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『客観性の落とし穴』読んだよ

村上靖彦『客観性の落とし穴』読みました。

題名の通り、昨今の世の中で優勢を誇っている客観性志向について批判的に見る本です。ここで言う客観性志向とは数値とかデータとかの「エビデンス」に重きを置く風潮のことを指します。(ほんとは客観主義と言うべきなのかもしれませんがあくまで世の中の風潮レベルであって確固たる「主義」とまでは言えないと思うので客観性志向にとどめておきます)

そうした客観性志向の象徴としてでしょう。「それって個人の感想ですよね」「エビデンスはあるんですか」という煽り文句が帯に使われていて、否応なしに特定の人物が想起されますが、それは気にしないでおきましょう😅

この本は、客観性志向を批判するにあたって、質的研究と対比するアプローチを採られてるのが特徴的です。客観性志向が量的研究に近い態度であるから、その対軸に位置する質的研究を紹介することで客観性志向の限界や問題点を明らかにしようという試みですね。いわば客観性志向(やそれが好む量的研究)がテーゼで、質的研究がアンチテーゼというわけです。

医学領域でもEvidence Based Medicine(EBM)に対してNarrative語り Based Medicine(NBM)が掲げられることがありますが、同様の構図と言えます(本当はEBMの概念の中にはナラティブ軽視の意向はないはずなのですがエビデンス主義的な誤解や暴走がはびこったためにあえてNBMを強調することが必要になっちゃったという大変悲しい経緯です)。

本書の後半では実際の「語り」の分析を通して、量的研究とはまた違った側面から真理の探究に挑もうとする質的研究の雰囲気を味わうことができます。研究と言えば表やグラフばっかり想起されそうな今の世の中において、この質的研究の空気感はあまり知られてないと思うので、多くの方にとって新鮮で面白い体験になると思います。

いい例えかはわかりませんが、量的研究が数学で、質的研究は国語みたいなものと考えるとイメージしやすいかもしれません。
ともすると正解が主観的なものだと揶揄されがちな教科である国語。たしかに数学のような厳密に正否が定まるロジックではないけれど、国語は国語のロジックで妥当性の高い正解を導く教科です。何となくそうだろうと勘で正解を決めることを是としている教科ではないですよね。勘でしか正答し得ない国語問題はただの悪問なだけで、たとえそのような悪問を作り出せる余地があるから(あるいはそのような悪問が現実に多いから)といって国語教科の本質的意義が否定されるものではないはずです。
このように、量的研究が権勢を振るっている時代において「主観的なものだ」と揶揄されがちな立場という意味で、質的研究は国語に似ているように思われるのです。

もちろん、なにも客観的に考えようとすることや量的研究を駄目だとか無意味だとか言っているわけではありません。著者もその点は再三強調されています。
ただ単純に、客観視や量的研究ばかりに偏って依拠することの危険性を指摘されているものになります。要するに量的研究も質的研究もどちらも大事だという話ですね。

実際に、量的研究と質的研究を組み合わせるミクストメソッドという手法が提唱されていたりと、両者がともに補完し合う車の両輪であることは学術的にもちゃんと認識されています。

↓たとえばこれとか

ところが、世間的にはどうにも数値やデータばかりを偏重する空気が漂っていて、とうとう著者が行っているような質的研究に対し「客観的な妥当性はあるのですか?」と疑問がはさまれるまでになってしまったと。
それに対する著者の返答として書かれたのが本書『客観性の落とし穴』というわけで、質的研究に関して熱い紹介になってるのもむべなるかなというところです。

というわけで、客観性志向では得られない視界や知見についてよく紹介されている本書。新書ですので文体も読みやすくボリュームも短いので手に取りやすいと思います。今どきの世間の客観性志向にモヤモヤされてる方にオススメです。

ただ、一点難を言うとすると、タイトルと内容は少し合ってないのではという気がしました。
タイトルは『客観性の落とし穴』ですけれど、「落とし穴」というともうちょっと内在的な欠陥のイメージと思うんですよね。質的研究のような「客観性志向の視野の外部にある世界」を紹介している本書の内容からすると、『客観性の盲点』とか『客観性の死角』のような「井の中の蛙」的なイメージの方がフィットする感じがします(とはいえ「落とし穴」の方が目を引くタイトルではありますね)。

客観性志向の内在的な欠陥を指摘する内容の書としては江草が最近読んだものでは『測りすぎ』や『THE NUMBER BIAS』があります。「客観的に正しい」とスローガンを掲げていながら、その実態が悲しいかな「結局は主観性や誤りから逃れられてない」という客観性志向の不完全性を指摘しているものです。これらの本の詰め方の方が正直「落とし穴」感はあったかなと。

もちろん、「客観性の死角」を紹介している本書の魅力自体を損なうものではないのですが、内在的な「落とし穴」の解説を期待して手に取った読者からすると、特に後半は「ちょっと思ってたものと違う」と感じられてしまうかもしれません。

ですので、もし本書『客観性の落とし穴』を読んだあとで、さらに「客観性の落とし穴」を知りたいと思われた方がいらっしゃったならば、これらの本もオススメです。

↓リンクと感想記事置いておきます。



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