江原素六研究(2):選挙に行くことは義務なのか?ーリベラリズムと社会契約説

選挙に行きなさい、と言う人はリベラルなのか?そのように言った江原素六はリベラリストであったと言われるが、それは本当なのか。もしそうであれば、江原はどのようなリベラリストだったのか。これを考えるには、社会契約説という近代的な政治思想を考えなければならない。

社会契約説とは

リベラリズム—日本語にすると「自由主義」—はその名の通り、自由を目指す考え方である。人々それぞれが自由であるような社会を目指す、それがリベラリストの政治的な目的である。そのようなことを近代のヨーロッパで考えたのが社会契約説を唱えたホッブズ、ジョン・ロック、ルソーだ。当時、ヨーロッパは王様(君主)が人々を支配する君主制をとっていたため、人々の自由は制限されていた。人々は君主の言うことを聞かないと殺されてしまうと脅され、ビクビクしながら生きていた。そこに個人の自由はなかった。そのような個人的自由が制限されていた社会的環境から生まれてきたのが社会契約説である。社会契約説は君主制という自由を抑圧する社会を否定し、自由を根本的なモットーとする新たな社会の形を模索した。新たな社会の形は人々の個人的な自由を肯定するために、社会が人々の自由な「契約」によってつくられる、それ以外の方法でつくられる社会は正当でない、と社会契約説を唱えた人たちは主張する。このとき、「契約」とは個人的な自由のもととなる個人の生命や財産を守るために必要な、人々のあいだの約束である。この約束=契約が社会の基礎を形成する。

ホッブズの社会契約説

ホッブズの社会契約説からみていくと、今言ってきたことがわかりやすくなるだろう。さっき社会契約説は、社会が人々の自由な「契約」によってつくられ、それ以外の方法でつくられる社会は正当でない、と唱えていることを確認した。ホッブズはどのようにこのことを確認したか。まず、ホッブズは「自然状態」という想像上の世界を考えるところからスタートした。自然状態というのは、社会がつくられるまえに人間が住んでいた世界を想像したものである。そこには法律や道徳といったルールが存在せず、ただ単に人間が暮らしている。ホッブズは、そのような世界は「各人の各人に対する戦争状態」であると言った。つまり、人間がお互いがお互いを憎み合っていて、徒党を組んで絶えず戦い、勝利したものは負けたものの財産を手に入れるというような、いわゆる「野蛮な世界」。こんな世界において、どのようにしたら個人的な自由を肯定した社会をつくることができるのか。ホッブズはこう考えた。人々がそれぞれもっている自然の権利(人々が自分の生命を維持するために使うことができる自由)を、国家(これをホッブズは「リヴァイアサン」と言ったり、「コモン・ウェルス」と言ったりする)という人々の代表に譲渡しよう。国家は主権をもっていて、自然法(他の人が自分の生命や財産を奪わないようにするためのルール)を人々に執行する。こう言うと、国家という制度は人々の自由を奪う君主制と変わらないと思うかもしれないが、そうではないとホッブズは言うだろう。なぜかといえば、自然権の国家への譲渡は人々の自由な意思によって行われるものだからだ。そして、個人の自由は国家に移されるが、人々の意思は国家によって代表される。したがって、人々は人々の代表によって支配されることになる。自分たちが自分たちを支配しているぶんには、他人が自分たちを支配しているという君主制とは構造が違う。このような社会では、人々が自由に他の人々と契約を結び、それらの人々は国家に「自分から」自然権を譲渡する。

ホッブズの論からわかる、ジョン・ロックやルソーの社会契約説にも共通する三つの特徴は:
(1) 社会契約説は「自然状態」という、想像上のルールのない人間世界を是正しなければならない、という目的に駆られることで新たな社会の形成を正当化する。
(2) 個人の自由(自然権)を人々の代表である国家に譲渡/委託するかわりに、国家は人々に自然法を行使しなければならない。
(3) 国家への自然権の譲渡は人々の自由な主体性によって行われるため、そこでは人々は自分たちで自分たちを支配していることになる。

(3) は特に重要で、「人民主権」という現在の民主主義の根幹をなす概念のもとになっている部分だ。人民が主権をもっていて、人民が自分たちでルールをつくって自分たちの住む社会を運営する、という考え方はいまになっても続いている。これは近代的な自我を考えるうえでも重要だし、「自立」や「独立」といった江原が再三強調した価値観にも共鳴する。

