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消えてゆく自分をお金で買う話

みなさんは思い出とどのような付き合い方をしているだろうか。

これについて私は少し特殊かもしれない。

「忘れる」ということは私にとって自分を失うことと同義なのだ。

人が誰かを認識する要素は顔、声、体型、様々であるが、所詮周囲の状況から「その人らしい何か」を見て脳が良い具合に判断しているのだと思う。反対に、自分を認識するためには「思い出」が一番重要ではないだろうか。自分しか知り得ないことを思い出として自身と共有しているから「これは私である」と断言できるのだ。

冒頭でも述べたように私は忘れることに一種の恐れを抱いている。驚くかもしれないが、一日の終わりには必ず、自分が今も存在していることを確認するためにこれまでの人生を振り返る。それは産まれてから一番初めの記憶からだったり、中学生の頃からだったり色々だ。要するに、毎日人生で体験した大体のことを復習しているのだ。そして記憶していることは全て鮮明に覚えている。その時の季節や、その場の香り、景色や人の声、話した内容など全て。知り合いに「よくそんなこと覚えてるね」と言いたい人は居ないだろうか。私はそのタイプの人間なのだ。

さて、本題に入ろう。クレアーズという雑貨屋をご存知だろうか。モールの中に高確率で入っており、紫色に光るネオンが眩しいあのお店だ。そのクレアーズが2020年10月31日で日本での事業を終了するそうだ。寝耳に水とはまさにこのことで、全国民の半分くらいは驚いていると思う。漏れずに私も驚きを隠せない。クレアーズとの出会いは中学生の時分に遡る。友人のリュックに可愛いキーホルダーが付いていた。キラキラしていたそれを見てワクワクしながら「それどこで買ったの?」と聞いたのをよく覚えている。それ以降、たくさんの可愛い雑貨を購入した。授業で使うには少し書きづらいシャープペンシルや、ゴテゴテした手帳、鏡、櫛、その他キラキラした用途がよく分からないものをたくさん買った。

そんな思い出の店が今消えようとしている。これは私にとって一大事だ。ここ10年クレアーズに足を運んでいなかった。いつまでもそこにあると思っていたからだ。忘れることは自分を失うことと同義であると先に触れたが、自分の一時代を築いた思い出の物理的な消失に震えが止まらなかった。普遍であると思っていたものが急に無くなる恐怖は想像を超える。自分を認識するための要素が一つ欠けたらどうなるんだろうか。もしかしたら明日の自分は「私」ではなくなるかもしれない。なんて、そんな不安にかられてしまった。撤退はもう決まったことだ。ならば、形として手元に残そう。「私」として存在し続けるために、お金を払って消えてゆく自分を買おうと思ったのだ。

まず地元の店舗に向かったが少し遅かった。すでに閉店していたのだ。調べるとららぽーと新三郷の店舗はまだやっているらしい。その足で新三郷まで車を走らせた。店内に入ると何も変わっていなかった。ヘアピン、ヘアゴム、メイク用品、人形、全てキラキラしており記憶の通り輝いていた。商品を見ていると、店員が「クレアーズ日本撤退のためセール中です」と呼び込みをしているのが聞こえた。現実的なその言葉は私の耳から全身へ灰色に広がっていった。悲しくてたくさんの「可愛いもの」をカゴに詰め込み、パワーパフガールズが作れるんじゃないかという量を持ってレジへ向かった。そして「プレゼント用ですか?」という質問に対し「自宅用で」と気まずい返答をして店を出た。

以下半泣きで購入したものである。

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なんとも可愛い。そして、なんとも非実用的だ。使うのか?と疑問に思う方もいるだろう。特に画面右上のティアラに対して「あなたいくつなの?」と聞きたい方もいるかもしれない。ちなみに今年で25歳になる。使うかと聞かれれば答えはNOだ。おそらく全て使わない。もしこれをミニマリストが見たらきっと卒倒するだろう。他人から見たら無駄なものだ。わかっている。これは誰のためでもなく、明日も「私」として存在し続けるために必要なものなのだ。

ここでティアラについて少し触れたい。今回これが絶対に欲しかった商品なのだ。可愛いものが好きな人なら一度は憧れるだろう。私もその一人で、ずっと憧れていた。だが、大人になって自由にお金が使えるようになってからも購入はしなかった。「あってもいいけど別にいらない」それが多くの場合ティアラの立ち位置ではないだろうか。この関係がクレアーズと私に重なった。きっと日本撤退というニュースを聞かなければ今後も足を運ぶことはなかった気がする。そして、毎晩欠かさずに行っている思い出の旅中でも取り止めのない部分だったろう。しかし無くなると分かってからいくつもの思い出が蘇った。友人のキーホルダーを見た時に咲いていた花の香り、初めて店舗に立ち寄った時にかかっていた曲。それらを漏らすことなく覚えておくために、ティアラに見立てて記憶しておきたかったのだ。

ティアラを眺めているとこの瞬間をずっと待っていたような不思議な感覚に陥る。失わないように、また思い出せるように、明日も今日と同じ「私」で居られるように、楽しいことも悲しいことも全てティアラに見立てて記憶する。まるでこうすることが初めから決められていたような気分だ。外の世界で今を生きるためには、時として多くの思い出が必要なのだ。それがあるから人は生きていけると本気で思っている。

なにはともあれ、私は消えてゆく自分をお金で買うことに成功した。クレアーズには私を形成する要素の一つであってくれて本当にありがとうと言いたい。海外事業は継続するようなので、コロナが落ち着いたらまたどこかで。






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