時間がかかるものにだけ時間をかけたいのにそれこそが難しい⑦
続きの続きの続きの…続き
時間が貴重になった現代だからこそ「時間が貴重と知りつつもあえて時間をかける訓練」が必要になのに、私たちにはこの肝心の「時間をかける訓練」が欠けているという話まで来ましたね。
これまでの話でもうお分かりの通り、ここで言う「時間をかける」というのは「時間をうまく使う」という意味とは異なります。
それこそ「スクリーニング戦略」なんてのは「時間をうまく使う発想」なのですが、それが上手くいかないから悩んでいるわけです。
他にも時間を使って最大限の成果を上げようとか、時間を使って自己投資しようという発想はよくありますが、これらもここで言う「時間をかける」とは別の感覚に基づいています。
これらの発想は、例えて言うなら貴重なアイテムであるエリクサーを「運用」して、「倍の数のエリクサーにしよう」とか、「もっとスペシャルな効果を持ったハイパーエリクサーにしよう」とか、そういう類の戦略です。あくまで質や量を向上させようという狙いであり、決して「消費」しようという感覚ではありません。どこまでもエリクサーを使い切って無に帰すのは避けて「後で使えるよう」にと考えているのです。
しかしながら、延々と「後で時間を使えるように」ばかり考えているせいで現代人はかえって「時間を使うことができなくなっている」というのがここでの問題意識でした。
「時間をかける」と「時間をうまく使う」は似て非なるものなのです。
つまり「時間をかける」とは「何か他の目的や将来のためではなくただ時間をその時間として純粋に使う」ニュアンスになります。
現代人はこの「時間をかける」ができなくなっていると言いましたが、これが得意な人たちが存在します。しかも、私たちがよく知ってる身近な人たちで。
それは、子どもたちです。
小さな子どもたちはこの時間をうまく使ってどうこうするという発想がありません。「この鬼ごっこに何の意味があるんだ」とか「道端のダンゴムシを観察することで将来の理科の点数アップにつなげよう」とか「縄跳びの消費カロリーは大きいからダイエットにうってつけだ」などと考えません。ただただその時の興味の向くまま、その時その時を全力で感じ、全力で楽しんで、全力で味わい尽くします。
これが「時間をかける」の本質です。
何か他の目的に付随するものとしての「時間」でなく、「その時間そのもの」を味わうことです。
翻って、多忙な現代社会に生きる私たち大人がほとほと「時間をかけること」が苦手になっている事実はこれまでも繰り返し指摘してきた通りです。
ご飯を食べながらSNSをチェックするマルチタスクをしたり、「リラックスタイムだ」と言いながら時間効率を気にしてYouTube動画を倍速視聴しないと落ち着かなかったり、どうにもこうにも「時間」に何か他の目的が必ずついて回ってしまいピュアに時間を使うことができなくなっているのです。
ほっておくとこうなってしまうから、だからこそ意識的に「時間を使う訓練」が必要なわけです。
これは同時に、逆向きに「時間を使う訓練」が欠けているからこそこうなってしまってるとも言えます。
さて、さきほど子どもたちは「時間をかける」のが得意と言いましたが、現代社会においてはそれも縮小の危機にさらされています。
以前この記事でも指摘した通り、子育ても「将来の社会的成功」を目指して投資のように行われているトレンドがあります。
こういった子どもたちの《子ども時代の今》を《成人後の将来の成功》につなげるという戦略は、まさしく「時間をうまく使う」発想であって「時間をかける」発想ではありません。
親たち(あるいは教師たちも)が「時間をうまく使う」の呪縛にとらわれてる以上、子どもたちが「時間をかける」ことを許されるのは物心がつかないうちぐらいで、それ以降になると子どもたちにも「時間をうまく使え」という親からのプレッシャーがかけられてしまうのです。
したがって、私たちが「時間をかける」ことができたのは本当に小さい時ぐらいで、物心がついてからこの方「時間をかける訓練」を欠いていることになります。
そして、そんな私たちが育てる子どもたちもまた「時間をかける訓練」が与えられることがない、という悪循環がここにあります。
ここで「時間をかける訓練」を与えてくれなかった親や社会が悪いという方向で責め立てることもできますが、とりあえず今はそういった外向きの話は置いておきましょう。
それはそれとして、この悪循環を知ったからには私たち自身でも変えていくべきこと、変えられることはあるのではないかと思うのです。
私たちはもう大人なのですから、問題を認識した上でどうすべきか考えて行動や習慣を変える力も持っているはずです。
残念ながら「時間をかける訓練」が与えられてないなら、取り急ぎ自分たちで訓練を始めるほかないのです。
では、具体的にどういう風に「時間をかける訓練」をすることができるのか。
それはまた次回に続きます。
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