもそもここで想定している「失敗」とは何なのでしょうか。「失敗したくない」と思いながら「やってみたいことに時間をかけられてない」ならば、それだって十分「失敗」と言うべきではないでしょうか。

このように「失敗」の概念を攻め立てていくことで、わずかながら活路が見いだせてくると思うのですが、残念ながら今回はここで時間切れ。あまり話が伸ばせませんでしたが、また次回に続きます。

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