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人文書の出版という「斜陽産業」に飛び込むことについて

人文書を(これから)愛するすべての少数派へ

 現在、私はアメリカの大学に留学しているが、今年の9月からの秋学期の授業を実地で受けることはできなかった。そういう否定的な理由から発想を変え、逆に自分のやりたいことをやりたいと思い、非常に具体的な業界での経験を積みたいと考えた。その業界とは、いわゆる人文書の編集である。人文書とは、人文科学について書いてある、主に哲学や思想、歴史学や宗教学、文学や批評の本や雑誌のことで、それらは通常、本屋の隅っこに目立たないように置いてある、静かな本/雑誌たちだ。私はそのような人文書を読むことが、というより人文書という概念じたいが好きだ。人文書が本屋で常に夜3時の静かさを味わっているように、誰の目にも触れないこそ存在するマイノリティの「優越感」がある。
 私がそのような人文書に興味を持ったきっかけとなったのは本ではなく雑誌だった。青土社という出版社が出している『現代思想』という雑誌である。私が、今はなき六本木の青山ブックセンターで手にとったのは、2017年11月号—それは最新号ではなかった—のエスノグラフィー特集だった。責任編集は社会学者の岸政彦。そのときは名前も知らなかった小川さやかや有薗真代、朴沙羅など、日本の著名な(歴史)社会学/人類学者たちがそれぞれのエスノグラフィーを寄稿していた。しかし、とくに私が目を留めたのは今まで見たことのなかった小さい文字のフォント(で書かれている磯崎新の論考と)岸と哲学者の國分功一郎の対談である。正直、あまり岸と國分の対談の内容を覚えているわけではないが、彼らが「責任」という概念について、当時哲学や社会学の知識がまるでなかった私にもわかりやすく話していた。そんなことから社会学ではなく、國分功一郎の本を読み始めることにした。最初に読んだ彼の著書『暇と退屈の倫理学』は太田出版から出ている増補新版が安くて、内容も明快なので、哲学や人文学に興味を持ったが、何から始めればいいかわからない人に対していつもおすすめしている本だ。そこから『中動態の世界』(医学書院)、そして彼の専門であるドゥルーズの入門書『ドゥルーズの哲学原理』を読むことになる。「きちんとした」学術書としての人文書をそこから読み始めるわけだが、これがなかなか、とくに独学では読むのが難しい。
 周りの人からは「読んでいる感」が全く出なかったのである。周りには文庫の新刊小説を一日一冊読む人と本を全く読まない人の二通りの人しかいなかった—私は『現代思想』に出会う前は後者だった—ので、一文を長い時間をかけて理解してひもとくのは周りの助けももらえない至難の技であった。いまでも一文10分かかることは珍しくないが、何が上達したかといえば、それは一文をゆっくり読むことに慣れてきたということだ。そして、それは「読んでいる感」が出なかったからこそ、一人で、あるいは遠いところにいる人文書に興味ある人としか共有できない、密かな楽しみなのだ。

 そして、その人文書を実際につくってみたかった、というよりは、どんな人たちが私が読む人文書に関わっていて、どんなことを考えているのか、それは私と似ていることを考えているのか、それともそうじゃないのか、という興味や疑問があって、人文書をつくっているところを見てみたかった。だから、休学する四か月間の間、人文書を主に扱う出版社で働きたいと思った。そして、それを実現するために出版社にメールした。
 メールをする出版社は大方目星がついていた。それは好きな出版社だったり、好きな人文書を出版している会社だったり、そして、その出版社から出ている本は一度も読んだことのないというような出版社だったり、合計20社・団体以上。いわゆる数撃ちゃ当たる方式だ。この中で、肯定的な返答が1件、否定的な返答が9社・団体、そして残りの10社以上は未だに無返答である。否定的な返答の中で、3社は新型コロナウイルスでのリモートワークへの移行により、アルバイトやインターンを募集していないということを明示していた。この状況だから仕方ないことなのだろうと思って、結局肯定的な返答をしていただいた出版団体を手伝うこととなった。

