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ウーマン・トーキング/「あなた」の物語はきっと違う

※この記事は冒頭からネタバレを含みます

この映画を一言で表すと、
「村内で性犯罪に遭った女たちが話し合って皆で出て行く話」
です(Twitter・Xでバズる漫画の解説のよう……)。

お話自体に大きな起伏はありません。
しかし、教育や社会から隔絶されて生きざるを得なかった女たちが、
「与えられた奴隷の立場を拒否し、自分たちで考えて、自分と未来のために行動する」
プロセスを歩む姿には、涙を禁じえませんでした。

彼女たちが暮らす村は、極めて特殊な環境です。
けれど、このような事態は、どんな場所でも起こりうることだと思いました。
特に、訴えを軽視されてきた女性が観たら「あるあるネタ」満載に感じられるのではないかな……




被害を軽く見られる女あるある


舞台は、人里離れた自給自足の圧倒的家父長制村です。
宗教の教えに従い、女たちは学ぶことを禁じられ、文字の読み書きすら出来ず、男たちの生活を支えるためだけに存在しています。
長きに渡り、そういう極端な思想を信じてきたため、村人全体に歪んだ価値観が染み付いてしまったのだ……的な解説がされていました。

この村では、薬を使って昏睡状態にした女を性的暴行する事件が横行していました。
多くの村の女たちが被害者になっていた……という悲惨な状況。
しかし男たちは、当所、「人ではなく悪魔の仕業」「女の思い込み」と事件を認めませんでした。

ある日、暴行が現実のものと判明し、犯人が逮捕されます。
男たちは「現実だったんかい、なら宗教教義に従って加害男を赦そう(被害者は知らん)」と、加害男を救うべく、数日間、外の世界へ出かけます。
女たちは「ふざけんな、こんな犯罪放置村で暮らしてられっか」と激怒。
そうして、女たち(と理解者である書記係の男一名)は、男たちが留守の間に「これからどう行動するか」について話し合いを行いました。

加害男・擁護男たちが帰って来たら、また力ずくで支配されてしまう。
女たちは、彼らが留守の間に、これからどう生きていくか考え、速やかに行動しなければならない……

加害されても「赦す」ことで「天国に行ける」と考える宗教を信じて生きていた村の人々。
けれど、被害を受けた女たちは「これ赦して救われるワケねぇだろ常識的に考えて」「黙認は赦しじゃねぇわ」「今ここで自分らを救えやボケ」「我々被害者のみならず、未来の子どもためにも行動を変えるからな」と教義にマジレスします。

そして「何もせず赦す」「村を出てく」「加害男と擁護男どもブチのめす」の三択で村内女性アンケートを実施。
結果、「出てく」「ブチのめす」が同率一位となり、どっちを選ぶか話し合うことに……。

「女性の訴えや被害は『思い込み』にされる」
これはあるあるだと思いました。

昨今は、犯罪だけでなく「女の訴えは軽視される」ことを書き連ねた本なんかも出ています。
コロナウィルスにかかった女医が、自分の病状を丁寧に入院先へ訴えたが、真剣に受け止められず(医者の訴えなのに……!?)手遅れとなり、子どもを遺して亡くなってしまった……といった衝撃エピソードが満載でした……


被害者同士ゆえの対立あるある


そして、女たち(の代表者)が対話し「出て行くか、戦うか」を決めることになりました。

ある女は「被害者が出てかなきゃならない理由が分からん」「加害男が出てけ」と言い、
別の女は「戦うにしても算段がない」「生きていくことが大事」と語る。

全員性的暴行の被害者なので、フラバして発作を起こし倒れたり、ストレスから煙草を吸いまくる女もいる。
「煙草とか発作とか被害アピうぜぇよ、辛いのはアンタだけじゃないっつの!」と怒る女も、また卑劣な犯罪の被害者……。

暴行されたのち緘黙症となり、FTMとして生きるようになった被害者もいる。
しかしこの人は、元々性別に違和があったらしい。でも身体が女なら被害を受けるんだよね。
(セクマイ運動界隈の身体的男たちは、女身体セクマイ当事者の「身体的被害・身体由来の差別」を、「身体の性は曖昧」とか言う大嘘ぶっこいて、今なお無視し続けている女性差別者ばっかり!!)

救いの手が一切ない村内で、彼女たちは、互いに傷つき傷つけながら決断しなければならない……。


細かいことも色々あるある


話し合った結果、女たちは「村を出て行く」ことにしました。
けれど、ここからも一悶着、そして「女に起こることあるある」がある。

一時帰宅した夫に、即DVを受ける女
あるよね、こういう事例……

ある母親は「息子(13歳)を置いていけない、こんな村で教育したら暴力男になってしまうから連れて行く」と主張。それはそう。
しかし他の女たちは「私たちは安全を求めて旅立つが、男で13歳って結構デカくね? 何かあったら女が力で勝てなくね?」と懸念する。「息子にも個人の意思があるだろ」とも諭す。それもそう。

(13歳男子のイメージ画像)

もちろん、彼女たちも無責任に「置いてけ」「息子が選ぶべき」と言っている訳ではなく、
「外の大学で学び教師となった協力者の書記男が、村の男の子たちが暴力男にならないような教育をすると約束してくれた」
だから「教養と気概のある彼に託せば良い」と考えたためでした。
子どもは親個人ではなく「村全体で育てる」存在っぽい。
協力者の書記男は「13歳男子は普通に女の脅威。だけど教育すればギリ何とかなるから連れてっても大丈夫だと思う」と女たちに助言します。

(13歳男子のイメージ画像)

そうして彼女は「私の子どもだから私が決める」と無理やり息子を連れていくことに。
女と女でも、女児母と男児母が意見を違えることが避けられない場面もあるよね……

「加害男・擁護男たちを赦す」と決めた老女は、旅支度をする女をよそに、家族たちと家に留まります。
が、彼女の娘と孫娘は「やっぱ私たちは外へ行く!」と飛び出しました。
親ではなく、自分で人生を選んだ若き女と少女に栄光あれ……!!


