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オレはSF作家になりたかった・・・


 まだ中学生の頃、級友が星新一を読んでいて『ボッコちゃん』という短編集の文庫本を貸してくれた。それを読んだことが自分とSF小説の出会いだろうか。それから筒井康隆、平井和正、豊田有恒、小松左京と手当たり次第にSF小説を読んだ。中でものめり込んだのは小松左京である。中学時代に読んだその長編『果てしなき流れの果てに』は今でもオレの好きな本格SF小説第一位に燦然と輝いている。



 自分なりに当時読んだSF長編小説の中で好きなものを5本選ぶとすればこうなるだろうか。


『果てしなき流れの果てに』小松左京
『モンゴルの残光』豊田有恒
『産霊山秘録』半村良
『霊長類南へ』筒井康隆
『狼の紋章』平井和正



 その頃の自分の夢は作家となって自分のあこがれたようなSF小説を書くことだった。SFマガジンという雑誌も購読していた。自分が京都大学文学部に進んだのも、小松左京が京都大学文学部出身だったことにあこがれたということもあったのだろう。オレにとっての一番のあこがれは知の巨人のように思えた小松左京だった。文庫本になっている彼の作品は網羅するように読んだ。




いろんなことを網羅的に知っている」ことに大きな価値を見出していたオレは、大学生の時にテレビのクイズ番組で賞金を稼いだこともあった。今の時代に生まれていたなら東大のクイズ王、伊沢拓司さんに挑戦したいと思っただろう。 クイズグランプリという番組があって、その高校生大会の予選にも参加したが、残念だったことは同じ高校の友人で自分と同等のレベルのクイズプレーヤーをあと2人集められなかったということである。いくら自分が強くても合計点では勝負にならずに予選落ちしてしまった。高校生大会に出られなかったことを悔しく思いつつ、テレビの前で解答者が誰も答えられない番組を自分はちゃんと答えられるということで優越感に浸っていたのである。




 大学4回生の時に出た「世界一周双六ゲーム」というクイズ番組で、ほとんど一人で答えまくって独走のゴール直前でガックリ都市のマスに止まってしまい、振り出しから巻き返して再度トップに立つも、最後の一問で逆転されて負けるということがあった。あの頃の自分は日本で頂点を争えるクイズプレーヤーだったと今でも思っている。後に「クイズミスターロンリー」では5人勝ち抜きのチャンピオンにはなっているが。「史上最強のクイズ王」では予選で敗れている。 


 いろんなことをなんでも知っているということは作家としての守備範囲が広いということである。大学で国史専攻だったオレは、歴史小説というジャンルが比較的日本人に人気があってよく読まれていて、しかもベテランの作家が多いので割って入る余地があると勝手に思っていたが、書くためにはあまりにも調べないといけないことが多すぎたことを知って挫折する。国史研究室の落ちこぼれだった自分が歴史小説なんて甘かったのである。


 そういうわけでオレは作家の夢を抱いたまま南河内の片田舎で高校の国語教員となってキャリアをスタートさせたのである。


 高校在学中に文芸部で書いた作品は今思うと恥ずかしくて人に見せられない。そんな恥ずかしい作品を好きになってくれてファンになってくれた後輩がいてくれたことは本当に嬉しいことだった。小説を書くという目標は、大学時代のサイクリング部での日々をつづった長編小説「イノコ」を完成できたことでもう終ってしまった。パソコン通信ニフティサーブの掲示板BBS#8で日々雑文を書き散らし、毎晩のようにエッセイ「教師EXAの悩み」シリーズを書き続け、もっとも多くの人に読まれる「参照王」と呼ばれた。またそこで他の投稿者と議論になり、汚い言葉をぶつけ合う「罵倒王」と呼ばれたこともある。もう20年以上も前のことになってしまったが、ついこの間のことのように思い出せる。あの時のバトルの相手だった静岡大学法学部の学生でwendell jrと名乗っていた彼は今はどうしているだろうか?



 ユーチューバーが一つの職業となり、個人が発信する仕組みはどんどん複雑かつ多様化してきた。自分が現代に生まれていたならどんな発信をしたただろうか。何を目指しただろうか。



 オレはなぜ作家になりたかったのだろう。それはただ単に「金持ちになりたい」「売れっ子になって女性にモテまくりたい」という極めてくだらない世俗的なことだった。金を稼ぐなら作家よりも投資の方が堅実で確実性がある。作家になれたとしても一発屋で終われば食べていけない。それなら正社員として安定した職業についている方が生涯収入ははるかに多いし、年金もたっぷりもらえる。



 それでもオレは思うのだ。自分が作家になれなかったのは本気じゃなかったからだと。もしもそれ以外のことをすべて捨てて「作家になる」「モノ書きになる」それ一本に絞って必死になっていればその夢は可能だったかもしれない。しかし自分は何事にも中途半端だった。だから自分は何者にもなれずにこうして一介の教員として禄を食んでいるのである。



 SFの世界もすっかり変わった。ラノベに多い「異世界転生モノ」を読んでもオレには理解不能である。かつて自分はエキストラとして『魔界転生』という映画に出演しているが、転生の意味が違うのである。小松左京さんも星新一さんももう亡くなってしまったが、オレに歴史SFの面白さを教えてくれた豊田有恒さんは最近まで島根県立大学で教えておられたということを知った。それなら聴講生になればよかったと少し後悔するのである。
オレが『イノコ』を登録している角川書店の「カクヨム」に投稿された多くの作品を読むと、もはや自分が時代についていけてない老人であることはよくわかる。



 オレはこれからますます衰えていく脳と戦いながら、まだ読んでいないSF小説を追い求めるのだろうか。書店に行くと知らない作家が増えすぎていて途方に暮れるのである。

モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。