 否定的な返答のなかでも私の興味をひきつけるものがあった。一言でいうと、それは人文書を扱う出版業界の「斜陽」に対する、その業界のなかから響く悲鳴である(メールの文体じたいは悲鳴のようにはまったく聞こえないが、わたしがそう感じただけ)。メールの文面をすべてそのまま引用することはできないが、自分なりにそれを解釈して—引用ではない他人の言葉の要約はすべて要約者の解釈だが—ここに紹介したい。
 自分のメールに返信してくださったX出版社/団体のAさんはXの編集部長である。Xではアルバイトの募集をするのは社員が欠員したときや退職したときに限られるため、今の時点で募集はしていないという。そして、Xのような10人くらいが働いている人文系の出版社では主に35歳前後の編集者が働いていて、彼.女らは他の出版社/団体ですでに編集の経験を積んでいるという。「斜陽産業といわれて久しい出版業界」全体としても、新卒で編集者を採用しているところは少なく、中途採用が一般的であるという。なぜX(に限らず他の人文系の専門出版社)が35歳前後の編集者がほとんどで新卒採用しないのか、というと、Aさんによるとそれは新卒を編集者としても営業としても一から教育する時間的な、手間的な労力が確保できないからだという。つまり、Xのような出版社には後続の編集者を教育するような制度がない(あったとしても整備されていない)のだ。もちろん、私のような、学部に所属していて大学から卒業していない学生をインターン生として受け入れる余裕がないだけのことかもしれない。
 しかし、このメールはあることを私に明確に示してくれた。それは、人文書の編集に携わりたければ、新卒で編集者として採用されることはまずできない、できるとしてもそれは様々な要因が重なった幸運である、ということだ。人文書の編集者になりたければ、まずは人文書というものにこだわりを持たずに、出版業界である程度経験を積む(Xでの編集者の平均年齢が35歳前後ということは、彼らは10年以上編集経験を積んでいるということだ)必要があるということだ。たしかに、私が今手伝わせてもらっている出版団体のなかでも、雑誌を編集するかたわらで、本業として大手の出版社に働いている人たちがいる。大手の出版社というと社員は200から300人にのぼるから、単純計算でXの20から30倍の人数がいるわけだ。そして、そのような出版社は社員だけでなく、多くの読者も抱えているので、人文書のみを出版する、というわけにはいかない。読者が比較的多いビジネス書やいわゆる自己啓発系の本、嫌中・嫌韓本やゴシップ雑誌を出版するところも多い。だからこそ、人文系の雑誌を編集しているかたわら、本職としてたとえば百田尚樹の本を編集することに葛藤を感じる人がいるわけだ。そのような事実を聞いただけで、そしてそのような葛藤を感じている人たちと一緒に同じ雑誌を編集しているという事実だけで、私は興奮する。

