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時間がかかるものにだけ時間をかけたいのにそれこそが難しい④

さらに続き。

「時間がかかるものにだけ時間をかけよう」と思ってとりあえず「試食」してみる「スクリーニング戦略」が、残念ながら無限スクリーニング沼に陥ってしまいがちである。
その現代社会ならではの外的要因を指摘したところまでやりました。

しかし、外的要因だけでなく「私たち自身がすすんでスクリーニングをし続けようとしてしまう」という内的要因もあるという話でしたね。

今回はこれについて考えていきます。



一旦まず原点に戻りましょう。

そもそも私たちは「時間がかかるものにだけ時間をかけて時間がかからないものには時間をかけないようにしようとしていた」のでした。
これは裏を返すと「時間がかかるものを時間をかけないこと」や「時間がかからないものに時間をかけること」を避けようという意味でもあります。

要するに私たちは「失敗したくない」のです。

この「失敗したくない」という気持ちから、時間をかけるべきものを先に試食して選別しようという「スクリーニング戦略」を私たちは見出します。
前にも述べた通り、これはとても合理的な正攻法です。
非常にまっとうな戦略ではあります。

ところが、「スクリーニング戦略」を行う上で、この「失敗したくない」という気持ちが強いと大変なことが起きるのです。

「スクリーニング戦略」はそれがあまりにも合理的であるがゆえに失敗がありません(厳密に言うと失敗はあるのですがパッと見ではまず失敗に見えません)。
対象のものごとが本質的に「時間がかかるもの」であろうが「時間がかからないもの」であろうが、とりあえずスクリーニングから始めることは正攻法であるがゆえに正しいのです。

「常に正しい」ということは「失敗を恐れる」私たちにとって強烈な吸引力になります。
だって、自分が行ってることがスクリーニングであるならば失敗になることはないのですから。


たとえば何事かに「時間をじっくりかけること」を考えてみてください。
事前のスクリーニングを経ることよって確かにそれが「時間をかけるべきもの」である可能性は高まるでしょう。でも、それでもやっぱり確実ではありません。時間をかけてみてから「やっぱり時間をかけるべきものでなかった」とわかることはどうしてもあるのです。
それはつまり「時間をかける」という行為にはどうしたって失敗のリスクがあることを意味します。

「試食」してまずかったとしても失敗とは私たちは認識しませんが、大金をはたいてガッツリ予約した「フルコース料理」が万が一マズかったならば私たちは「失敗した」と大変に悔しい思いをするはずです。


だから、「失敗したくない」という気持ちが強ければどうなるか。
永遠に「試食」を続けたくなってしまうのです。


何かをスクリーニングをしてざざっと軽くチェックしてイマイチだなと思ってもそれは失敗ではありません。スクリーニングの結果イマイチだと分かったのだからむしろ成功です。

何かをスクリーニングしてざざっと軽くチェックして「これはじっくり取り組んでもよさそうだ」と思ったとします。私たちは大抵の場合これを「あとで取り組む」リストに放り込んで保留にします。
これはもちろん失敗ではありません。スクリーニングの結果「あとで取り組むもの」として見いだせたのだから成功の過程の一環です。

失敗のリスクがあるとすれば、その保留にしておいたものに本当に本腰を入れて取り組んでみた時です。

であるならば、「あとで取り組むもの」をずっと取り組まずに保留にしておけばずっと失敗しないのです。

「いつか時間がある時にやるから」と言えばそれはまだ失敗にならない。失敗が完成することがないから失敗ではない。
これは「時間がかかるものに時間をかけない」というパターンの失敗には当てはまらない、なぜならまだあくまで「保留の状態」であって、いつか「時間をかける気はある」から。

これが私たちの心理に潜む罠なのです。


「本腰入れて取り組むのはまだ他にスクリーニングすべき候補たちが片付いてから」と表向きは考えながらも、本当は私たちは気づいているはずです。
「それらが片付くことは未来永劫ないのだ」と。

それに薄々気づいていながら、何かに本腰を入れてじっくり時間をかけたのにそれが失敗に終わってしまうのが怖いがゆえに、失敗しないことが保証されている「スクリーニング作業」に逃げたくなる。

「スクリーニング」は正攻法であるがゆえに常に「意義」がある。
それゆえに私たちにとって甘い誘惑となり続けるのです。

これが私たちがすすんでスクリーニングをし続けてしまう内面的な要因になります。


それでいて、前回に見たように、この世にはいくらでもスクリーニングすべきものが無尽蔵に存在しています。

こうした内外からの強力な動機づけによって、私たちは延々とスクリーニングをし続ける落とし穴にはまり込んでしまうのです。


「時間がかかるものにだけ時間をかけて時間がかからないものには時間をかけないようにしようとしていた」つもりが、いつのまにか何でもかんでも時間をかけずにそそくさと急ぎ足で味わうようになってしまっている

これが私たち現代人の苦悩なのです。



この苦悩の解決方法に絶対的なものはもちろんないのですが、軽減のヒントになりそうなアイディアはいくつか出てきています。

その辺の話についてはまた来週にでも。

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