「あなたの物語はきっと違う」


村を脱出した女たちは、決して、最善の選択が出来たワケではありません

暴行され妊娠しながらも、自分で生きる道を模索した主人公の女は、協力者の書記男と恋仲になっていました。
けれど彼女たちは、二人で結ばれるよりも、自分たちが信じた未来に向かって別の道を選びます

泣く泣くハイティーンの息子を置いて村を出る母もいるはず。

何より彼女たちは、愛する故郷の自然を捨てなければなりませんでした

それでも、彼女たちは「暴行を受け続けずに済む世界」を求め、その安全を子どもたちへ引き継ぐために、考え、行動しました。

書記男が書いた、女たちの議事録も、
「女たちが何を感じ、どう考えたのか残しておく」
ため、そのまま村に残されました。

ラストに映されるのは、ぞろぞろと村を出て行く女たちの姿。
そして、移住した後に産まれたと思われる主人公の赤ん坊です。

最後に、主人公は、生まれてきた赤ん坊に語りかけました。

「あなたの物語はきっと違う」

このメッセージは、彼女の子どもだけではなく、この作品を観ている我々に対するメッセージのように感じられてなりませんでした。


女性と男性で見ている世界が違う


とあるバラエティ動画を見ていたら、善人の男性二名が、以下のような会話を交わしていました。

男性1「男性2くんは、イヤなことや苦手なことはある?」

男性2「いつもSNSで怒ってる人とか……どうしてそんなに怒ってばっかりなのかな? ってシンドくなります」

男性1「男性2くんは優しいから、そういう怒りたい人たちを見てると辛くなるんだろうね」

某人気俳優の公式番組より

確かに、「怒ってる人を見るとシンドい」気持ちは素直に理解できます
男性2さんは、実際、繊細で優しそうな人でした。
けれど……

この善人の男たちに対して、
「怒っている人たちが、なぜ怒っているのか考えたことある?!」
とも感じてしまったのです。

彼ら個人を責めたいのではなく、女の被害や訴えを軽視する風潮に物申したいと考えます。


私たちの物語はきっと違う


現実世界で訴えを無視され続けた女たちが、SNSで怒りの声を上げ、団結し、実際に変わったことは幾つも存在します。

軽んじられた性被害の可視化
有名なME TOOタグが始まりでした。
SNSで怒った女たちが決起し、かのフラワーデモが全国で開催され、裁判の結果をも動かしました。昨今は色々問題も発生しているけれど、私も初回に参加してた。

受験生の性被害を許さない女たちの行動。
もちろん過去から地道に行動していた女性は多く存在しましたが、SNSで「受験生への痴漢やめろ」的なタグをバズらせたことにより劇的に広まりました。

それこそ女の自意識過剰だと思われていた「ぶつかり男」「匂い嗅ぎ痴漢」の映像証拠
これにより、被害は確固たるものとして扱われるようになりました。

裁く法律すらなかった盗撮なども広く周知されるようになり、ようやく法も変わりました

「SNSで怒っている人がシンドい」と語った善なる男たちは、本当に悪意のない人々でした。
単純に、怒っている人の成果を知らないだけだと思うのです。彼らは知らなくても加害されないから。
(とはいえ、彼らの近しい男には、性犯罪で逮捕されたりDVで炎上した加害男もいるんだけど……?)

しかし、声を荒らげて怒らないと加害され続け、被害をないことにされやすい女の立場としては……
悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
女たちの被害が圧殺されているのに、怒りの理由には目を向けず、被害を受けにくい立場から「SNSで怒っている人たちがシンドい」ことを、ただ「優しい」と評される「善人の」男たちが。

けど「怒っていると伝わらないよね」と丁寧に冷静に訴えると、今度は「そんなに落ち着いてるなら大したことではない」と軽視されるんですよね……
何度も何度もやってきたから知ってるんですよ。

女たちが訴える被害や痛みは、残念ながら、こういう善意の男たちの耳には届きにくいのだと思います。

でもだからこそ、決して「何もしない」を選ばず、語り合い続け、自分たちで思考し選び取り、実行し、記録をして行く必要がある
これまでも女たちは、挫けず諦めず「あなたの物語はきっと違う」現実を作って来たのだから。

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

ウィリアム・ジェームスの言葉より

地道な行動の末に現実が変わること。
それが何より大切ではないか?

……と、この映画を観て思い至りました。

この映画の感想で『フェミニズムにとどまらず、もっと広い人間の自称を扱ってる』みたいな感想をいくつか見ました
まぁそりゃそうだけど、女の権利というレイヤーを重視しないのは、やはり本質を見誤るとも思いました。
この作品の重要なテーマだから、ここを外すことはできないでしょう。普通に考えて。

加害男から暴行を受け、
擁護男から「被害なんか女の思い込み(※物的証拠は見ない)」「加害者を赦そう(※被害受けた女は知らん)」と無視され、
ときに善意の男から「怒ってる人ってシンドい(※怒る理由は知らん)」と軽視される。

そんな物語とは違う「新しい物語」を紡いで行きましょう。

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