ジョン・ロックの社会契約説

ジョン・ロックの社会契約論は「法」という概念を提示したということで価値がある(「抵抗権」もロックが提示した、現代の民主主義にも通じる考え方だが、ここでは割愛する)。ロックが考える自然状態は、ホッブズのそれとは真反対だ。ロックの自然状態は、理性的な自然法が支配する平和な状態である。そこでは、人々はみんな自由で平等だ。人々は他の人々の生命や財産、自由を脅かす権利はない。しかし、だからこそ非理性的で悪いやつが他の人の生命を脅かしたり、財産を奪ったら、どうすることもできない。なぜなら、その犯罪者の生命、財産、自由を脅かす権利を他の誰も持っていないからだ。だから、その犯罪者を死刑にすることもできないし、罰金を科したり、牢屋に閉じ込めたりすることもできない。これによって、人々の自由が脅かされたり、富の不平等が発生したりする。ロックはいっけん平和的にみえる自然状態の欠点を指摘することで、社会をつくることの必要性を訴える。ロックの考えはこうだ。人々が自発的に共同体をつくり、その共同体は立法府に自然権を委託する。立法府は法をつくって、たまに出てくる犯罪者を取り締まることで、自由で平等な社会を保障する。立法府によって個人の自由に制約をかけるという考え方は、モンテスキューの三権分立という発展された考え方を通じて現代の民主主義社会に反映されている。

ルソーの社会契約説

ルソーもロックと同じように、人々が自由で平等な状態を自然状態として考えた。しかし、ルソーの場合、この平和的な状態は「私有財産」という価値観を導入した文明によって壊される。私有財産制において、共有だった土地も私有化されることで、特定の人々が他の人々より土地を多く所有し、それを使うことができるため、これによって富の不平等は生じる。ルソーが言うには、この私有財産制、もっと言えば文明はエゴイスティックな欲望が反映されたシステムである。これをなおすためにはどうすればいいのか。ルソーはそのようなエゴイスティックな欲望である「特殊意志」にかわって、人々が共通の利益を目指す「一般意志」の形成を社会の基礎とするべきだ、と唱えた。そして、ルソーが言うには、「一般意志」は人々が自ら行使しなければならない。ホッブズやロックは国家や立法府といった人々の代表に自然法を行使させていた。しかし、ルソーが恐れていたのは、国家や立法府といった人々の代表が、実際人々が思っていることと違うことをし始めた場合である。国家や立法府が人々の譲渡した自然権とは間違った方向に暴走する可能性がある。このように考えたルソーは、あくまでも「一般意志」が人々自身で社会に適用されなければならないと主張する。この考え方は「直接民主主義」というかたちで現在のスイスなどにおいてみられる。

江原素六の社会契約説

なぜこんな長々と、高校の倫理の教科書に載ってそうな社会契約説の歴史をみてきたのかといえば、江原素六の「リベラリズム」がいま紹介した社会契約説と似た構造をなしているからだ。

江原の死後である1925年に発行された『急がば廻れ』に所収されている「5 政治学と独立自尊」という章(雑誌『雄弁』1917年9月号が初出か)をみてみると、彼の社会契約説的なリベラリズムが発見できる。例えば、江原は「合理的独立自尊」と題される節でこのように書いている、「而して諸君は、追々と憲法的政治の任に当らるるのである。… 皆悉く法律憲法なるものを制定して、それに依って活動するのである」(73、仮名遣いなどの表記は現代風に改めた部分がある)。「憲法的政治」と江原が書いているのは、立憲政治のことである。憲法という最高法規のもとに政治が運営されるという立憲政治の考え方は日本のみならず現代の民主主義社会の多くのスタンダードとなっている。「法」を社会の基礎と捉えたのは、ロックの「立法府」的な社会契約説をそのまま借りてきたようなものだ。そして、その憲法や法律を定めるのは「皆」である国民である。国民は自分たちの国の憲法や法律をつくって、つくったあとはそれに従う。自分たちのつくった法を自分たちで従うという「人民主権」も社会契約説の特徴の一つであり、最も重要な点である。したがって、江原は近代社会の理性的な「市民」をイメージして、立憲政治と社会契約説のある社会をつくろうとした。

また、「6 挙選界の革新」という章では、繰り返し「政治の腐敗」について苦言を呈している。「私は今日の政治界ほど腐敗して居る事はないと断言しても憚らないのである。実に腐敗の極、堕落の頂上と云ふも敢て過言ではないでせう。」(77-78) このような政治における腐敗や堕落は、政治家がルソーの言う自分たちの「特殊意志」に従って、私利私欲のために活動していることを示している。この現状を打破するために、江原は「議員選挙の革新」(78) を訴える。つまり、国民が選挙を通じて、もっとも国民の思いを政治に反映できる「品性」を備えた政治家を決めることが重要だと主張する。これはルソーが主張する「一般意志」の形成の重要性と被る。ルソーも江原も共同の利益を目指すという意味で「一般意志」の形成を重要視している。ただ、その方法は異なる。ルソーは直接民主制を通じてだが、江原は選挙を通じてである。