 だが、ここで私がこのような事実を聞いて興奮しているということが問題ではない。問題は、百田尚樹の嫌韓本の編集をする、人文書の愛読者/編集者が存在するということだ。そして、その問題は出版業界の「斜陽」に直接関わってくる。まず、先述した、人文書の編集者になるための道のりが一直線ではないということだ。Xのような出版社は中途採用はがほとんどなので、すでに編集を経験している人しか採用しない。したがって、Xのような出版社で編集したければ、まずは他の出版社で編集を経験していなければならない。だが、新卒で編集をするとなると、大きい出版社で、希望する人文書の編集ではなく自分の全く興味のない本や雑誌の編集をすることになる。だから、先ほど言ったような葛藤を抱える人が生み出されるのだ。そして、次に出版業界が経済的に持ち堪えていない、ということである。第一に、出版業界全体として、出版物が売れていない。だからこそ、出版社はもっと人に本や雑誌を買ってほしいということで、多くの人に買ってもらえるような本や雑誌を出版する。それは多くの人に迎合するようなポピュリスト的なものになることが多い。それは政治的に大衆迎合している本や雑誌かもしれないし、社会的に、経済的に大衆の興味をそそるものかもしれない。しかし、人文系の出版社はそうはできない。なぜなら人文書は「売れてはいけない」からだ。
 私が思っている人文書の定義のなかに「それが売れていないこと」が要素の一つに(無)意識的に刷られている。つまり、私はハラリの『サピエンス全史』(柴田裕之訳、河出書房新社)やダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳、草思社)—この二冊は読んだこともないし、今後読むこともないだろう—は私にとって人文書ではない。人文書ではなく教養本である。ちなみに、今挙げた二冊はどちらも翻訳本であるので、それが単に日本で比較的売れているだけではなく、もともと原語圏で売れていたものが日本に入ってきた、といった方が適切なのか。それはイエール大学の死についての講義をまとめた、シェリー・ケーガンの『DEATH - 死とは何か』(柴田裕之訳、文響社)も同様であると思う。売れていない、というのは発行部数や購買冊数といったデータではなく(とはいえ、『サピエンス全史』は間違いなく日本で売れている)、私の感覚である。そして、その感覚は、その本が本屋でどこに置いてあるのか、本屋の客はどんな本を手にとっているか、である程度つかめてくるものだ。だから、人文書が逆に売れているとしたら、それは私の、極端に言えば人文書を読むすべての人の、人文書の定義に反することとなる。売れていないということだけでなく、その本の出版社やその本が翻訳本ならその本の訳者も重要な要素になってくる。先ほど挙げた三冊の本の出版社のうち、主に人文書を出版しているのは河出書房新社くらいだろう。そして、訳者も、その訳者が翻訳している他の本のリストをみると、翻訳しているのはほぼ人文書に合致しないものだ。
 何が言いたいかというと、人文書という本/雑誌の分類は、その世界が非常にせまく、閉ざされているということだ。売れていないということは読者が少ないことを意味していて、それは要するに人文書を買う人、その存在を知っている人が少ないと言うことだ。人文書を出版する会社の多くも人文書のみを扱っているものが多く、訳者もそれと同様である。だからこそ、人文書は読者層がすごく限定されていて、新規の読者が増える機会があまりない。しかも、それをつくる人となるともっと限定的になってしまう。しかし、その定義が守られていないと人文書として成立しないような気がどうしてもしてしまうのだ。

 「斜陽」といえば、太宰治の『斜陽』を思い浮かべるが、それはこう始まっている。

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。

(太宰治、『斜陽』、冒頭部分)

ここで「お母さま」は戦争に召集されたまま消息が絶えた息子の直治のことを思い出して「あ」と少し驚くのだが、そのあと彼女は「何事も無かったように…お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送」る。満開の山桜と頭のなかの戦禍に散った息子とのジャクスタポジション、そして手元にある娘がつくった可もなく不可もないグリンピイスのポタージュ。人文書を出版する業界も、没落していく未来を思いながら、本屋の前に並んでいる色とりどりの新刊や文庫の小説を眺める。しかし、問題なのは、今手元に残っているものである。娘のかず子がつくったポタージュと人文書。人文書の出版業界もかず子のように朝ごはんがお腹に入らないから、朝ごはんにスウプをつくるような否定的な理由かもしれないが、それでもつくっているわけだ。結局、人は手元にあるものにしか希望や可能性を感じることができない。それがたとえ「アメリカから配給になった罐詰のグリンピイス」でつくられたとしても、そこからなにかを生み出すという事実は変わらない。

 今は、肯定的な回答をもらった出版団体で今年末に発行される予定の人文系の雑誌の編集を手伝っている。手伝うと言っても正直毎日が忙しいというわけではないが、普段本で読んでいる人たちにメールを送ったり、原稿をみたりするのはやはり興奮することだ。しかし、それは窓の外にある満開の山桜を見たときの興奮とは異なる、内からふつふつと沸いてくる静かな興奮である。Excitement や exhilaration のような外に出る(ex-)ような高揚した興奮ではなく、他の言語に直接的に訳せないような感情、というよりは揺れ動き(movement)である。満開の山桜と戦禍に散った息子の二項対立に執着するのではなく、手元に残ったものに一度目を向けてみる。それが私がいまやっていることだ。それは自分のやりたいことの現実に直面することだ。その段階を経てからこそ、人は売れないものを売れないと肯定してそれをつくることができるのだ。

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