ここで注目すべき点は、江原が選挙権を行使することが国民の義務であると言っていることだ。選挙権という権利と義務を履き違えているのではないか、と思ってしまうが、とりあえず江原が書いていることを見てみよう。

勿論その候補者の何人を選むも自由である。どう云ふ人物を選ばねばならぬと云ふことはない、然し乍ら、苟くも一縣の代表者として、国民の選良として、恥しからぬ者を挙けると云ふ事は選挙権を有する者の徳義であり、国民としての義務である、その人物、その品性に於て問然する処なき者を選ぶ事を忘れてはならぬ。(79)

ここで、江原は読者である国民に二つの義務を科している。一つは、選挙権を行使するという義務である。二つ目は、「恥しからぬ」、「その人物、その品性に於て問然する処なき」候補者に投票するという義務である。二つ目の義務については、どの候補者を選ぶのかは自由であると前置きした上で言っているので、そこまで強制力を持たせていないのだろう。しかし、江原が選挙権の行使が義務であると言っているのは明確だ。そして、それは「徳義」、すなわち道徳上の義務である。つまり、江原は読者に、道徳上選挙に行かないといけないと訴えている。そう、江原は選挙権という権利と義務とを履き違えている。しかし、なぜそのようなことが起きたのか。私が主張するに、それは江原の社会契約説に対する間違った捉え方が原因なのかもしれない。

まずは、選挙という行為についてみてゆこう。選挙とは人々が代議士を選ぶことである。そして、選挙によって選ばれた代議士はすべての人々の意思/意志を代表することになっていて、その人々のかわりに政治を行う。ルソーの社会契約説に即して言えば、選挙は人々の「特殊意志」を「一般意志」へとまとめあげ、その「一般意志」を代表するのが選挙で選ばれた代議士だ。このとき、人々は選挙を通じて自分たちの自然権を代議士に譲渡した。つまり、選挙権は人々が自分たちの自然権を譲渡する権利である。

社会契約説では、国家への自然権の譲渡という政治的な義務は自発的であるからこそ、それが義務として成立している。やりたいから、やらなければならないと義務化されても問題はない。つまり、ここでは「やりたい」という自発性が、「やらなければならない」という義務に変わっている。社会契約説は、自発性を義務に「すり替える」ことで、個人的な自由によって自発的につくられた社会のみが正当であるということを説明している。これが単なる「やらなければならない」という義務だけだと問題である。なぜなら、義務というものは常に「やりなさい!」といった感じに他者から押し付けられるものだからだ。しかし、社会契約説は自由を肯定する考え方だ。だから、義務というものを自発的なものとつくりかえてしまったのだ。これが社会契約説の革新的な点だ。しかし、社会契約「説」はあくまでも、個人的な自由によって自発的につくられた社会のみが正当であるという「説」明であって、けっして社会に適用されるべきルールであるわけではない。(社会契約説が義務としてすべての社会に適用されなければならないのであれば、それは社会契約説の「自由」の原則に反している。)

ここで、江原の「選挙権の行使の義務化」と彼の社会契約説的な考え方のあいだに齟齬が生まれる。江原の主張を社会契約説として読み替えてみると、人々は自発的に選挙に行くことによって、選挙に行くことが義務になってもとくべつ問題がない、ということになる。しかし、私たちは自発的に選挙に行きたいのか?行きたい人もいるだろうし、行きたくない人もいるだろう。行きたい人は自発的に選挙権を行使するから、選挙権を行使することが義務になったとしても、問題がない。一方、選挙に行きたくない人は選挙権を行使することが義務だったら、それは自発的な選挙権の行使とはならない。つまり、江原は正当性を説明した社会契約説を規範的なものとして扱ってしまっている。言い換えれば、江原は人々に社会契約説を規範(ルール)として押し付けてしまっている。だが、社会契約説じたいが「自由」という根本的な精神をもっているので、押し付けられた社会契約はもはや社会契約説ではない。

なぜ江原のリベラリズムはこのような矛盾を抱え込んでしまったのか。それは江原が道徳(儒教的/キリスト教的価値観も含む)を通じた社会改良を目指していたからだ。社会を改良するには人々に規範を押し付けなければいけなかったのだ。しかし、社会契約説は社会の改良を目指していない。ただ単に、このような社会だけが正当なんですよ、と説明しただけだ。だが、江原が社会契約説を間違った形で自身の考えに取り入れたからといって、彼の考え方が社会契約説に影響されていないわけではない。彼の「独立」や「自尊」という価値観は、社会契約説が築き上げた近代ヨーロッパにおける合理的な、理性的な自我をもとにしていることは明白だ。また、政治の腐敗、私利私欲にまみれた政治家という当時の政治に対する見方も社会契約説の「自然状態」(とくにホッブズ)に影響されたのではないか。

結局、江原はどのようなリベラリストなのか、という問いはまだまだ続く。

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